第71話 化物vs怪物

 式神──椿は浅間龍我の選択に瞠目した。


「お前が、主の式神になる……?」


 まるで悪い冗談でも聞き返すような声に、浅間は短く頷いた。


「ああ、そうだ。なにか可笑しかったか? 本来の予定とはいささや異なるが、状況を鑑みれば悪くないだろう」


 なんとなく思いついたと言いたげな浅間の発言に、椿は歯噛みし、拳を地面に叩きつけた。


「ふざけるな! お前の目的は闘争。そして自らの死だったのだろう。ならば──」


「そう、《人間に殺される》。それが《武神》である俺が死ぬ方法だ。……だが、それは《武神》だったらで、式神としての《役割》が変われば死ぬ条件も変わると思わないか?」


「……ふざけるな。そんなことの為に、主を巻き込ませてたまるか!」


「なら早く契約を済ませるんだな。貴様と秋月燈が本契約を交わせば、俺を殺すのも不可能ではないかもしれない」


 虫の息で延命している燈へと視線を向けた。出血は収まったが、体内に埋め込まれた《紅血石》による症状で意識は混濁したままだ。

 か細い吐息と僅かなうめき声を漏らし、浅間と式神の間に横たわっている。今ここで本気で殺し合えば燈が真っ先に死ぬ。だからこそ、式神は歯噛みしながら浅間を睨んだ。


「……某が主と本契約を結ぶことはできない。もう一度、《契約の儀》を行えば今度こそ主は──確実に死ぬ」


「やはり去年の一件で本契約を行うも、失敗したのか。……なら話は終わりだ。貴様はここで死ね」


 キィン、金属音が響いた刹那、浅間は鞘に納めていたはずの刃を手にしていた。

 次の瞬間、式神の肩が切り裂かれ、血しぶきが舞った。

 金属音が重なり合い悲鳴を上げる。式神は二撃目の斬撃を弾き、いなし、払い切った。


式神こいつ……。ここに来て力、速度ともに跳ね上がっている?)


「ぬおおおおお!」


 式神は荒々しく息を吐くと、血走った眼で浅間を睨んだ。


「この命、我が主の為ならば喜んで投げ打とう。その為にずっとここまで生きてきた!」


 燈の影は不気味な音を立てて周囲に広がっていく。それは封じていた深淵の蓋が、ぱっくりと開いたかのようだ。

 轟々とうごめくのは、黒々とした情念。式神の姿はより禍々しく、重く、どす黒い闇をまとう。緋色の甲冑が漆黒に染まっていく。それは浅間と同じく《物怪》と取り込み、食らい血肉と化した──成れの果て。人でも


「……随分とくだらない選択をしたな」


 浅間はどこか残念そうにうそぶいた。

「結局、貴様も同じ末路を選ぶのか」と心内で毒づく。似た末路にたどり着いた化物浅間怪物式神。果たしてそれが最良の選択だったのか、怪物と化物になった二人にはわからないだろう。

 浅間は刀を構えると、目にも止まらぬ速さで乱撃を放った。

 式神は燈の影から漆黒の刃を生み出すと、応戦。金属音と共に剣戟がぶつかり合う。


「おおおお!!」

「ははははっ、この程度か、式神!?」


 ぶつかり合う刃は、肉を削ぎ、鮮血を撒き散らした。


 轟ッ──!


 鳥居の周囲に並んだ灯籠が風圧や余波によって粉々に砕かれていく。その中で燈への余波は一切なかった。間合いのど真ん中にいる少女。本来であれば真っ先に死ぬのだが、それを式神も浅間も望んではいなかった。

 利用するために──

 主の未来を守るために──

 秋月燈の生存は二人にとっても重要だったからだ。


「武神、お前の目的は《空白の黒幕》だったのだろう。全ての業をその身に受けて、我が主に倒されるというのが本来の筋書きだった。違うか」


「ああ、そうだ。貴様と馬鹿弟子が本契約を成立させ、龍神も本来を力を取り戻した状態。それならば俺を殺すだけの火力が揃うと踏んだからだ」


 互いに肉を裂き、骨を砕いてもすぐに体は再生を始める。永劫殺し合うことが出来るだろう。それこそ魂を燃やす怒りが──殺意が消える瞬間まで──


(くっ……。これでは埒が明かない……! どうすればこの場を切り抜け、主を守れる? 深淵の力を開放したところで決定打にはならん……)


 式神の焦燥に対して、浅間はどこまでも余裕の姿勢を崩さなかった。


「……しかしなんだな、貴様がここまで臆病だとは知らなかった」


「…………」


「常日頃達観していたというのに、いざという時に主と向き合いもせずに逃げる選択するとは……俺の買いかぶりすぎだったか」


 式神の双眸に殺意が増した。


「……否定はしない。それほどに己の存在が異形なものだと、あの日……認識したのだから」


「去年、俺が現場に到着したのは全てが終わってからだ。……契約に失敗したのは、何が原因だ?」


 それは今まで式神が、ひた隠しにしていたことだ。彼は一つ吐息を漏らしながら、震える唇を開いた。


「……あの日、本契約は無事に終わるはずだった。某の真名が浮かび上がる、一瞬。主の集中が途切れ──僅かによろめいた。……某はいつものように支えようと手を翳し──片腕を吹き飛ばした」


 絞り出すような声。今も目を瞑ると式神の脳内には鮮明に思い浮かぶ。


「…………」


「某が──主を……殺しかけたのだ。あの時、自分がどれほど異形の姿をしていたのかすら気付かずに……手を伸ばした──主を、某は……!」


 それは魂の叫びと、懺悔だった。

 守るべき相手に手をかけかけた。それが式神には何よりも許せないのだろう。

 となれば《理》か龍神の力によって、秋月燈の片腕が健在していることを意味する。このまま記憶を取り戻せば、その術式も解ける可能性が高い。


 そこまで考えて、浅間は思考を巡らせる。この目の前に倒れている少女が真実を知ったとしても、式神を責めないだろう、と。それが余計に式神を苦しめるとは知らずに。


(大切な者を手にかける、か。……ああ、そうだな。俺もそうだった……)


 浅間には式神の気持ちが、手に取るように分かった。同時に燈の思考も何と無く想像がついた。

 行いに報いがあり、それは巡り巡って必ず帰ってくる。秋月燈という少女は、事実を知っても、受け入れるだけの強さを持っているだろう。


 そうだと知っていても、式神は理解できても納得はしないだろう。結局、当の本人に許されようと、自分が許せないのだ。

 自分自身だからこそ、許せない。生ぬるい温情も、やり直しも許せない。自分という存在を徹底的に苦しめて、終わらせる。浅間が考えた終わり方もその部類だ。


「某は某を許せん。主が許したとしても、絶対に……。守ると約束をして、傷つけるなど、あってはならぬ。……某が最後の最後で主の手を拒絶した。。だから──! 某は死ななければならない。主の厄災を全て引き受けて死ぬ……!」


 浅間は剣を収めると式神の一撃をまともに食らった。鮮血が真下にいる燈に降り注ぐ。


「ぐっ……はっ……」


 式神に心臓を貫かれ、苦悶に表情をゆがめた。吐血し、地面を地に染める。だが、浅間は後ずさることなく眼前の男を睨んだ。


(こやつ……避けなかった?)


「ぐっ……。なるほど、随分勝手な自己犠牲だ」


 浅間は口にしながら、自分自身にもそう告げた。しかし、式神は額面通りの言葉を受け取る。


「某は主の刃であり盾だ。主に負荷がかかるなど──」


「なら秋月燈は、その程度の器だったということだろう。全ての原因は馬鹿弟子が集中を乱したことによって起こった自業自得だ。それを臣下式神に──貴様のせいにしないのは、記憶を失っていなくとも自分のせいだと自覚しているらだろう。封印術式を行なったのも全ては、失敗を払拭する為では無いか。それを貴様は……。主の──、馬鹿弟子の覚悟を無下にするのか!?」


「!」


 浅間の気迫に、式神は言葉を失う。


(俺と貴様の最大の相違点は、その大切な者がまだ生きている、ということだ)


 式神は浅間を貫いた刃を引き抜こうとするが、びくともしない。


「ぐっ……、ならば、これでどうだ!」


 式神は、燈の影から新たな刃を浅間に叩きこむ。


「がっ……はっ」


 全身を貫かれながらも、浅間は式神を睨んだ。その双眸は鋭く、威圧感が増す。


(なぜ倒れない!?)


 その気迫に式神は半歩後ろに下がろうとするが、体が動かない。奇しくもゴールデンウィークで浅間の身動きを封じた手と似ていた。もっともあの時とは状況が何もかも違うが。


(くっ、これは術式……! この為に接近戦を仕掛けて来たのか)


 式神の周囲には、数え切れぬほどの札が張り巡らされていた。以前──いや燈と共闘していれば気づいてかもしれない。


「とんだ鈍らだったな。貴様は何を怯えている? 自己犠牲で消える覚悟を持ちながらも、馬鹿弟子と共に歩む道を捨てきれぬ半端もののではないか」


「…………」


 図星だった。それゆえに力が強化されていても、浅間に及ばない。覚悟といいつつもどこかで捨てきれていないでいた。


「これならば、龍神の方がまだマシだ」


 浅間は一気に力を開放し、刀にすべて注ぎ込む。その刃が式神の首をはねる──はずだった。


 寸前で止めたのは、目の前で少女が立ち上がったからだ。

 ヒュン、と風が周囲の大地を抉り、鳥居はもちろん石畳が一気に抉られた。


「主!?」


「……はぁ……っつ……」


 燈は式神を庇うように両手を広げて、浅間の前に立った。顔色は悪く、呼吸も荒く安定していない。

 立っていることすらできない状況だというのに、それでも少女は浅間の前にいる。


「……何のつもりだ? 式神と一緒に死ぬとでもいうのか?」


 燈は小さく首を横に振った。


「……わたしが……師匠の願いを……叶えます……ので、場所を……変えて……ほし……」


 ハッタリだと子供でも分かる言葉。しかし、浅間は一蹴することはできなかった。なぜなら、少女のあまりにも真っすぐな瞳が浅間を捉えていたからだ。

 殺意でも、憎悪でもない。最初に出会った頃、浅間をまっすぐに見つめた澄んだ瞳。


「…………」


「ほう。……臣下式神を守るために、身を差し出すと?」


「ちが……。師匠との……約束……を……守る……だけ……」


 そう燈は足に踏ん張りがきかずに、崩れ落ちる。傾いた体を支えたのは浅間だった。そのまま少女を抱き上げると、後方に下がって式神と距離をとる。


「主っ……!?」


「……は、はははっ!」


 浅間は胸が躍った。あの状態で、否──あの状態でありながらも、眼前の少女は浅間化物の望む言葉を告げる。

 喉から欲する言葉。それを引き当てる。だからこそ人をアヤカシの心を揺さぶるのだ。


「ああ、そうだな。悪くない交渉だ。いいだろう、貴様の提案に乗ってやる」


 浅間は手を翳すと、その場の気の流れを使って空間をこじ開ける。青白い煌めきが浅間と燈を包み込む。


「行かせるものかっ!!」


 式神は自身ではなく、影から大量の槍を生み出し、浅間に向かって解き放つ。だが、その攻撃は燈が視界に入っているからか、威力が弱い。

 黒い槍は、浅間の一撃で粉々に打ち砕かれた。


「……貴様と馬鹿弟子の契約をここで切っておくか。あの《厄災》が出てくるなら、それはそれで殺し甲斐もある」


 浅間は燈の影に刃を突き立てると、強力な稲妻を発する。宙に浮かぶ幾何学模様が、光となって砕け散った。


「がっあああ……!」


「ではな、元式神」


 式神は手を伸ばすが、その手は燈には届かない。


「武神っ!」


 稲妻と共に閃光がほとばしると、浅間と燈は姿を消した。式神の叫びが空に虚しく響いた。


「とっ……、主!!」

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