第54話 世界を敵に回す覚悟

「姫。もし貴女の命ひとつで世界が救われるのだとしたら、貴女はその命を投げ出しますか」


 それは手垢の付いたセリフ。

 アニメとかマンガとか映画で耳にするワードである。虚構の世界とはいえ、登場人物たちが問われることの多いセリフと言っても過言ではない。

 その重さを身勝手にも子どもに押し付ける世界だというのに、彼・彼女らは尊い行為といって殉じる。でなければ世界お話が終わってしまうから。しかしこれは現実問題だ。

 燈は龍神に問われた言葉の意味を考える。


(単純な話、私が死んだら世界は助かるというもの……)


 燈は腕を組んで考えた。

 自分一人が死んで世界が救われるなら、出来るだけ多くの人が最大に幸福をもたらすことを善とした《最大多数の最大幸福》ではある。そこに少数の犠牲は含まれない。小さな犠牲で大勢が助かる。一人死ぬけど残り十万人助かるみたいな場合。

 そしてその犠牲者一人が秋月燈──自身であったら?


「えっと、嫌だな」


「……なぜ?」


 龍神の声は震えていた。けれど燈はその差異に気づかない。心中に渦巻く感情を少女は言葉として形に、声にする。


「だって死にたくないですよ。まだ私、自分がどんな生き方をしてきたのかも知らないのに「はいそうですか」……なんて無理です。というか嫌です」


 龍神の酸漿色ほおづきいろの瞳がジッと燈を見つめる。少女の言葉を疑っているのか、端から信じていないのか、さらに質問を繰り返す。


「本当ですか? 貴女を生かす為に誰かが傷ついても?」


 ギクリ、と一瞬だけ燈の体が硬直した。


「あー、えっと……」


 燈は目の前にいる龍神や式神──椿が傷つくのを見過ごせるか。答えは「いいえ」だ。自分の為にもそうだが、誰かが傷つくのは嫌だ。それは杏花や楓、ノイン、佳寿美、好きじゃないけど蒼崎先輩も──


「傷ついて欲しくない。でも、それで私は私を差し出したら……たぶん、もっとみんな傷つく……と思う。……私の命は、私ひとりで勝手にできない」


「……姫」


 燈は自分が記憶喪失だと知り、家族がいないことに──独りだということが堪らなく寂しく、悲しかった。

 独りぼっちは寂しい。

 けれど、縁は切れずに繋がっていた。見えなくても、聞こえなくとも、傍にいてくれたものたちがいる。

 いいや、燈自身が見ようとしなくなっただけだ。

 聞こえる声を誤魔化して、気づかなかっただけ。世界はいつだってほんの数ミリの角度を変えるだけで違うものを映す。


(杏花と楓は私に会いに来てくれた。私の記憶を取り戻そうと手を貸してくれて──)


 学校の危険が迫った時、なんだかんだ言って付き合ってくれた。本当なら逃げるべき所で「しょうがない」と呆れたように笑ったのだ。


(柳先生も仕事だったかもしれないが、いつも気にかけてくれて、叱ってくれた。ノインは……突拍子もないことばかりで、でも私を何よりも優先して──)


 燈はそこで気づく。

 プール施設で燈を庇って片腕を損傷した時、「自分を大切にしてほしい」とノインに投げかけた言葉。あれは燈自身が周囲に言われていた言葉でもあった。

 那須に出向いて《物怪》に襲われた時。

 浅間との勝負で式神の力を使った後。

 学校で杏花に「出来るだけのことをしたい」と告げた際──


(ノインの無茶ばかりをする姿に胸が痛んだ。でも……ああ、そうか。記憶があったころの私は無茶をしてきたんだ。たぶん……)


 ずっと黙ったまま答えを待ち続ける龍神に、燈はもう一度強い想いを口にする。なぜか瞳が潤んで、涙がこぼれそうになった。胸が苦しい。ううん、胸が──心が熱い。気づけたことが嬉しくて、少女は一筋の涙をこぼした。


「龍神。私の答えはノーです。世界の為に、世界に殺されたくない。でも、私は周りにいる人たちを守りたい。……だから、世界も救えて私も助かる道を探す。その手伝いをしてくれませんか。あ、あと記憶取り戻すのも!」


 笑みが漏れた。龍神は目を伏せ「ええ、承知しました」と呟いた。式神もまた「応、応」と嬉しそうに主の決意を素直に称賛する。

 燈の出した決断。

 それは龍神と式神の生き方を問うた投げ掛けだった。結局のところ、他人がどう思おうと《本人が願わなければ》救えるものも救えない。そのことを誰よりも経験し、学んできた。


「では私は姫の方針を尊重した上で、みなを集めて協議を行いますので、失礼します」


「はい。……え?」


 燈が何か言いかけたが、それを待たずに龍神はその場から姿を消してしまう。


「え。えええ!?」


「何を驚いておる。単なる空間を移動しただけだぞ」


 黒狐の姿をした式神はこともなげに告げる。だが、燈は目の前の現実に知恵熱が出てきそうだった。


「いやいやいや! なにその魔法。……って、それより協議とか言っていなかった?」


「然り。我が主が目的を見定め、世界への宣戦布告をした──となれば国としてどうするのか、王が決めるのは必定。かかかっ。主よ、とんでもないモノに惚れられたものだな」


 燈は開いた口が塞がらなかった。

 先ほどの問いは本当のという意味だった。その覚悟も本物であったのだが、いきなり《国》と言う単語に眩暈を起こしそうになる。


「うう……。そういえば自分の国って言ってたんだっけ……」


「《常世之国とこよのくに》と言えば有名であろう」


 《常世之国》──古代日本で信仰された、海の彼方にあるとされる異世界であり、理想郷。永久不滅に不老不死、若返りなどに結びついており古事記、日本書紀、万葉集、風土記などに描写がある。かの少彦名神すくなびこながのちに帰った地であり、海神──大綿津見神おおわたつみのかみの神の宮もこの国にあるとされていた。民俗学では沖縄のニラカナイという国と《常世之国》は似通っているという指摘もある。


「滅茶苦茶、有名じゃん」燈は顔を手に当てて深いため息を吐いた。自分の言葉一つでそう簡単に国と言う単語が出てくる方がおかしい。

 少女はそもそも龍神がそこまでしてくれるのか──その疑問に行きつき、次に式神の言った「惚れた」という単語がようやく頭に入ってきた。


「ん? ……んん!?」


「なんだ。今さら撤回したいとでもいうのか? それこそアイツの顔に泥を──」


「いや、そうじゃなくて……。龍神って私のこと……好きなの?」


 沈黙。

 数十秒ほど式神は呆気にとられたというか、思わぬカウンターに脳天を揺らされた気分になった。


「ん、んん? 主よ、気づいていなかったのか」


 かあ、と頬を真っ赤に染めた燈は何度も頷いた。


「全然気づかなかった。というか、気にかけてくれているとは思っていたけど、好きって……。あ、友達としてとか、Likeライクって意味だよね。こう、友情的な?」


 燈は途中で「好き」イコール「友情」と置き換える。それが成立しているのは今の所、ノインぐらいだろうと式神は嘆息した。むろん、式神が主を想う気持ちは「忠義」であり、「好き」イコール「家族愛」に近い。


「うーん」と唸りながら燈は枕を抱きしめる。それも少女の癖の一つだ。昔から猫だの木霊だのを抱きしめていることが多かった。式神が改めて少女を見ると、耳まで真っ赤になっている。もうこの時点で自身の答えも出たようなものだが──


「なんだ、嬉しくないのか?」


「嬉しい……」


 少女は素直な気持ちを言葉にする。しかし今は嬉しさよりも戸惑いの方が強いのだろう。


(龍神が……?)


 出会いは夢の中──《第一級特異点》。助言のみで助けず、空から落ちた時も放任していた。会うたびに小言を言われ──


「んーーーー本当に好きなのかな。あの神様、私にだけ厳しくない?」


「そうか? まあ、主と面と向かっている時だけだろうよ」


 喉を鳴らしながら式神は笑った。そう、燈の前で龍神は手厳しいことをいう。そして自分の感情を常に押し殺し、慎重に言葉一つ一つを紡いでいく。「今度は傷つけないように」と。


(那須に単独で行った時は、電話越しだったけど……たしかに心配してくれた。《鵼》退治だってそうだ。……と、少しは思ってもいいのだろうか)


 燈はどうしても龍神の想いを受け入れられないでいた。記憶を失っていることもあるが、上手く気持ちがまとまらない。


「嫌か、あやつに好かれるのは?」


 式神は率直に問う。万が一燈が龍神を拒むというなら、全力で守り抜くという構えだった。だが、少女は首を横に振る。


「ううん! 違う。その……今の私は誰か一人に気持ちを向けるよりも、自分の記憶探しを大切にしたい。だから……自分の中にある気持ちは、まだ良く分かんないけど、大事に育てていこうと思う。うん!」


 燈は急に立ち上がると拳を握って独りで決意を改める。恐ろしくポジティブな主に式神は「うむうむ」と鷹揚に頷いた。過去も今も否定しないであるままに受け止める。ある種、その度量の大きさは奇特と言えるだろう。

 だからこそ禍々しく、呪詛にまみれた「アレ」とも向き合おうと思えるのだ。


(まぁ、某もアレの事をとやかく言えるようなモノでもないが)


 式神は自虐的な笑みを漏らす。燈はその姿を見て小首を傾げた。なにか尋ねようと口を開きかけたところで、隙間風が少女の頬に触れる。


「風?」


 燈は改めて開け放たれた障子の向こうを覗き見る。御簾とは反対側あり、風通しの為に開いていたのだろう。

 頬に当たる風は生ぬるく温かい。空は白銀色に淡く水色が染まったように透明度が高かった。

 空には麒麟やら龍、竜馬、一反木綿に面妖な鳥、烏天狗なども忙しなく飛び回っている。少女は目をこすってもう一度、外を覗くがやはり変わらない。


「あはは……。ふぁんたじー」


「おい、まだ寝ていろ。術式をほどこした影響で体の疲労は大きいのだ。ほれ」


 黒狐は前足で布団をバシバシ、と叩いて主を急かす。「可愛い」と燈は思ったが、口に出さなかった。


「うん。わかったよ」


 そう燈が布団に戻ろうとした時だった。

 ドサッ、と御簾の向こう──部屋の隅にあった肩掛けバッグが急に横に倒れたのだ。


「ん?」


 妙な気配に先に勘付いたのは式神だった。黒い鼻先をピクリと揺らす。


「……のう、主よ。あの御簾の先にあるバッグだが、あれは主のモノで相違あるまい?」


「御簾? えっとうーんどうだろう。学校の支給品だから名札とか見ないとわかんないかも。でも、これ椿か龍神が持ってきてくれたんだよね?」


 燈は目を細めるが、なにせ御簾を挟んでは良く見えない。少女は確認するため布団に入らずに御簾に手をかける。


「ちょっと見てみるよ」


「いや。その必要はない」


 バッグが溶解し、ずぐずぐに崩れたのちスライムのような黒々とした塊が畳一畳分ほどに膨れ上がっていく。燈は異臭とドロリと蠢くソレを見ただけで、嫌悪感を覚えた。


(あれは……ヨクナイモノ!? でもなんで!?)


 目の前でぐにゃり、ぐにゃりと蠢くソレは、じわじわと燈たちのいる御簾に届くまで膨れ上がり──次の瞬間、「主、すまぬ!」式神の声が燈の耳朶に響いた。




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