《幕間》 五十君周という記憶
燈が《鵺》を退治した時より少し遡る──
学校内校庭。
《物怪》になり果てた《かしゃどくろ》──その分裂体の骸骨が、数に物をいわせてノインたちに襲いかかる。
ノイン、式神、
(想定では、あと半時もせずに弾切れになる。そうなれば
ノインは自らの
(左腕、左目のセンサーは大破のため使用不可能。左肩の駆動モーター破損。人工筋肉の損傷は全体の三割……。頭部冷却機構、人工発汗の低下。サポートコンピューター接続端子が一部損壊。予備バッテリーを使用した場合の稼働可能時間、三千九百八十七秒……)
爆発音と土煙が渦巻く中で、彼は背後に居る燈へと視線を移した。彼女は今も自分にしかできない戦いの中にいる。彼女が戦いを諦めていないのに、ノインが先に白旗を上げることなど出来る
(《心の友その壱》だけは……死守する。それが俺の……いや、俺が自分で決めた《役割》だ)
《心の友その壱》──そう勝手に呼び始めたのは、学校の保健室で燈と再会を果たした時だった。
ノインは少しばかり昔のことを思い出す。それはまだ自分が
***
一九九九年七月三〇日。
《MARS七三〇事件》の無差別爆破テロによって
政府が秘密裏に開発をしていた義手、義足や人工臓器技術。そして全身義体化のプロジェクトも一九九九年の時点で、現実的に可能だと証明されたのだ。これは飛来した隕石の持つ高密度のエネルギーの入手が大きかった。秘匿された技術を駆使し、少年は全身義体化の被検者第一号として選ばれる。
(生きられる……? なら母さんの分まで生きよう)
搬送された警察病院で、のちに《心の友その弐》となる白髪の少年と出会う。彼と五十君周は歳が近かった。
同じ病室になった時、彼は両腕と片足を失ってベッドに寄りかかっていた。
《MARS七三〇事件》──あの事件で生き残った者は、世界を憎む《
だが、《心の友その弐》はそのどれにもならなかった。眩しいほどに強い意志が、その瞳に宿っていたからだ。
「
激痛と肉体の拒絶反応に苛まれながらも驚異的な速さで、日常生活が可能になるまで回復した。次の一年で肉体改造によるスケジュールを組み立て、わずか二年で彼は警察病院を退院して行った。
なぜそこまで苛烈な生き方を選んだのか、五十君周には理解できなかった。
そして
脳と脊髄──それだけが自分を形成するものだと知る。しかし、彼は以前のような《感情》というものが、どんなものだったか喪失していた。
(これ以上……自分を失うのは駄目だ……。どうすれば……)
彼は脳に僅かに残った《自我》と五十君周の
全身義体化は成功し、新しい体を手に入れた五十君周だったが……。
「《五十君周》の
新たに与えられた肉体の触覚、視覚、味覚、嗅覚はシャットダウンし、唯一聴覚だけを残した。言葉のやり取りは単なる意思疎通だけのものとし、研究者たちの提案を
それこそが《五十君周》を、完璧な状態で維持することだと確信していた。
あの夏の日までは──
二〇〇一年七月二十六日 ×××家
五十君周は、とある施設から民家を訪れた。
もっとも彼は車イスに乗せられているので、強制的に連れてこられたという方が正しい。研究者たちは五十君周に
意見の相違。すでに完成された存在にメスを入れるなど、愚行だと五十君周は考えていた。
「ふえ? あまねくんじゃないの?」
幼い声と頭の悪そうな言葉に、五十君周はげんなりした。
「会話が通じないのだろうか」と、そう本気で思った。五十君雅也の説明を聞いていなかったのだろう。
「自分は──」
「ねえねえ、何して遊ぶ?」
まったく人の話を聞きやしない。静寂や波紋のない世界が揺さぶられ、思わず言葉が口をついて出てしまった。
「人の話を聞け」
「はははっ。秋月燈ちゃん、だったかな。この子はね五十君周だよ、私の息子でね。……すまないが夏休みの間だけ、ここで一緒に生活をさせてくれないか?」
そう五十君雅也は少女に告げると「うん、いいよ」と気安く言葉を返す。
五十君周はますます腹が立った。直感的にここに居続けるのはまずい。なにかが変わりそうなそんな予感があった。
「否定──」
「かかかっ、かまわんよ。暴走した時に対処するモノもおるからのう」
しわがれた声は豪快に笑う。勝手に話はまとまってしまった。五十君周が何を言ったところで、この決定は覆らない。
(もしかしたらこの環境に嫌気がさし、全身義体を起動させることが目的なのかもしれない。……。それなら、適当にあの少女を無視すればいい。感情などいらないモノだ。不要で、不必要)
「ねえねえ、あまねくん。車イスだけど、お散歩しない? 風が気持ちいいよ?」
何度言っても、この底抜けの明るい声は理解しようとしない。
感覚は全て遮断しているし、視界もオフにしている。出来れば音声も切りたいが、五十君周が
「……自分は五十君周ではない。それを保持する者だ」
「ふえ? そうなの。じゃあ、あなたのお名前は?」
(四六時中話しかけられる上に、見当違いな勘違いまでしている。その上、なんにも知らない、なんの苦労もしたことのない少女。底抜けの声が静寂さを破る……。こいつは、嫌いだ……)
「あ、私ね。秋月燈って言うんだよ」
呑気に自己紹介をする少女は、五十君周が返答をするまでずっと待ち続けた。視覚はシャットアウトしているのに、その強い視線が
「……アインス」
「アインスっていうんだ! ねえ、アインス。私とお友達になってよ」
「拒絶」
「うう……。断られた」
今まで太陽のように元気だった少女の声が、途端に暗くなる。これで関わらなくなるかと思ったが──
「じゃあ、親友になって!」
「辞退する」
「なんで親密度を上げてきた!?」と言い出しそうになったが、「うう……」と少女の凹んだ声が聞こえたので押し黙った。
「ござる、ござる」
「
「ござる♪」
なんで「ござる」だけで意思疎通が出来ているのか謎だった。そもそも《
(もしかして、仲良くして彼女を食べる気なのか?)
そう邪推するが、自分には関係ないと斬り捨てた。
「ん……。どうやったらお友達になれるの?」
「断念することを推奨する。自分とお前では友情は築けない」
「なんで?」
「それは……」
アインスは初めて言いよどんだ。大人相手ならたいていはどんなことでも理路整然と言いくるめられるのだが、この底抜けの愚か者はどうにも調子が狂う。その切り替えしが予想を超えて飛んでくるからだ。
***
次の夏、またあの田舎の家に連れて行かれた。あの少女に「アインスはデータ削除され、あれとは別人のツヴァイだ」と名乗った。
案の定、彼女はなんの疑いもなく「ツヴァイ」と呼ぶようになった。どこまでもおめでたい少女だった。
それから、毎年夏が来ると名前を変えて、少女と下らないやり取りを繰り返す。「ドライ」「フォーア」「ヒュンフ」「ゼクス」「ズーベン」「アハト」そのたびに少女は、新たな名前を呼び続けた。
***
そして二〇〇九年の夏──
また面倒な季節が来たと思っていた。あの底抜けに明るい少女に会うのだと、そう思っていた。
だが──
「周、すまないが……今年はあの家にお前を預けることが出来ない」
周ではない。そう言いかけて押し黙った。
申し訳なさそうに謝罪を口にする五十君雅也に、素っ気なく言葉を返した。
「……問題ない」
「そうか? 毎年楽しみにしていたのに、すまないな」
「……?」
意味がわからなかった。そしてその誤った情報に
「理解不能──認識の大幅な修正があることを指摘する」
紙の音が止まった──おそらく新聞を読んでいたのをやめたのだろう。そして五十君雅也はいつになく嬉しそうに笑った。
「はははっ……! まさか気づいていないとはな」
「……言葉の撤回を要求する」
心なしか思った以上に声のボリュームが大きくなった。なぜ今、声が大きくなったのか。システムに誤差が生じたのだろうか。
「今そうやって感情的になっているだろう。機械、いやデータだけの存在が感情的になるわけがない。お前は間違いなく私の息子だよ、周。お前は全身義体化した時に、人間だったころの記憶だけを守ろうとしていたのだろうが、それは不可能だ」
「……なぜ?」
「人は人と関わることで変わっていくものだ。誰とも関わらずに生きていくのは難しい。そう望んでいても、どこかで人との繋がりを求めてしまう。……お前が聴覚を残した本当の理由は繋がりを何処かで求めていたからだよ」
そう五十君雅也は──父は優しい声音で告げた。
父もまたあの少女と同じく、毎年名を変えて呼び続ける茶番に付き合ってくれていた。すべては自分自身が気づくのを待ち続けていたのだ。
「……………」
「周、いや今年は……九年目だから、
驚愕だった。
この九年間、ノインは知らない間に感情が芽生えていたのだ。なにより、自分自身が変わっていたことに気付きもしなかった。
視覚情報もない。感覚もない。音声だけのやりとりだけで、ここまで変える事が出来るのだろうか。
error……。
──ふえ? あまねくんじゃないの?──
あの少女は出会った時に、そのことを看破していた?
ありえない──理解不能。
error
error
error──error──error……。
いつの間にか失ったはずの感情が芽生えていた。
いつの間にか夏が来るのが待ち遠しく、夏が好きになっていた。
底抜けに明るい少女の声とアヤカシたちの騒がしい毎日。
車椅子を押しながら様々な所を強制的に連れて行かれた。
そういえば、傾斜から転がり落とされた時もあれば、一緒に田んぼに突っ込んだこともあった。そのあと×××に説教された。
そして白銀の青年もあの家にいた。夏の間は任務でほとんど家にはおらず、会話をしたことはなかった。しかし、なぜか殺意に似た気配を向けられていたような気がする。
今年は、あの騒がしい夏が来ない。
今までなら「
自分の感情を、心を。あの少女のことを愚かだと思い続けていたが、愚者はどちらだったというのだろうか。
「……
ノインは初めて視覚、感覚、嗅覚の器官をオンに切り替える。
ゆっくりと重い瞼を開いて、何度か瞬きを繰り返す。最初はぼんやりとしていたが、次第に周囲の様子が窺えた。
とある病室、VIPルーム用だろうか、供えつけの家具やベッドなどはどれも上質なモノだと視覚映像から判断できた。すぐに映像を確認等同時に、ネットによる情報の捕捉がされた。
五十君雅也──父親だと思われる人物を見つめる。スーツ姿ではなく、ラフな白いシャツにズボンと普段着で、五十代とは思えないほど鍛え抜かれた体をしていた。そして纏っている雰囲気は、まごうことなき
「……質問を提案」
「聞こう」
五十君雅也──父は息子の言葉に耳を傾けた。
「なぜ、今年の夏はあの家に行けないのか……。理由を求める」
「なに簡単な事だ。あの娘が──」
「まさか死んだ!?」
「いや、死んだのではなく、浅間龍我による強化訓練で家を空けることになったからだ」
「訓練?」
「あの娘は、お前と同じく《MARS七三〇事件》の当事者だ」
「!?」
***
それからあの少女の経歴を洗った。知れば知るほど凄惨な生き方を貫いているというのに、なぜ笑っていられるのかが不思議だった。
情報収集、データ解析を行えば行うほど、エラーが蓄積された。
「理解……不能。なんなんだ……彼女は」
「少しは
突然降ってきた声に、ノインは驚きを隠せなかった。
ドアをノックする音も、気配もなかった。だが、目の前には白髪の青年が佇んでいた。黒い軍服を着用し、最後に会った時よりも随分背丈が高くなっていた。
「お前は……」
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