第46話 鵺ではなく鵼・前編

 ともりが抜いた刀身は光と共に姿を変え、本来の姿に戻る。

 大太刀──祢々切丸ねねきりまる、正式名称は山金造波文蛭巻大太刀やまがねづくりはもんひるまきのおおだち。刃長二メートル強、反り六センチ、身幅六センチ弱、重さ二四キロと本来であれば少女が扱うには難しいが、燈はそれを容易く使いこなす。


(刀身が長いのに重くない?)


 本来の力を取り戻した刀は、眩いばかりの煌めきを放つ。龍神は久しぶりのその刀の真の姿を見た。


(祢々は《鵺》がなまったとも言われている。そして妖怪・祢々を斬ったとされる刀が、いつしか祢々切丸と呼ばれるようになった。刀の本来の使い道は、宝物庫に飾られるためではなく、邪な《物怪》を斬るためのもの。そして姫の為に新たに打ち直された《退魔の刃》──)


 龍神はかつてこの刀を使いこなしていた燈の姿を思い出す。前と変わらぬ──いや、今の彼女はあの時と比べて少しだけ成長を遂げた。


「ぉおおおおおおおおんん!!」


 光の刃に斬り伏せられた《鵺》は絶叫し、もだえる。だが、まだ足りない。燈はもう一太刀浴びせようと刃を振り下ろす。

 斬った瞬間、色鮮やかなシャボン玉が空に舞う。それは儚くも美しい蛍火に見えた。

 ふと少女は浅間が《鵺》について話してくれた事を思い出す。あれは五月五日──賭けの勝負に勝ったあとの事だ。


(浅間さんは『人だったが《鵺》にさせられたもの、人をやめて《鵺》になったものをぶつけることによって、《理》を歪ませるのが目的』……て言っていたっけ。式神は『滅ぼされた者の影は色濃く残る』と言っていた……。でも、今回の《物怪》は想いを歪められて生まれたマガイモノ……)


「嗚呼嗚呼嗚呼……」


 《鵺》は崩れ落ち、その姿が保てず消えていく。代わりに《鵺》の中に残っていた何かが弾けた。それは古びた記憶だったのか、燈の眼前で映像が再現された。


 ***


 夕暮れの教室、子どもの賑やかな声であふれていた。黒板には六月と書かれており、窓の外は雨に濡れた薄紫色の紫陽花あじさいうかがえた。

 みなランドセルを背負って、我先にと元気よく教室を飛び出していく。室内に残ったのは三つの小さな人影だけだ。


「なあ、一之瀬。お前は夏休みどこか行くのか?」


 少女は大きめなランドセルを背負いながら、後ろの席にいる少年に振り返った。花柄のワンピース姿に、胸元の名札には「いちのせ かりん」と書かれている。腰まである長い髪、赤いカチューシャに、利発そうな少女はその言葉を待っていたとばかりに微笑んだ。


「当然、今年はハワイに行くの。くんは?」


「あー、おれは兄貴と一緒に店の手伝いかな」


 少年は刈り上げの髪型に、日に焼けた肌、愛嬌のある笑みが印象的だった。服装は黒いチェック柄のTシャツにズボン、少年の名札には「あおざき ゆうし」と書かれていた。


「じえいぎょう、って……大変だもん……ね」


 一之瀬の傍にやってきたツインテールの少女が声をかける。白いシャツにファンシーなピンクのスカート、彼女の名札には「にいふじ あやね」とある。


「二井藤は魚屋だっけ? 食べ物屋も大変だよな」


「うん……においとか……する」


 二井藤はその見た目と態度からクラスメイトに「魚臭い」と馬鹿にされることがあった。そのたびに蒼崎と一之瀬が仲裁に入る。そのやりとりは幼稚園から小学校に上がっても変わらなかった。


「暗い顔しないの。私がハワイで特別に……そう特別に! 珍しい花を買ってきてあげる。二井藤さんはかわいいペンダントにするから! 楽しみに待ってなさい!」


「おほほほほー」と古典的なお嬢様ぶる一之瀬は調子に乗って後ろに反り返ると、ランドセルの重さに耐えきれず後ろにひっくり倒れた。


「おー! さすが闇金」


「成金、よ!」


「いいんだ……成金で……。一応、名家なんでしょ?」


 二井藤が慌てて一之瀬を引き起こす。

「あー、もう。うるさい」と一之瀬がわめき、蒼崎は苦笑した。ツインテールの少女はあわあわとしている。


「でも、海外っていいよな! 海の向こうにはきっと珍しい花がたくさん、あるんだろう!」


「うん。きっと……珍しい魚もいると思う」


「本当に蒼崎くんは花、二井藤さんは魚にご執心ね。……まあ、いいわ。大人になったら三人で海外に旅行に行きましょう!」


「あー、っ言っても……おれんち、貧乏だし金ない」


「私も……」


「ちょっと、そんなんで、どうするのよ! 見たことのない花と魚をこの目で見たくないの!?」


「みたい! おれ、いくぜ!」

「うん……私も」


 息が合った二人の返答に一之瀬は鷹揚おうようにうなずいた。


「いいこと。三人でお金を貯めて海外を見て回るの。そして三人ででっかいことをするのよ」


 三人は約束をする。

 二十歳になったら一緒に海外を巡ろうと。そして一緒にいろんなものを見ようと──


 ──……でも、それは……叶わなかった──


 それは小さな囁くような声。


「!?」


 燈は慌てて身構えるが、周囲にそれらしい人影はない。《鵺》の体が崩れて光の残滓が宙を舞うだけだ。


「どうかしましたか?」


 龍神には聞こえていなかったのか、無表情な顔で少女を見返す。その声は燈の身を心から案じている柔らかなものだった。


「あ、ううん。何でもないです!」


 気のせいではないだろうが、少女は浮かび上がっている映像に視線を戻した。すると、あっという間に教室は泡となって消え、代わりに病室へと切り替わった。


 ──《神邑区神隠し事件》で、……蒼崎裕士あおざきゆうしくんは《神隠者かみいんじゃ》になって、は……意識不明の《未帰還者みきかんしゃ》に……なったの──


 再び聞こえた声はどもりながらも、必死に声を紡いで燈に告げる。否──燈にしか聞こえていないのかもしれない。


「私たち?」


 再び映像が流れると、病室を訪れる一之瀬と、小さな花束を持ったの姿があった。

 病室では六人の少女がベッドに横たわって眠っていた。規則正しい寝息が聞こえてくる。

 蒼崎匠は彼女らの机にそれぞれ花を生ける。みな《未帰還者みきかんしゃ》となり意識不明だった。その中にツインテールの少女も眠り続けている。


(あの子は……。じゃあ、二井藤は《未帰還者》だった? ううん、それより蒼崎先輩の弟と二人は幼馴染だったなんて……)

 それは真実の側面。人の立ち位置によってその見え方は大きく異なる。そして人間関係も情報から得られるものと、記憶から見えるものでは、その印象は天と地ほどの差異があった。


「……二井藤さん。珍しい魚図鑑……買って来たのよ。……蒼崎くんにもハイビスカスの花を買って来たのに……どこにも居ないんだって」


 一之瀬は眠り続ける二井藤に毎日声をかける。けれど、反応はなくまぶたすら動かなかった。


「……初めまして。キミが一之瀬さんだね」


 蒼井匠は柔らかな笑みを浮かべて、一之瀬に声をかける。


「あなたは……?」


「……祐士の兄、匠です。弟からキミと二井藤さんの話をいつも聞いていたんだ」と言葉を付けたす。

 それから一之瀬と蒼崎匠は病室で顔を合わすことが増えていった。《神邑区神隠し事件》の生存者である少年と、幸運にも事件を免れた少女。


「お兄さんは……、その……後遺症とか大丈夫、なんですか?」


「うん、……夜が少し怖いぐらい、かな。独りでいるのが……まだ……だめでね」


「そ、それなら……。夜の間はここでみんなの看病をするのはどうでしょう? それなら独りじゃないですし……! 父に話をすればたぶん、許可は下りると思います」


 困った顔で笑った蒼崎匠は「ありがとう」と答えた。

 それから毎日病室に花を届けに来た。彼女たちが戻ってくることを願って、何年も同じように、繰り返した。

 蒼崎匠のその献身さが、あの「自称ファンクラブ」を作るきっかけとなっているのだろう。──しかし、まだ謎は残る。


(《未帰還者》がどうやって目を覚ましたの……?)


 その疑問に答える者はいない。映像が消え──別の映像と形を成していく。

 数年経った少女たちの体は順調に成長していた。眠っていてもその発育は止まらず、病院のサポートによって健康維持、また肉体的なリハビリなどの介護も手厚くされた。もはや眠っている以外は普通の少女と変わらない。

 そんなある日の夜。この日は一ノ瀬と蒼崎匠の姿はなかった。

 こつこつ、と靴音が病室に響く。

 暗がりの中、まるで深淵から浮き出たような人影がそこにあった。


「ここね。強い願いを感じる場所は……」



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