第46話 鵺ではなく鵼・前編
大太刀──
(刀身が長いのに重くない?)
本来の力を取り戻した刀は、眩いばかりの煌めきを放つ。龍神は久しぶりのその刀の真の姿を見た。
(祢々は《鵺》が
龍神はかつてこの刀を使いこなしていた燈の姿を思い出す。前と変わらぬ──いや、今の彼女はあの時と比べて少しだけ成長を遂げた。
「ぉおおおおおおおおんん!!」
光の刃に斬り伏せられた《鵺》は絶叫し、
斬った瞬間、色鮮やかなシャボン玉が空に舞う。それは儚くも美しい蛍火に見えた。
ふと少女は浅間が《鵺》について話してくれた事を思い出す。あれは五月五日──賭けの勝負に勝ったあとの事だ。
(浅間さんは『人だったが《鵺》にさせられたもの、人をやめて《鵺》になったものをぶつけることによって、《理》を歪ませるのが目的』……て言っていたっけ。式神は『滅ぼされた者の影は色濃く残る』と言っていた……。でも、今回の《物怪》は想いを歪められて生まれたマガイモノ……)
「嗚呼嗚呼嗚呼……」
《鵺》は崩れ落ち、その姿が保てず消えていく。代わりに《鵺》の中に残っていた何かが弾けた。それは古びた記憶だったのか、燈の眼前で映像が再現された。
***
夕暮れの教室、子どもの賑やかな声で
みなランドセルを背負って、我先にと元気よく教室を飛び出していく。室内に残ったのは三つの小さな人影だけだ。
「なあ、一之瀬。お前は夏休みどこか行くのか?」
少女は大きめなランドセルを背負いながら、後ろの席にいる少年に振り返った。花柄のワンピース姿に、胸元の名札には「いちのせ かりん」と書かれている。腰まである長い髪、赤いカチューシャに、利発そうな少女はその言葉を待っていたとばかりに微笑んだ。
「当然、今年はハワイに行くの。
「あー、おれは兄貴と一緒に店の手伝いかな」
少年は刈り上げの髪型に、日に焼けた肌、愛嬌のある笑みが印象的だった。服装は黒いチェック柄のTシャツにズボン、少年の名札には「あおざき ゆうし」と書かれていた。
「じえいぎょう、って……大変だもん……ね」
一之瀬の傍にやってきたツインテールの少女が声をかける。白いシャツにファンシーなピンクのスカート、彼女の名札には「にいふじ あやね」とある。
「二井藤は魚屋だっけ? 食べ物屋も大変だよな」
「うん……においとか……する」
二井藤はその見た目と態度からクラスメイトに「魚臭い」と馬鹿にされることがあった。そのたびに蒼崎と一之瀬が仲裁に入る。そのやりとりは幼稚園から小学校に上がっても変わらなかった。
「暗い顔しないの。私がハワイで特別に……そう特別に! 珍しい花を買ってきてあげる。二井藤さんはかわいいペンダントにするから! 楽しみに待ってなさい!」
「おほほほほー」と古典的なお嬢様ぶる一之瀬は調子に乗って後ろに反り返ると、ランドセルの重さに耐えきれず後ろにひっくり倒れた。
「おー! さすが闇金」
「成金、よ!」
「いいんだ……成金で……。一応、名家なんでしょ?」
二井藤が慌てて一之瀬を引き起こす。
「あー、もう。うるさい」と一之瀬が
「でも、海外っていいよな! 海の向こうにはきっと珍しい花がたくさん、あるんだろう!」
「うん。きっと……珍しい魚もいると思う」
「本当に蒼崎くんは花、二井藤さんは魚にご執心ね。……まあ、いいわ。大人になったら三人で海外に旅行に行きましょう!」
「あー、っ言っても……おれんち、貧乏だし金ない」
「私も……」
「ちょっと、そんなんで、どうするのよ! 見たことのない花と魚をこの目で見たくないの!?」
「みたい! おれ、いくぜ!」
「うん……私も」
息が合った二人の返答に一之瀬は
「いいこと。三人でお金を貯めて海外を見て回るの。そして三人ででっかいことをするのよ」
三人は約束をする。
二十歳になったら一緒に海外を巡ろうと。そして一緒にいろんなものを見ようと──
──……でも、それは……叶わなかった──
それは小さな囁くような声。
「!?」
燈は慌てて身構えるが、周囲にそれらしい人影はない。《鵺》の体が崩れて光の残滓が宙を舞うだけだ。
「どうかしましたか?」
龍神には聞こえていなかったのか、無表情な顔で少女を見返す。その声は燈の身を心から案じている柔らかなものだった。
「あ、ううん。何でもないです!」
気のせいではないだろうが、少女は浮かび上がっている映像に視線を戻した。すると、あっという間に教室は泡となって消え、代わりに病室へと切り替わった。
──《神邑区神隠し事件》で、……
再び聞こえた声はどもりながらも、必死に声を紡いで燈に告げる。否──燈にしか聞こえていないのかもしれない。
「私たち?」
再び映像が流れると、病室を訪れる一之瀬と、小さな花束を持った
病室では六人の少女がベッドに横たわって眠っていた。規則正しい寝息が聞こえてくる。
蒼崎匠は彼女らの机にそれぞれ花を生ける。みな《
(あの子は……。じゃあ、二井藤は《未帰還者》だった? ううん、それより蒼崎先輩の弟と二人は幼馴染だったなんて……)
それは真実の側面。人の立ち位置によってその見え方は大きく異なる。そして人間関係も情報から得られるものと、記憶から見えるものでは、その印象は天と地ほどの差異があった。
「……二井藤さん。珍しい魚図鑑……買って来たのよ。……蒼崎くんにもハイビスカスの花を買って来たのに……どこにも居ないんだって」
一之瀬は眠り続ける二井藤に毎日声をかける。けれど、反応はなく
「……初めまして。キミが一之瀬さんだね」
蒼井匠は柔らかな笑みを浮かべて、一之瀬に声をかける。
「あなたは……?」
「……祐士の兄、匠です。弟からキミと二井藤さんの話をいつも聞いていたんだ」と言葉を付けたす。
それから一之瀬と蒼崎匠は病室で顔を合わすことが増えていった。《神邑区神隠し事件》の生存者である少年と、幸運にも事件を免れた少女。
「お兄さんは……、その……後遺症とか大丈夫、なんですか?」
「うん、……夜が少し怖いぐらい、かな。独りでいるのが……まだ……だめでね」
「そ、それなら……。夜の間はここでみんなの看病をするのはどうでしょう? それなら独りじゃないですし……! 父に話をすればたぶん、許可は下りると思います」
困った顔で笑った蒼崎匠は「ありがとう」と答えた。
それから毎日病室に花を届けに来た。彼女たちが戻ってくることを願って、何年も同じように、繰り返した。
蒼崎匠のその献身さが、あの「自称ファンクラブ」を作るきっかけとなっているのだろう。──しかし、まだ謎は残る。
(《未帰還者》がどうやって目を覚ましたの……?)
その疑問に答える者はいない。映像が消え──別の映像と形を成していく。
数年経った少女たちの体は順調に成長していた。眠っていてもその発育は止まらず、病院のサポートによって健康維持、また肉体的なリハビリなどの介護も手厚くされた。もはや眠っている以外は普通の少女と変わらない。
そんなある日の夜。この日は一ノ瀬と蒼崎匠の姿はなかった。
こつこつ、と靴音が病室に響く。
暗がりの中、まるで深淵から浮き出たような人影がそこにあった。
「ここね。強い願いを感じる場所は……」
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