第36話 異界という名の深淵・後編
予鈴が鳴り終わった後、校舎内で
時折、苦悩にあえぐ声や、獣のような荒々しい吐息が間近で感じる。
(ひい……! 近いし、怖い!)
『かかかっ、魔女の助力は得られた。これで多少の時間稼ぎはできよう』
こんな危険な場所にいても式神は
(それにしても……ドローンが
燈は
「式神。校舎内から室内プールに向かうけど、やっぱり外は通らない方がいいの?」
『然り。外にいたら霧に飲まれるからのう。その分、校舎内は魔女の術式と、小僧の護符によって守られておる』
「……この《異界》は黒い霧によって外と
『そうじゃが?』
「じゃあ、隔絶空間の一部に高エネルギーをぶつけて、
燈は浅間との勝負で使った力のことを思い浮かべる。式神の真名も思い出せない今、危険な行為だが少女の持つ《切り札》はそれだけだ。
いざという時の選択肢の一つとしての質問だったのだが、燈の苦肉の策を式神は
『駄目じゃな。結界と違って霧は散ってもすぐに密集する。もしこの空間を外、もしくは中から力技でぶち壊すのであれば──』
「あれば?」
『それこそ《八百万の神々》でなければ無理であろう』
「そっか」
神という言葉に燈は内心でドキリとした。先ほどの白昼夢を見て意識してしまっているからだろうか。だが、あの神様はこの場所には現れない──
この問題もまた
「まだ大丈夫だ」と。燈は
《MARS七三〇事件》の惨劇が燈の脳裏に過る。
見渡す限りの炎と黒煙。
悲鳴と狂った笑い声が木霊する──あの狂気に比べたら、現状はまだ救いがある。そう口元で呟きながら、燈は目的の室内プールの扉を開けた。
***
燈は恐怖を押し殺して、室内プールに足を踏み入れた。
ここだけは黒い霧が
さすがにドローン四機を起動したままだと音で気づかれるので、機体は途中で回収した自分のバッグの中に詰め込んだ。それに合わせて式神は燈の影に戻る。
(どういう理屈なのは分かんないけど、式神の活動範囲は《異界》の中の方が、現世より都合がいいのかな? んー)
詳しく聞こうにも燈にはその資格はない。
真名を思い出せない今は──
室内プールは体育館と同じくバスケットコート二つ分の広さで、一昨年に改築されたプール設備は新品同様で清潔感があった。プール内に人影はなく、わずかに揺れ動く波がガラス張りから覗くことができた。
女子生徒の姿はどこにもない。
室内の構造はプールを一望できるガラス張りの廊下と、その奥にある更衣室とトイレだけしかない。となれば可能性が高いのは更衣室、次いで女子トイレだろう。
燈はじりじりと嫌な気配に立ち向かうべく踏み出す──のだが……。
『今のうちにあの小僧に連絡をとっておけ。いざという時に盾ぐらいにはなるだろう』
「盾って……。でも携帯、圏外だったんだけど?」
『いいから電話でもメールでもよい。連絡を取ることが重要なのじゃ』
式神に
「電話をかけたけど、繋がらなかったよ?」
燈は不服そうなに自分の影を見つめたが返事はない。
それどころか式神の気配も消えた。
「…………え、式神?」
キョロキョロと周りを見渡すも、完全に気配が途切れてしまった。
(こんな時にどこ行ったのぉおおお!?)
それでなくとも戦力のない燈は悲鳴を上げそうになった。
燈がノインに連絡を取ることによって、式神は影を通してノインの元に移動する。もっとも主人である燈は記憶を失っているので知る
式神はノインに「さっさと室内プールまで来い」と脅し──助言を行うと、すぐに燈の影に戻った。
(ふむ。これで打てる手は打ったか)
ちゃぷん、と式神は燈の影の中で跳ねた。
少女にその音が聞こえる
「式神?」
燈は覚えのある気配と、花の香りで式神の帰還に気付く。
(この花の香り、どこかで……)
『どうかしたか?』
式神は微妙に涙目になっている少女に声をかけた。
「どこに──……ううん。急ごう」
燈は目じりに浮かんだ涙を
出来るだけ足音を立てずに更衣室まで近づくと、女子生徒たちの声が聞こえてきた。
『どういうこと! 一ノ瀬先輩と連絡がつかないなんて』
『やばいよ、絶対にこれ……まずいって』
聞こえてくる女子生徒の声は平常心を失い、かなり取り乱しているようだった。声と、物音、気配から予測して人数として十人以上はいる。思った以上の人数に燈は飛び出していくのを
(ノインから貰った
燈は
「手榴弾と同じものだろうか」と考えるが、そもそも日常生活において手榴弾の正しい扱いかたなど知るはずもない。閃光弾は前に使ったが、ノインから渡されたのは最新型なのか見たことがないスプレー缶になっている。
(ピンを外せばよさそう……?)
燈は悩んだ。
威力がシャレにならない可能性がある。特に狭い室内だと目や耳に後遺症を残す場合もあるのだ。なによりピンを外して三秒以内に効果が出るとしたら、ドアを開ける手間を考慮すると現実的に無理そうだった。
(せめて使い方の詳細を把握していれば……)
燈は
「式神、わかる?」
『知る訳なかろう』
「なんでだよ。映画には詳しいくせに!」
燈は声を出来るだけ落して小声で式神をなじった。
『映画は関係なかろう! たぶん、きっと、おそらくじゃが、ピンなどを外して、ドアを開けて投げ込めばよかろう!?』
「たぶんとか、きっととか多くない!?」
ここに来て燈と式神のしょうもない問答が始まりかけた時だった。
がたん、と椅子がひっくり返ったような音が女子更衣室から聞こえた。
『蒼崎様が来ていたの。絶対に私たちの所に話を聞きに来るよ。どうしよう』
『落ち着きなって! わ、私たち別に悪いことしてないじゃない。だいたい一ノ瀬の命令で噂やあのオマジナイを広めただけでしょ!』
『そ、そうだよ。私たちは被害者だって』
ざわつく女子生徒達の声が
燈が行動に移る前に、
酷く嫌な、鈍い音だ。
『ほら。……みんな、慌てない。……会長は今も……蒼崎匠と交渉するための……材料をそろえている……途中なんだから、私たちは……せっせと《黒い手紙》を……書きましょう』
『で、でも……、
式神はその名前に心当たりがあった。浅間龍我が読んでいた報告書の中にあった名前。確か、
死んだ人間が生き返る。否、既に人でないとしたら――式神は急ぎ影から飛び出さんと動き出した瞬間。
『このままじゃ……ヒヒ…、私たちも……ああ……消させる!』
『あひゃヒャヒャ……だから最初に全員で口封じをしておけば……アア! 良かったんだ。そおおおお……そうすれば一ノ瀬先輩が……アアアア!』
『ちょ……、やめなって!』
言い争う声が飛び交い
不安と焦燥──過度なストレスが人の限界値を超え暴走した瞬間だった。
(これ、絶対にまずいっ……!)
燈は現場の収拾をつけようと護符を手に、ドアノブを引いた。
刹那、圧縮された高エネルギーが一気に
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