第7話(1)「教訓?」「それっぽいことや」

(七)


「ええ思い出来たか? 坊主」

「いつからいてん」

「最初からやな」

 綺麗な女子高生と並んで会話しているというのに、話し方がまるで知っている男、いや、オスだったので、次第に腹が立ってくる。スカートを穿いているのに狸は堂々と足を組み、そして腕まで組んで、ふん、と威張り鼻息を散らした。状況だけでなく、行動でもぼくを挑発する、くそムカつく。「中高生のデートをのぞき見していた」という情けない行動をとっていながら、どうしてこうも偉そうな顔つきでいられるのか。もっと有り難いことを何度かしてからやってくれ。

「都路里に行くバスの中も?」

「なんか疲れたおっさんやってたわ」

「都路里の中は?」

「あんときはな、なんかインスタグラムとかではしゃぎそうな女やったわ。あっ、こっちにはインスタあらへんか」

「じゃあ、あの橋のとこでも?」

「あんときはトカゲやった」

 バスが、がたん、と揺れる苛立ちが狸へと向かっていく。全く呆れた狸である。ロクでない神様だと思っていたが、人の話を盗み聞きしたり、化けて追いかけまわしたり。これでは水木しげるの妖怪図鑑に載っても不思議ではない。「神様であると主張しながら姑息に人の話を盗み聞きする妖怪である」これでどうだ。あとは奇怪なイラストを用意するだけだ。

「なんでそんなこそこそと。神様やのに」

「デートの邪魔したらあかん思うたんや。粋な計らいやんか」

「そやったら普通はデートについてこーへんわ」

 そんなぼくの言葉なんてまるで山羊の鳴き声であるかのように、狸は聞き流してそして鼻で笑う。誇るものなど何もないはずの神様のくせに、なんなんだ。きっと、この性格が災いして狸は祠から追い出されたに違いない。それで浮浪者みたいな神様をやっているのである。

「しょーもない神やなあ!」

「なんやて! お前かて童貞の権化みたいなことしかやってへんやんけ!」

「なに言うてるん!」

「会話中、ずっともじもじしてて見てて腹立ったわ。こうやってずっと股間に手を当てて、なんやあれ」

「しばくぞ!」

 バスはちょうど東福寺通という停車場を通過したところであった。通りは細く、古い商店が並んでいて、ぼろぼろの町屋の中にたたずむ豆腐屋さんの豆腐なんて夏の暑さで溶けてしまうんじゃないかって思える。

狸は相変わらずぼくのダメ出しを延々と語り続けている。狸は一体何がしたいのか。今までの苛立ちが不意に疑問へと変わり、ぼくの胸の奥はぐるぐるとかきまわされる心地である。

「狸は何がしたいん?」

 ちょっとした冗談のつもりだった。

「なんなん。ナツキちゃんのことが好きなん?」

 そのときである。饒舌だった狸の口が、ぴたり、と止まった。代わりにバスが、がたん、と一度揺れた。つり革が揺れる音が聞こえるような一瞬の静寂のあと、バスのエンジンの音がぐるぐると辺りを埋め尽くす。次に狸が口を開くのか、ぼくが口を開くべきなのかはわからない。ぼくは口を開いた。でも声は出なかった。エンジンの音が、ぼくの口から出ているような気がした。

 そして狸は長い髪をさらりとかき分けて、ふう、と一つ呼吸を置いた。

「アホか」

 隣の女子高生の表情は硬直して熱っぽい。

 えっ。

 マジで。

 女子高生は自分のローファーを黙って眺め続けた。しばしの沈黙は、誰かが押した降車ボタンの、ぴんぽーん、という音や、少し強くなったエアコンの音が埋めてくれた。ぼくは再び女子高生の表情を見る。その硬直は、歯を食いしばるような力み方によるものだった。目には潤いが帯びはじめる。ひょっとして、大変なことをしてしまったんじゃないだろうか。これじゃあ、ぼくが女の子をいじめているような図ではないか。

「えっと」

「なんや」

「なんか、ごめん」

「なんで謝んねん」

「いや、なんか、謝らなあかん気がしてきて」

「なんやねん、それ。わしの図星ついたと思うてるんか」

 その通りなんだけど。

ぼくの沈黙を狸は正しく解釈したようだ。隣の女子高生の頬の色は赤みを増す一方だ。何も知らぬ人が見ると、その様子はいたく可愛らしいものであろう。

「あの、狸、えっと」

「なんやねん」

「いや、その、狸って、神様やねんな」

「せや」

「神様ってさ、えっと……、恋とか、すんの?」

 ばん、と女子高生はぼくの肩を殴った。

「悪いんか! こんの、阿呆!」

「いや、知らんけど!」

「人を好きになるんに人間も神もへったくれもあるか!」

「認めんな! 折れるんかそこで!」

「ええか、坊主。ワシはお前とは違うんや。ワシと違ってな、お前は、自分が好きになってるって認める度量が無いんや」

「いやいや、恋してるって認めてるほうがやばいて!」

「恋恋うるさい!」

「お前や!」

 周囲から見ると口の悪い女子高生と男子中学生の喧嘩であるが、実は人間と神の威信を賭けた非常に意味のある戦いである。狸は自分の恋心をみとめるや否や、饒舌になり、そしてぼくを言い負かそうと罵詈雑言を放つ。神様にあるまじき支離滅裂な言葉の数々は男子中学生を閉口させる。なぜだろう。小説の中では恋というものは例えば花や星の光のように表されるというのに、どうしてこのような、桜の花びらが落ちたどぶ川のような残念さがあるのだろう。

「色恋沙汰も覚えたてのくせに! こっちは何千年生きてるおもてんねん!」

「何千年も生きてるなら十七そこらの女の子の恋すんな!」

「恋愛に年齢も関係あらへんからな」

「年齢いうレベルやあらへん」

「だいたいワシの気持ちは恋やない、愛や」

「わからんわからん」

「そらお前にはわからんやろな!」

「なんで偉そうにすんねん!」

「そういうもんや! ボケッ! 次にワシに恋とか言うたらどつきまわすぞ!」

「恋」

「あっ、もうあかん、怒ったでワシは!」

 しかし、ぼくは心の奥底では今の状況を楽しんでいた。自分の胸の内にある気持ちをさらけ出すことなんて、絶対気持ちの悪いことだと思っていた。でも、実際はそうではなかった。せき止めていたものを一気に流しつくすような開放感。その快感は、自分への酔いが回るほどのものであると気づいてしまった。

「もうええ! もうあかん! ワシはもうおしまいや」

 狸はそんなぼくを放置して、ものすごく雑なまとめ方で話をまとめようとした。

「自分から認めといて何言うてんねん」

「もうええ。何も言うな」

 とにもかくにも、原型が畜生の神様の人間臭さにぼくは言葉を失っていたので、何も言うな、という狸の指示には簡単に従うことが出来た。ここで何を言うべきかわかる者がいたら、それこそ神様である。

いつの間にか外の景色も見慣れたものになっていた。もうすぐ稲荷大社が見えるはずである。話を逸らす、という判断をぼくはとることにした。

 すぐそばに稲荷駅があるところまで来た。ぼくはふと思い浮かんだことを、そのまま口に移すようにして言葉にする。

「あ、安曇野さんから聞いたんやけど、そっちの世界のお稲荷さんには鳥居がいっぱいあるんやってな」

「ん? ああ、こっちの世界には鳥居あらへんからな」

「鳥居ってなんなん?」

「まあ、門みたいなもんや。神様専用の。真ん中は神様が通るんやから通ったらあかんねんで。まあ、この世界にはないみたいやけど」

 そういえば、先ほどナツキちゃんにもこの話をしていた。それでまた思い浮かんだのかもしれない。

「ナツキちゃんが、でも、この京都の山奥のどっかに一個だけあるって噂あるって言うてたわ」

しまった。ナツキちゃんの名前が出てきた。ぼくは、はっ、として狸の表情を窺った。すると狸の表情は、まさに目を丸くした、というようなものに変わっていた。気に障ったのだろうか、とぼくは慌てて前を見る。ちょうど次は稲荷大社前だと電光掲示板は示している。

「それ、ほんまか?」

 えっ? 思わず狸の方を見る。その顔つきはいつになく、真剣だった。頷く他ない圧を感じた。ぼくは、その圧に押されるままに、首を縦に動かした。

「坊主、すまんな」

 狸はそう言って、そのまま真っすぐ前を見て黙った。ぴんぽーん、と誰かが降車ボタンを押した音が鳴る。狸の言うことの意味がまるでわからなかった。ただ、もやもやしたものが胸の中に溜まっていく。

「なんで謝るん?」

「いや、なんでもや」

 狸の表情は、先ほどまでの威勢なんて夢かと思えるほど暗くなっていた。

「どうしたん? ぼく、なんか言い過ぎた?」

「違う。お前はなんも悪くない」

「せやったら――」

「はい、もうええ。もう終了」

 ぼくは、狸に対してなら何でも話せるのかなと思っていた。それほどまでに、ぼくは狸に対してシンパシーみたいなものを感じていたのだ。神様にシンパシーなんて、全く失礼な話ではある。狸は、突然、そんなぼくを突き放した。

「なにがあったところでな、仕方ないんや。人を好きになっても、坊主に謝っても」

 ぼくは、少し歩み寄ろうとした。

「狸は、元の世界に帰らなあかんから?」

 狸は、寂しく、呟いた。


「ワシはナツキちゃんを、お前を、殺してしまわなあかんかもしれへんから」


 ぴん、と空気が張り詰めた。それは、バスのエンジンが止まったから、というわけではない。そこにもう何も入る余地のないような空気。言葉すら声に出せば弾かれてしまうような緊張感。目すらも動かすことが出来ない。動けば、ガラスのように粉々になってこの空間が消えてしまうような気がした。

 冗談やんな。

 そんなことを言ってしまうと、狸とぼくとの間をつなぐ、張り詰めた一本の細い糸は切れてしまう。切れてしまったあとにはどうなるかはわからない。ただ、もう二度と元には戻らない。ぼくと狸の関係も。ぼくとナツキちゃんの関係も。そして、ぼくとこの世界との関係も。

 その空気が終わったのは、バスが青信号に急かされて進んだときだった。ただ、ぼくたちは何も言うでもない。窓の外を見ると、深草駅が近くに見えた。

そのまま、ぼくたちは何も話すことなかった。ただバスに揺られてエアコンの埃臭さに、少し鼻が痒くなった。

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