第4話(1)女の子に送るメールはいつだってラブレターだ
(四)
「せや。ワシは神様や」
スイカを齧りながら狸はそう言った。むしゃむしゃと咀嚼したあとは、丁寧に種を一粒ずつ吐くというスタイルを励行している。ぼくと安曇野さんはその向かい側でスイカにスプーンをさっくりと入れ込んだ。父はナイフとフォークでスイカを器用に食べている。そして、あの女の子、ナツキちゃんは、スプーンを片手に狸の様子を微笑んで見ている。ぼくは、ただただ可愛いな、と思った。
「でも、この世界の神様とちゃう。その、安曇野はんと同じ世界やな。そっちの世界の神様なんや。まあ、ようわからんやろけど」
それを聞いて安曇野さんは、はてな、という顔をした。恐らくこんな喋る狸なんぞ、向こうの世界でも見たことないのであろう。この向かい側の毛むくじゃら、いかにも畜生という臭いを放っていて、表情なんて三種類ぐらいしかないようなこの動物が、言葉巧みに「えらい食感がええな、甘味もウリ科の域を超えとるで」とスイカの感想まで述べているのが受け入れることなんて容易に出来るわけがない。
「とりあえず、同じ世界から来た安曇野はんに会えてよかったわ。ずっと探してたんや」
そして狸は安曇野さんをじっと睨み、こくん、と頷いた。安曇野さんは、勿論頷くわけがない。
「たぬ神さまと呼んでくれや」
話をその前日の夜に戻そうと思う。
といっても、ぼくは意識を失っていたからだいたいのことは伝聞である。父や安曇野さんのことだからどう脚色したのかはわからない。でもただ一つ確かなのは――。
「いや、最高の夜やった」
父のこの言葉は嘘であるということだ。そんなわけ、あってたまるか!
さて。まずはぼくが意識を失うところからだ。
あのときぼくは、カップに注がれていたオロナミンCハイを一気に飲み干して意識を失うって、そのままびたんと横に倒れこんでしまい、「ふへえ」と情けない声をあげて動かなくなってしまったという。
「ところでお前、ナツキちゃんのパンツは見えたんか?」
うるさいエロ親父。話を進めさせろ。だいたい彼女が身に着けていたのはワイドパンツでありスカートではなかった。
話を戻す。ぼくが突然倒れたのに驚いた彼女、
「富良野ナツキって言うんだって。私と同じ名前なの。まあ、ナツキって名前の女の子はだいたい可愛いからね。でしょ。ナツキちゃんって呼ぶね」
ナツキちゃんは、花火を持って走り回っている父と、噴き出し花火を縦に二つ重ねて火を点けようとしている安曇野さんに、慌てて声をかけ、ぼくが突然倒れた旨を伝えたという。
「ほんまになあ、いきなり倒れはったからなあ。びっくりしたわあ」
安曇野さんと父は慌ててぼくのもとにやって来ると、いや、その慌てはきっと危機感とかではない。ややこしいから言い換えよう。ワクワクしながらぼくのもとにやってくると、空いたカップを見てけらけら笑い転げ、そして意識がないこと、呼吸や脈拍はしっかりしていることを確認すると、ぼくの顔にペットボトルのミネラルウォーターをぶっかけ始めたというのである!
「お前の親と担任の先生は鬼やで。神様もビビるわ」
それに仰天したのは意識を取り戻して事情を聞いたぼくだけでなく、その場にいた狸もそうであったようで、「アホか!」と思わずツッコんでしまったらしい。
狸が喋る、父の「面白いことレーダー」はそれに反応した。ぴん、と視線が狸に向けられ、そして父はにやりと笑うと、連写カメラでもその動きの過程を捕らえることが出来ない程の素早さで狸を捕まえたという。
「ほんま、あのときはポストニューウェーブの時代が来たと思ったで」
よく分からんからちょっとエロ親父は黙ってて。狸は賢く、暴れて逃げるよりも自分が喋る狸であることを認めたほうが諸々やり過ごしやすいと察し、父に「安曇野さんを捜しにやって来た神である」と説明したらしい。
兎に角落ち着いて話をすべく、ぼくを放置して三人と一匹が東屋のほうに移動しようとしたときのこと。懐中電灯らしき光が遠くの方に確認されたのだ。「ポリさんや」、とそこにいた誰よりも目の良かった狸の呟きに三人の人間はすぐさま反応し、父はぼくを、安曇野さんはその場にあったバケツや荷物を、そしてナツキちゃんは狸を抱えてコインパーキングまで全力で駆けだした。
「いやあ、やっぱ花火の最後は逃げてなんぼよね。とっても心が躍った! 最っ高! って感じ」
車にいそいそと乗り込んだ父たちはそのまま自宅の方へと向かった。
安曇野さんとじっくり話をしたい、と申し出た狸の要望に応えるべく、父はナツキちゃんと狸を家に連れて帰って話をしようとしたのであるというが、安曇野さんは完全に酔っ払ってしまっていて、家に着くや否やシャワーを浴びてそのままソファで寝てしまったらしい。
取り残された狸やナツキちゃんは、なんともしようもなく、ナツキちゃんはこっちの世界の人で、しかも家に帰らねばならないというのが明らかになったときには、父はすでにビールを飲んでしまい運転が出来なくなってしまったというので、彼女たちはここに泊まることになったというのだ。
「いや、ほんまにみんな何してんの」
頭が痛いながら、頑張って出た言葉なのに、そこにいた狸以外は、にいっ、と笑った。
「面白いからええやんか」
ええわけあるか。
さて。菜月ちゃんについて語ろうと思う。
富良野ナツキ。公立西京高校の高校一年生。ちなみに西京高校というのは、ぼくの行く公立西京高校附属中学校の母体にあたる。つまり、ぼくが二年後行くことになっている学校だ。
深草に住んでいるぼくとは違って、彼女は七条のあたりに住む。七条と言えば昔貴族たちが住まうとされていた平安京の中にあたる。つまり彼女は貴族であり、そして平安京の外に住むぼくや父は、農民もしくは妖怪である。
彼女は、兎に角可愛かった。
顔立ちはとても整っているし、「雰囲気」というものがある。どうしてもこの雰囲気というものがぼくには日本語に出来ない。ふわふわというか、ぼんやりというか。安曇野さんから漂うものとは少し違う。それでも、彼女も絵になる女の子だった。水彩画の中に溶け込むような、そんな感じで。
彼女はよく笑う子だった。ただ、安曇野さんみたいにけらけら笑うというよりは、絶えず微笑みを浮かべるような子である。狸の神様が何か言うたびに微笑んで、父がアホなことを言うたびにくすくすと笑う。同じテーブルで会話しているなか、ぼくの言葉で笑ってくれないかな、とぼくはずっと思っていた。勿論、ぼくが口を挟むことはなかった。
彼女が狸の神様と出会ったのは、八月に入ってすぐのことであったという。
ひょんなことから出会った、と彼女は言っていたが――
「なんか、空からふわーって、やって来はってなあ、一緒に御座候食べてん。ちょうど伊勢丹で買ってきたとこやったし」
というような感じであり、とても「ひょん」で済む話ではないだろうと思う。
狸は当初、この世界の人と関わるつもりはなかったというが、いつの間にか彼女の家に住むことになり、いつの間にか同じ行動をしていたという。
しかし、少し会話しただけなのに、なんとなく狸のその気持ちがわかってしまう。彼女は独特な世界観を持っていて、人とは少し違うリズムで生きているのだが、不思議とそれに引き込まれてしまう、そんな女の子だったからだ。
「いや、なんかナツキちゃんには敵わんわ。わしゃ帰るって言ったらな、『えーっ。今度一緒に美味しいみたらし団子食べよう言うたやん』って言われてな、なんか、それやったらええわ、みたいな」
「団子に負ける狸、ですか」
「まあ、所詮狸や」
「たぬ神様や言うてるやろ、お前ら大人二人はどうしようもないな」
狸の目的はというと、元の世界へと戻ることである。しかしその方法は分かっておらず、途方に暮れていたところ、同じ世界の住人である安曇野さんの存在を知ったのだ。彼女なら何かこの世界から帰る術を知っているに違いない、と。そして彼女に会おうとしたのが、それが、あの花火の夜だった。
「それで、互いに出会って今こうしてスイカ食べながら話してるわけだけど、何かわかった?」
「いや、なんもわからん」
しかし、安曇野さんと狸の目的は同じはずである。二人は互いの持っている情報を確認しあい、そして首を捻り、兎に角これからも互いに手を取り合うことを二人、いや、一人と一匹は誓い合ったのだった。
それにしても、ぼくは「狸の神様」という存在について、もっと深く考えるべきだと思うのだけれど、父は「たぬ神か。たぬ吉やったらあかんのか?」と述べ、安曇野さんは「狸って思ったより毛深いね」と言い、ナツキちゃんはくすくすと笑うだけだった。ぼくが、おかしいのだろうか。
朝食とデザートのスイカを食べ終わり、一通り話が落ち着いたとき、父は「菜月ちゃんを送っていくわ」と車を外に出しに行った。安曇野さんは店の支度をしなければならないと言って、開店準備に取り掛かっていた母の手伝いをしにと慌てて支度を始めた。
玄関にまでナツキちゃんを二人で見送るまでの間でも三人と一匹でこの世界はどうだとか話していた気がするけど、なんにも頭には入ってこなかった。いろんなことがいっぺんに頭に詰め込められたこともあるけれど、それほどぼくの頭の容量は小さくないはずだった、と信じたい。一つのことが大きすぎたのだ。
ナツキちゃんと、また、会えるのだろうか。
彼女が白のスニーカーを履いて、つまさきでこんこんと床を蹴る。その仕草も、その瞬間だけ、いつもの何十倍ものコマ数の絵が使われているような気がするほど、じんわりとぼくの目に焼き付けられていく。扉の窓から差す光のつくる彼女の影が、揺れ動いているのが不思議だと思った。そんなこと、当然なのに。
「せやせや」
ナツキちゃんは、ぽん、と手を叩くと、トートバッグから、水色のスライド式の携帯電話を取り出した。
「アドレス交換しよ。そのほうが会いやすいもんなあ」
う、うん、と声が出ない。ただぼくは慌てて自分の携帯電話を取り出すことでそれに答えた。
「赤外線でええ?」
「なつかしー。まだ赤外線とかやってんだ」
「安曇野さんはどうしてはったんですか?」
「もう、連絡先なんて誰もが勝手に持ってる時代だしね」
富良野ナツキ。彼女のアドレスが、ぼくの携帯電話に保存された。ぱたん、と携帯電話を閉じて、何かを言わねば、とぼくは思って、でも何を言えばいいのかわからなくて、扉から出ようとする彼女が手を振るのをずっと見ていたいと思うだけで、どうしようもなくて、扉は光を遮るように閉じられていく。
その一瞬の間、狸が少し神妙な表情をした。狸になんて表情はないはずなのに、その狸の表情はどうしても寂しそうに見えた。
「せや、安曇野はん」
狸の声は、振り絞るような声だった。
「あんまり、仲良くなりすぎんときや」
安曇野さんは、すぐさま答えた。
「別れる時が寂しいから?」
狸は、首を縦に振らず、せや、と言った。
「それも、ある」
そして扉は光を漏らすことなく閉じた。
少し、その場に立ち尽くしていた。多分お互い何を言うべきかがわからなかったんだと思う。誰かが通り過ぎたような感覚。虫とか霊とかそんなんじゃないけれど。そのあとになってようやく、安曇野さんは口を開いた。
「可愛い子ね。ナツキちゃん」
いつの間にか声の出し方をぼくは思い出していた。
「同じ名前やな。安曇野さんと」
安曇野さんは、ふふん、と笑った。
「私のことナツキちゃんって呼んだら、刺すよ」
ぼくは、ははっ、と笑った。
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