第318話 【閑話】手紙
広大な王城の一角。
白い石を積み上げて建てられた、美しい棟の上層階。
全身に白い布を巻きつけたような、質素ながら上品な格好をした老年の女性が手紙を読んでいる。
半円形の木窓は開け放たれ、ロウソクや照明の魔道具に頼らずとも手紙を読むことを苦にしない程度の光が差し込んでいる。
廉価な分、デコボコが目立つ茶色がかった紙に書き付けられた、よく言えば勢いのある、率直に言えば読みにくい文字を追う女性の表情は、次第に曇りを帯びていった。
決して広いとは言えない部屋の前で、部屋の主に背中を見せる屈強な2人の護衛を除けば、その場にいるのは紙束を抱えて部屋の主の反応を見守る、背の小さなトゥトゥック族の男性のみである。
少し読み進めては少し前に戻り、慎重に読み解いた部屋の主たる女性は、ため息とともに手紙を机の上に放った。
少し乱暴に放ったせいで、手紙を構成する紙は不揃いに散らばり、男性はわずかに眉を顰めた。
「トリー、その様子では、あまり良い報せではなかったようだが」
「ええ、まあね。送り主のことは知っているでしょう? 俗物に対する、良い牽制になるかと思ったのだけれど」
「聖軍の裏切者だろう?」
「そう。まあ、彼は良くも悪くも真っ直ぐなだけ。裏切ったのはどちらかしらね?」
「その手の話に興味はない。律儀に手紙を送りつけてくるくらいだ、良き手駒になろう?」
「手駒、なんて器ではないわねぇ、彼は。だけど、フラフラしていたと思ったら、何をしていたと思う?」
「分からん」
「怪しい異世界からの来訪者を見つけて、襲ったって。で、逃げられたって」
「……は?」
「そうよねえ、そう思うのが私だけでなくて、安心した」
女性は乾いた笑いを漏らし、苦笑とともにウィンクしてみせた。
「……仮に彼の頭が正常だったとして。そして、来訪者とやらも真実だったとして、何故襲うんだ?」
「あら。貴方、流石にそれは問題かもよ。仮にも左府の高官でしょう」
「魔王の手先だから、とでも言いたいのか?」
「魔王を信じているかは分からないけれど、聖典の始めに書かれていることですもの」
女性は聖典の文章を諳んじてみせた。
それは相対する男性にとっても耳に魔物が湧くほど聞いた文言であり、顔を僅かに歪めて退屈を示した。彼はそれを有難がっているわけでもなかったので、猶更だ。
『ある世界は怠惰のために衰退し、ある世界は欲深いために相争い瓦解した
しかし、最後に創られた世界は互いに助け合ってよく働き、繁栄を極めた
その繁栄に嫉妬した欲深い世界の住人は、繁栄した最後の世界を手に入れようとした』
……つまり、この世界に生きている我々「最後の世界の住人」に嫉妬し、その座を奪わんと虎視眈々と狙っている異世界人がいるかもしれない、ということだ。
ただ、異世界人だから敵対すべきかというと、そうと決まっているわけでもない。
続く文章では、嫉妬した「他の世界の住人」が魔物を送り込みはじめたということになっている。つまり「嫉妬した世界の住人」以外にも異世界の住人がいてもおかしくないし、魔物を送り込んだ者に同調しているとも限らないのだ。
むしろ反省し、神の教えをもって更生し、同じように魔物と戦っている、かもしれない。
それどころか、男性も最近知ったことだが、最近現れている異世界からの来訪者を名乗る者たちの世界の中には、魔物が出ない世界が多いのだという。
左府の中では飛びぬけて信心が浅いという自負がある彼だが、「それでは、かの世界の住人が本当にこの世界に『嫉妬』するのだろうか?」と思わず考え込んでしまった夜もあった。
「……欲深く、相争っておる我々は、果たして本当に『最後の世界』とやらの住人なのかね?」
「あら。そのようなこと、信心深い方に聞かれでもしたら、流石に庇えませんわよ」
「知ったことではない。興味があるのは、この紙の束を片づける方策だ」
「帝王の側近にでも持ってゆけば、興味深い使い方をしてくれるのではないかしら」
「それは『片づけた』とは言わん」
女性は深く息を吐き、紙束を机の隅に追いやると、軽く机を叩いて見せた。
「ここに置いて頂戴」
「その手紙の主はもう良いのか?」
「彼は、引き続き文通友達ね。それ以上の手を割くつもりはないわ」
「ふむ。相手は?」
「え?」
「そいつが逃したという、異世界の来訪者らしき人物は?」
「ああ。それが、彼、その点は何も書いていないのよ」
「そうか」
探ってみるべきか、と口に出し掛けて、男性は口をつぐむ。
元聖軍の主軍隊長だろうが、今は一介の流民に過ぎない男に、わざわざ四六時中影を付けるような真似はしていない。そも、左府が動かせる影というのは帝王や、または右府と比べても比べようがないほど少ないのだ。この局面で、貴重なリソースを割くほど愚かではない。
それでも、元聖軍の男は自分の行動を手紙に詳細に書いて寄こしているのだ。
それを辿って調査すれば、男が相対したという「来訪者」らしき人物が誰なのか、分かるかもしれない。
しかし、分かったとして何になるのか。
公国の一件で、今の時代にかつてないほどの「来訪者」達が訪れているらしきことは分かってきている。その多くが既に死ぬか、公国に移動していることも。
同じような人物が1人特定されたところで、それが死のうが公国に移動しようが、正直左府には関係のないことだ。
公王が何を考えているのかは不思議だが、帝王とその側近どもは何やら得心しているらしいから、わざわざ口を挟むようなことでもない。
そんなことに手を割くことになったら、ただでさえカツカツなリソースを無駄にしてしまうだろう。
そんな計算が頭を巡り、男性は考えを追いやった。
そして手にした書類を几帳面に整えなおしながら、女性の机の上に並べた。
女性も似たようなことを考えたのだろうか、それ以上、手紙を寄こした白狼族の男に関して、特に何も言うことはなかった。
代わりに机上と話題の俎上に乗ったのは紙の束。
それらは、各地の教会組織、神殿、教会と関係の深い貴族領などを調査した資料である。
今まさに男性を悩ませているその資料は、「集めてみたものの、どう扱えば良いのか分からない」という類のものであった。
何故女性がそれらを求めたのか、また通常のレポート形式ではなく数字や証言をそのまま乗せることに拘ったのか、男性は完全に理解しているわけではなかった。
「あら。思ったよりは良いわね」
「指示通り、主観は極力除かせた。それで? これを分析するのは、我らでやれと?」
「私がやるわ」
「……なんだと?」
「私がやるわ。行事も目白押し、戦争の気配も濃くって、忙しいどころじゃないけれど」
「そこまで重要なことなのか? これが?」
紙の束に目を落としていた女性が、チラリと上目遣いになって男性を一瞬見た。
そして、間もなく伏せられた。
「ええ。これは私の仕事だもの。最後の大仕事」
「トリー?」
「左府のまとめ役なんて退屈な仕事、私も貴方も良くここまで続けて来られたわよね」
「誰かがやらねばならん事だ」
「そう。で、最後に、とびっきりの仕事が舞い込んできただけ。私はいつも通りよ」
「貧乏くじだな」
「理想を叫ぶ連中は、良いわよね。分かりやすくて面白い空想に飛びつくだけだもの」
「……」
キュレス帝国左府、トリー・フィフィは微笑んだ。
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