第311話 童貞
戦場跡で遺体を確認していると、魔物の気配が近付いてきた。
周囲にはいくつかの団体の護衛たちがいて、人数的には揃っている。ただ殆どの戦闘要員は護るべき雇い主を背後に抱えており、自由に動ける感じではない。
この場で指揮を取るヒトもいないし、連携には期待しない方が良いだろう。
ひとまず、近付いてくる3体のうち、俺たちに向かって来る1体に照準を合わせることにする。
残り2体は少し離れているから、他の奴らが相手になるはずだ。
複数の魔物にターゲットにされるようであれば、後退しよう。護るべき者がいないのが俺たちの強みだ。
俺たちが退けば、自然と近くの奴らが狙われるはずだから、そこからまた1体を狙うという寸法だ。
「来るぞ! サーシャとアカーネは他の2体に注意してくれ」
俺とスノウを最前線に置き、キスティとルキでサーシャとアカーネを護るような陣形。
初撃は死ぬ気で防ぐ。気合いを入れて剣を握る。
「ルリリリリー!」
巻き舌のような鳴き声がして、森から姿を現したのは、不気味な魔物。
蛇のような胴体に、前脚のようなものが生えている。その先端は鋭いカマのようになっていて、それを内側に丸め込むようにして収めている。口元はムカデのようで左右に立派な牙が1対付いていて、背中には無数の棘が生えている。
少し遅れて、左右にも同じ魔物が出て来る。
大きさは全て同じくらいで、コブラのように頭をもたげている格好なのに、少し見上げる高さだ。
「へぇ、チュランゲンか」
スノウが呑気に呟いている。知っている魔物か。
「スノウ、弱点は分かるか?」
「弱点ってほど弱点はないけど、両手を削ぐとかなり戦いやすくなる。あ、溶解液を吐くから注意ね」
「厄介そうだな。聞いたな、皆! 防御するときには気をつけろ。できれば防御スキルかシールドの魔道具で受けろ」
「はい!」「おう!」
ある程度まで這うようにして近付いてきたチュランゲンは、口をやや上に向けると、苔色の塊を吐き出す。早速か。弓なりになってこちらに落下してくる。
迎撃のために火魔法を打ち出そうとしたところで、チュランゲンが両前脚を支えにして、自分の胴体を打ち出すように跳ぶ。
エア・プレッシャーで逃げる体勢に入った俺の横を、白い人影が通る。
そして勢いのままジャンプし、空中のチュランゲンとぶつかりそうになる直前に、その顔面に大剣を叩き込む。
結果、チュランゲンも、そしてスノウも弾き飛ばされるような形になった。
チュランゲンは少しふらふらとしつつも、尾を地面に突き立てて、素早く起き上がった。そこに後ろからサーシャの矢が飛ぶが、頭に当たったそれは弾かれて落ちる。硬い。
「リュリュリュリリオオ!!」
牙を目いっぱいに開いて、甲高い鳴き声で威嚇する。
溶解液の方は、スノウのおかげで対処する時間ができた。
火魔法をいくつも撃ち込み、防御魔法も多重に展開する。
溶解液は火魔法を呑み込むような形になり、霧散することはなかった。
しかし、火魔法を呑み込むたびに液の総量が減っているようだ。更に、いくつもの塊に分解され、より小さくなる。
軽くなった溶解液は、多重に展開した防御魔法の表面にある、最初の風魔法のシールドであっさりと流されて、誰もいない場所に落ちた。
ウィンドシールドは有効そうだ。
「溶解液は二次被害が怖い、撃たせ……いや」
スノウが何か言いながら、チュランゲンに向かっていく。言い淀んだのは、チュランゲンがカマを振ってきたからか。
右カマを振って、スノウがそれをしゃがんで避ける間に、左カマを投げ槍でもするかのように構えた。再度サーシャから矢が飛ぶが、意に介さない。
もともとは死神の鎌のような形状だったカマだが、どうやら角度は調整できるようで、腕から真っすぐ伸びる槍のような形状に変わっている。
そして槍を突き出すような鋭い一撃。
身体を左に折り曲げるようにして、間一髪でそれを避けるスノウ。
もう一度左カマを戻し、再度の突きを狙うチュランゲン。
俺より先に飛び出している奴がいるのって、珍しいな。
そんなことを考えながら、速さ重視でファイアアローをチュランゲンの口に目掛けて放つ。
敵が怯んだ一瞬、スノウは身体と剣を回しながら位置関係を調整すると、更に一歩踏み込んだ。
チュランゲンは遅れて槍のような形状になった左カマを振り下ろすが、スノウの剣に受け流されて意味をなさない。
突くには懐に入られすぎており、潰す動きは完全にスノウの読み通りといった感じだ。
理想的な受け流しを決めたスノウが、切り上げるようにチュランゲンの胴体を下から斬る。
完璧に入ったように見えたが、体液が飛び出る様子もなく、まだチュランゲンは元気に動いている。浅かったか。
断続的にファイアアローを撃って敵の注意を分散させ、援護してやる。
先に飛び込んだ奴がいると、入るタイミングが難しい。
チュランゲンが反撃に出て、右カマを横に振る。
それも剣で受け止めたスノウは、剣を身体ごと滑らせるようにして、前脚の付け根を狙った。
これもまた狙い通りに進み、足の付け根の関節に剣が食い込む。が、切断する威力はなかった模様。
スノウは更に力を籠めるが、なかなか硬いようだ。
「ルリュリリリリィ!」
叫び声をあげた敵の口に、放っておいたファイアアローが流し込まれ、身悶えしながら激しく苦しむ。薬は注射より飲むのに限るってか。
注意が完全に逸れたところで、左からキスティが敵に向かって跳び込み、スノウの剣を押し込むようにハンマーを撃ち込んだ。
「リリリリリ!」
甲高い叫び声で身悶えするチュランゲン。
その右前脚は胴体から千切れ落ちた。
「よくやった!」
思わず声が出る。
身体の一部を失ってもなお戦意の衰えない様子のチュランゲンは、カマ攻撃を諦めたようだ。
ムカデのような口を打ち合わせ、カチカチと音を立てて何かを吐き出そうとする。
しかし無事に吐き出す前に、スノウが剣で顔をぶん殴った。
少し時間が稼げた。
その間に魔力を練り、再度正面を向いたチュランゲンにラーヴァフローを放つ。
速度が遅いのが難点だが、予測撃ちしておいたお陰で、バッチリのタイミングで口の中にドロドロの溶岩が入り込む。
異物が入り込んだ方が、溶解液は吐きにくくなるだろう。
そんな狙いが当たったか、チュランゲンは溶解液を諦めて、後ろに下がろうとする。
しかし片前脚を失っているせいで、バランスを崩し、ひっくり返る。
もう片脚を使って元に戻ろうとするチュランゲンに対し、剣で脚を払うようにして妨害するスノウ。
そのアゴに、キスティが渾身の振り下ろし。
「リュリュリリー!」
今度こそ緑色の体液を流しながら、暴れるチュランゲン。
ひっくり返ったまま、尾でこちらを叩こうとしてくる。
それをルキが受け止めて、再度キスティが頭を叩き割る。
ピクピクと痙攣して動かなくなるチュランゲン。
それを横目に見ながら、素早く首を振って周囲を確認。
残り2体のうち、1体はクレイスト商会の護衛たちが囲んでいる。前衛が動きを封じ、後ろからスキルや魔法を連打しているようだ。
もう1体は知らない連中が相手にしているようだが、寄せ集めのようで動きが悪い。
何人かが倒れており、今戦っているのは3人くらいだが、そいつらはなかなか手練れのようだ。
そちらのチュランゲンは錯乱しているのか、いたずらに溶解液を吐きまくっている。
1つ、こちらの方に飛んでくる小さな溶解液の塊を、アカーネが魔力波で撃ち落としている。
「アカーネ、フォローありがとな。ずっとこんな感じか?」
「いや、ちょっと前からっ! ご主人さま、見てないで助けてよ〜!」
アカーネに言われては仕方ない。
乱射しているからか、俺たちが戦った個体の吐いた溶解液より勢いも、大きさもショボい。
これなら、火魔法で撃ち落とせば足りそうだ。
迎撃に参加しながら近付いていくと、後ろからスノウが追い越していく。
「あ、おい。ちょっと待て。横取りとか言われないように……」
「別に見返りは求めないし、良いでしょ」
「あっ。行っちまったな」
スノウが敵の懐に飛び込んで暴れ始める。
仕方なく、溶解液の迎撃だけしながら見守る。
最初のヤツと大きさは同じくらいだが、明らかにカマ使いも鈍い。既に弱ってるからか?
ほどなくスノウに隙を突かれて前脚を負傷し、他の奴らに口から槍を突っ込まれて絶命した。
集中砲火で蜂の巣にされていたもう一体もほどなく力尽き、無事に討伐が完了。
右の奴を相手にした連中から1人の死者が出たようで、会戦の戦死者に並べて葬られる。
左右からそれぞれの代表者が話に来たが、それぞれ狩った個体の素材を貰うことですぐに話が付いた。スノウは手助けした個体の権利を放棄したので、特に揉める要素がなかった。
チュランゲンとやらが、素材になる部位が少ないということもある。
鋭いカマも、背中の棘も素材として有用なものではないそうで、強いて言うなら表皮をうまく剥ぐとテントとかに使えるらしい。
だが、今は丁寧な処置をしている状況でもない。手早く魔石だけ確保して、放置することにした。
魔石は背中と、腕の付け根にそれぞれ1つ。
腕の付け根にある魔石は小さいが、それを1つスノウに渡すことになった。
真っ先に飛び込んだのだからもっと主張しても良さそうだが、スノウはどうでも良さそうだった。こいつが酒代すらまともに払えない理由が分かる。
「その調子で、普段は金をどうしてんだ?」
「1人でいると、案外金を使う機会もなくてね」
「そうか?」
俺は転移初日から、金が足りなくて仕方なかったが。
そんな調子で魔物死骸の処理も手早く済ませ、今度こそ撤収に移る。
魔物に襲われたことで、どの団体も危機感を持ったようだ。場を仕切っている観戦官も、予定より早く戦死者の確認を切り上げ、撤収することにしたようだ。
「あっ、ヨーヨーさん!」
帰路につくクレイスト商会の後ろをついていくと、先ほども会った猫耳男子が手を振ってこちらに来る。
「よう、猫耳の。どうした?」
「これをお納めくださいって、イオナさんからです」
「ん?」
受け取ったのは、何やら高そうな布に包まれた、丸い物体。めくってみると、チュランゲンの魔石、それも背中の大きな方だ。
「これを俺に?」
「ヨーヨーさんたちがいなかったら危なかったから、気持ちだそうです」
「そうか。なら、ありがたく」
護衛たちにも戦闘手当てを渡す必要があるだろうに、マメなことだ。
こういうことが出来るのが、大商会の大商会たるゆえんなのかも。
「……それで大丈夫ですよね?」
「あん? 何かケチを付けるとでも?」
「あっ、いえっ!」
慌てた様子で首を横に振る猫耳くんに、スノウがニヤニヤしながら絡む。
「足りないと言われたら、相手して来いと言われたか?」
「いやっ、そんな」
「カハハッ! あのイオナちゃん、澄ました顔して、こんなことするとはね〜」
……どういうことだ?
「おいスノウ。相手ってのは、まさか」
「ヨーヨー、よっぽどの獣耳族好きだと思われたんだね〜。このお兄ちゃん、それで怯えてたみたいよ」
「……連れている女性陣を見れば、女好きだって分かりそうだけどな。いや、両方イケると思われたか」
「好色な人間族なら、両方イケるって思ってんだろうねえ。実際、そういう人間は多いし?」
「いや、論点はそこじゃないな。仮にこの猫耳男子が俺好みの美女だったとしてもだ。床の相手を差し出せば機嫌が取れると思われたってことだよな?」
「まあ、そうだねえ。実際違うの?」
「否定もしづらいが……案外、俺はパーティメンバー以外は相手にしないんだ」
別にポリシーがあるわけではなく、流れでそうなっているだけだが。格好つけて言っておく。
「なるほどー、童貞がこじらせたタイプだね?」
「……そうかもな」
奴隷ハーレムとか言い出すくせに、その歪んだ情欲が身内に対してしか向かない。これは確かにこじらせた童貞の末路か。こいつ、こんな話題で妙に鋭いな。
「童貞ってなにー?」
アカーネが無邪気に訊いてくる。
「……そういうヒーローがいるんだ」
「? ふーん」
ふう。辛うじて完璧なフォローを返した。
全く、ウチの無邪気元気担当に妙な言葉を聞かせるんじゃあない。
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