第306話 お茶
高貴そうなご婦人がスノウに息子の無礼を謝りに来たが、そのまま居座ってお喋りをはじめた。
なるほど考えてみたら、貴婦人がその辺の護衛に喋りかけたら邪魔になりそうだ。
その点、俺らは契約上は無関係な他人だ。
無駄話にはちょうど良い相手なのかもしれない。
……このヒト、本当に謝りに来たんだよな?
「ところで白狼族のことを聞いてもよろしいかしら? わたくし、北の出ですのに、お会いしたのは初めてですの」
「白狼族について、ですか」
「ええ。息子にも言って聞かせなければなりませんもの。是非教えて下さらないかしら?」
おう、これはうまい。
差別発言をした息子を正すためと言われれば、スノウも雑談を断りにくいだろう。
「実を言うと、私も同族のことをよく知らないのです。周りに白狼族が少ない環境で育ったものですから」
「あら、そうですの?」
「ええ。白狼族と言えばエメルト王国の一族が有名ですが、他の種族同様、色々な者がいます。各地を巡って行商している者もいるのですよ」
「あらあら、そうよね、ごめんなさい。これじゃ息子を叱れないわ」
「いえ……」
どうやら俺はいなくて大丈夫そうだ。
こそっと抜けて消えようと思ったところで声が掛かる。
「あら貴方、そういえば。先ほど対応してくれたお嬢さんのリーダーは人間族ということだったけれど、貴方なのかしら?」
「えっ?」
お嬢さんとはルキのことだろうか、キスティのことだろうか。
どっちにしろそのリーダーというのは俺だ。
「ああはい、そうですが」
「また別嬪さんばかり集まってらっしゃるのね! 貴方にひとつお願いがあるのですけれど」
「はあ、なんでしょう」
「わたくし達のテントに、あのお嬢さんを招待することを許して下さるかしら?」
「本人が行きたいのなら止めませんが」
「あらそう? ありがとう、お嬢さんは貴方を通すように言うばかりだったのよ」
ルキを振り返ると、微妙な表情をしていた。
誘われていたのはこいつか。
「ちなみに、ご招待というのは何をすれば良いのでしょう?」
「ただのお茶よ。話し相手になって下さると嬉しいの」
「お茶、ですか」
「貴方を呼びに行ったお嬢さんも、とっても別嬪さんよね。どこで知り合ったのかしら?」
キスティのことだろう。
「まあ、たまたま……」
「あら? 良いわ、本人に是非訊いてみることにしましょう!」
キスティも招待されそうだ。
あまり持っていかれると、こっちの手が足りなくなるんだが。
「それで、貴方とスノウ殿は、どうやってお知り合いになったの? 気安い友人のように見えたけれど」
「誤解です。そのおっさ……スノウは、たまたまユメロで会っただけでして。個人的な親交はないのです」
「あら? 不思議ねえ。息ぴったりに見えたのだけれど!」
「ご冗談を」
「スノウ殿もそうだけれど、どうして護衛ではなくて一緒に行かれるのかしら? あら、答えにくいことでしたら言ってくださいね」
「……まあ、構いませんが。単純に護衛任務が苦手でして」
「あら。普段は何をされてますの?」
「魔物狩りなどを少々」
「立派なお仕事ですわ。スノウ殿はいつもお一人なの? 一人で旅をするというのは大変でしょう」
婦人レグナールの興味がスノウに戻ったところで、何か仕事がある風を装ってその場を離れる。
スノウが最後に恨みがましい視線を寄こしてきたが、こういうときは空気を読まないやつが強いのだ。
「主様……行かないといけませんか?」
後ろをついてきたルキが小声でそんなことを言ってくる。
先ほど誘われていたお茶会のことだろう。
「いや、別に無理して行かなくていいぞ。本人が行きたいなら、と言ったとおりだ」
「……なるほど」
行ったら行ったで、情報収集にはなりそうだ。
しかし行かない方が、何も起こらないという意味では安全だ。
正直どっちでも良いのだ。
後ろを振り返ると、ご婦人はスノウを捕まえて、何やら質問攻めにしている。
「あの方はスノウがお気に入りのようだ。お相手は任せて、俺たちはとっとと準備を済ませちまおう」
ユメロで色々と仕入れたから、サーシャ飯は充実している。
肉がふんだんに入ったおにぎりのようなものと、野菜たっぷりのスープをサーシャを手伝って用意する。
日本の米と比べると少々粘り気と甘さが足りないが、十分美味い。
飯が出来上がる頃には、白狼族がレグナール婦人から解放されてしれっと囲みに加わっていた。
「なにこれ、めっちゃ美味しそうじゃん」
「銅貨10枚は寄こせよ。材料代と調理代だ」
「それっぽっちで良いのかい? ほい」
スノウは銅貨10枚分の価値である、大銅貨1枚を無造作に取り出し渡してくる。
それを受け取って懐に入れておく。
「あと、悪いが食べる時間はずらしてくれるか。一応、俺らも交代で見張りをしといたほうが良いだろう」
「えっ。まさか俺1人と、ヨーヨーパーティで交代なの!?」
「1パーティずつだ。丁度いいだろう」
「いや、寂しいけど……ハイハイ、分かったよ」
ぶつぶつ言いながらスノウは立ち上がる。
さて、これで邪魔者もいったん消えた。
「ルキ、結局お茶はどうする?」
「辞退しようと思います」
「そうか」
ルキはああいう手合いは苦手か。
悪意はなさそうなんだがな。
「お茶ですか?」
興味を示したのはサーシャだ。
「ああ、ルキがお偉いさんに誘われてな。馬車でお茶を一緒に飲みたいそうだ」
「お茶ですか……ご主人様、私が行っても?」
「え、ああ、そうだな。あっち次第だが、単なる話し相手ならサーシャでも良いんじゃないか。好きにして良いぞ。ただし用心しろよ。ルキかキスティを連れていけ」
「そうですね。ではキスティ、良いですか?」
「承知したぞ!」
それにしても、サーシャが行きたいとは意外だな。
……美味しいお茶菓子を求めているだけだったりして?
「サーシャ、情報収集でもしたいのか?」
「ええ、いざという時、何が役に立つか分かりませんから。一行で特別扱いされている方でしたら、なおさら接点を作っておくに越したことはありません」
「そうか。悪いが、任せるぞ」
「はい」
食後には、干し柿のデザートまで付いてきた。
メニューのせいで、日本でピクニックしているかのようだ。
「おい、美味しい匂いがこっちまで来るんだけど!」
少し離れて警戒していたはずのスノウが、耐えかねた様子でこちらに向かって文句を言ってくる。
狼顔を硬革で覆うような独特の頭部の防具をしているスノウ。
こんなファンタジーな光景は日本ではないな。
夜中、たき火の前で何となしに警戒していると、おしゃべり婦人とお茶をしたサーシャが戻ってくる。
「どうだった?」
「あの方、レグナール様ですが……あ、念のため防音を」
「ああ」
今はスノウもテントでくつろいでいるか、寝ている。
起きているのは俺と帰ってきたサーシャ、それにキスティ。
たき火周りに風魔法で防音の膜を張る。
「それで?」
「レグナール様の家名は確認できませんでした。しかし、オークリン家に組する高位の戦士家の縁者のようです」
「今回戦う貴族家の1つだよな? オークリン家って」
「はい。対立しているのがブレファス家です。オークリン家は武力に定評がありますが、今回は少し不安があるようです」
「そんなことまで話したのか?」
「いえ、直接的には話していません。話したのは他愛のない話ばかり、非常に饒舌でした。まるで不安をごまかすために話し相手を探していたかのようです」
「……なるほど」
あのおしゃべり攻撃も、不安に押し潰されないように、精一杯無理をしているのだろうか。
「今回はそもそもブレファス家が攻め寄せてきた戦いです。オークリン家側は、十分な戦力が用意できなかったのかもしれません」
「賭けをしている連中に高値で売れそうな情報だな」
「それは……一興かもしれませんね」
「いや、すまん。アングラな賭け事に関わっても良いことはなさそうだし、本気にしないでくれ」
「そうですか。あと有益な情報としては、ニパティという物について知りました」
「ニパティ?」
「北の方のお菓子です。スパイスの入ったお団子のような」
「……そうか。美味かったか?」
「ええ。大変美味でした」
しっかり食ってきたようだ。
「そんなにスラーゲーから離れていない地域ですが、まだ知らない名物があるものです」
サーシャがやる気で何よりだ。
ちなみにキスティも茶会に同席したわけだが、こちらは完全にカカシとなっていたらしい。
むしろ戦士家の事情がわかる分、キスティの方が話が弾みそうなもんだが。
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翌朝、戦場を目指してまた移動する。
正確には移動する一行を後ろから追いかけている。
途中、右手に丘があり、高くなっている道に差し掛かる。道から見ると、見通しが悪い。
「キッキュウ……」
ドンが何か気になる様子。
ドンが気になるときは、警戒しておいた方が良い。
気配察知と探知を打つ。
これは……。
右前方に、ポツポツと何かいる。
そのことを発見したのと前後して、前の連中が動いた。
「ふむ……亜人が出た、と言っているね」
スノウが大きな狼耳を動かして、そう言った。
「聞こえるのか?」
「耳は良い方だ」
右手前方からの亜人の襲撃。
どうやら丘の上から、馬車列に向けて何か投げ込まれているらしい。
それを確認した右翼を護る偉そうな若者が、周囲の護衛をまとめて丘の上に突撃させようとしているようだ。
しかし……。
俺が探知したのは、丘の上の亜人ではない。
その手前に、何かいる。そのことに気付いているだろうか?
騎乗した数名とともに丘の上に突撃を始めた若者は、何かに馬の足を取られてひっくり返り、地面に投げ出されてしまった。
……気付いていなかったか。
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