第260話 銀貨
地下を探索していたら、赤草と呼ばれる麻薬の臭いが漂う怪しい部屋に辿り着いた。
部屋の中から、頬にふさふさの毛が生えた、トラっぽい印象の獣耳族男性が出てくる。
この部屋に入っていくボロ着の奴らと異なり、和服のようなものをキッチリ着込んでいる。
トラ男はじろじろとこちらを眺めてから、不機嫌そうに口を開いた。
「お前ら、何モンだ? 草が吸いたいと聞いたが?」
どうしようか。「詐欺師」をセットしておくか。
それにしても、ノープランすぎる。うーん。
「ああ、すまん。草は方便だ」
「だろうな」
「……だろうな?」
「草を吸いたがってこんなとこまで来る馬鹿には見えん。後ろの女どもも武術の嗜みがあるな? そんな奴らが、何の用だ?」
「あー、言っておくが、殴り込みとか物騒なもんじゃない。そこだけまず安心してくれ」
「……」
「実は最近、この辺に越してきてな。早速ここの悪ガキどもに金をスられた。これは油断していた俺らが悪いが、今後も同じようなことがないように、地下を探検してたのさ」
「探検だと? 要は、ガキどもに睨みを効かせられる組織でも探してんのか」
「まあ、あわよくば」
「……ここはどうやって知った?」
「そいつは秘密だ。といっても、大した情報じゃねぇよ。この辺に何かあるって聞いて、気配を探っただけだ」
「そうか。悪いがここはガキのお守りの場でもなければ、カタギとの出会いの場でもねぇ。帰りな」
「……ああ」
「おっと、そいつはねぇんじゃねぇかぁ? ボス」
大人しく帰ろうとしたところで、部屋の中から姿を現した別の人物が待ったを掛ける。
大柄、色黒で、白髪の男だ。頭の方に角らしきものが短く生えている。
口には筒が銜えられており、煙が立ち昇っている。
草とやらを吸っているようだ。
「ジョー、お前は呼んでない」
「でもよボス、すんなり帰しちまうのはねぇよ! どっかの犬かもしれねぇんだろ? 見せしめ程度は必要じゃねぇかな~ってよ!」
「……」
男がヘラヘラと笑いながら、近付いてくる。
後ろから2人、下りて来た気配が寄ってきているな。
何かの手段で伝えたのか。
「兄ちゃん、火遊びが過ぎるんじゃねぇのか? 美人さん連れてよう」
男が煙を吸い込み、顔を寄せてくる。これは。
「ふぅーっ!」
ケムリを顔に吹きかけられる。
風魔法でそれをお返しし、身体強化をして顔面をぶん殴る。
振り返って、後ろから近付いてくるやつに蹴りを見舞う。
もう1人、と思ったら、キスティが棒で突き、転ばせている。
その頭の上にアカイトが乗り、ゲシゲシと踏み付ける。
「こいつらが用心棒か? ……弱いな」
別に挑発するつもりはなかった。
ただ、辺境の傭兵団と戦ったりしてきた後だったので、あまりのあっけなさに素直な感想が出てしまった。
「ぐ、テメェ!」
いきり立って後ろから殴りかかってくるケムリ男の拳を、振り向いて正面から掌で受け止める。
腕力は強いようだが、身体強化をすれば十分に受けられる程度だ。
怒ってしまったようなので、軽く謝る言葉を探す。
「悪い、単に感想が出てしまっただけだ」
「余計悪いわァ!」
そこでキスティがケムリ男の脇腹に横やりを入れて、強引に転がす。そのまま何も言わずに男を叩くので、終いには丸まって防御しはじめた。
やりすぎでは?
「キスティ、その辺にしておけ」
「はっ」
キスティが棒を引き、待機する。
「ふっ。火遊びはテメェだったな、ジョー」
「ちくしょうがっ! 得物があればよ!」
「得物があろうと、こいつらの素手にも勝てそうにねぇぞ。……悪いな、こいつ馬鹿なんだ」
最後の言葉は、俺宛てだ。
トラ男はケムリ男が殴りかかってきた時から、微動だにせず見ているだけだった。
こいつには害意はないということで良いのだろうか。
「いや、別に良いが」
「なかなかの腕のようだな。傭兵か?」
「そんなところだ」
「親分に紹介はできねぇが、こいつを持っていけ」
「……これは?」
トラ男が手渡してきたのは、ただ真っ黒いだけに見える厚紙のようなもの。
「ウチの出入り業者の証みたいなものだ。ウチに用があるなら、そいつを末端に持って行って話をしろ」
「ウチってのは?」
「……もがれた翼」
「もがれた翼」
「そう呼ばれている。その名前で探せば、連絡役くらいは見つかる」
「ほお。ありがたく貰っておく」
反社組織と取り引きできる証って、日本じゃ持っているだけでマズそうな代物だ。
こっちの世界じゃどの程度ヤバイのか知らないが、異空間に入れるだけ入れておく。
「それで、こいつをアンタに見せたら、財布を見つけてくれたりはしないのかね?」
「……それは無理だな。そもそも、ここは組織の拠点というわけでもない。ただの煙部屋だよ」
「ただの営業施設ってわけか」
「そんなところだ。それに、その札は別に、あんたらの御用聞きをするためのもんじゃない。ただ話が出来るだけだ」
「ふむ。話というと、どんなことが出来るんだ?」
「密売品の相談とか、盗品の捜索とかな」
「なるほど」
盗品の捜索か。
替えの利かない、形見とかを盗まれたら、蛇の道は蛇ということでこういう奴らに依頼するしかないのかもしれない。
自分たちで盗んで、自分たちで捜索しているマッチポンプの可能性もあるが。
「ところで、次、下水族とやらにスリや強盗をされたら、攻撃しても……最悪、殺しても問題ないのか?」
「別に俺たちが下水族を仕切ってるわけじゃない。好きにすればいいさ」
「たまたまアンタらの配下をやってしまっても、問題ないのかね?」
「……知らん。スリ役の1人2人死んだところで組織が動くとも思えんが、近しい奴は報復するかもしれん。それが怖ければ、殺さないようにすることだな」
「……」
外に出歩くときは気を付けて、出くわしたら捕まえて衛兵に引き渡していくしかないか。
いたって普通の結論だが、壁の外では盗賊なんて殺してしまうのが後腐れがないというような世界なもんで、変な感じもする。
すっかり、この暴力的世界に慣れてしまったか。
ただ衛兵に突き出したとして、治安が悪い地区の衛兵とか、絶対に腐ってそうでなぁ。
「俺たちは放っておいてくれたら、地下の奴らに危害を加える気はない。機会があれば、下水族の奴らにも伝えてくれると嬉しんだが」
「……機会があればな」
そっけなく返される。
今日のところはこれで満足して、引き上げるとしよう。
地下が魔物だらかのダンジョンになっているなんてことはなかったが、特に興味を引くようなものもなかったな。
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「おう、行ったか。あれで良かったのか?」
「すまなかったな」
ヨーヨーに殴り飛ばされていた角の生えた男、ヨーヨーが「ケムリ男」と心中呼んでいてた男が、「トラ男」に話し掛ける。
その口調は先程と打って変わって、軽薄さはなりを潜めている。
「こういう役目だ、気にしないでくれ。しかし連れていた女は上玉だったぜ? 草で落とせば、色々使い道もあったろう」
ヨーヨーたちの立ち去った方向を見つめながら、ケムリ男がトラ男になおも疑問をぶつける。
軽度の麻薬でクセにした後、こっそりと強い麻薬に依存させる。
そうすると、新しい草のためにこちらからのお願いをすんなり聞いてくれる便利な人物の出来上がりだ。
美人で腕利きの戦士であれば、その使い道はいくらでも考えられる。それこそ、油断させた男を寝所で暗殺するなら、あんな女性戦士がうってつけだ。
しかし、そんな打算を滲ませたケムリ男に対して、トラ男はかぶりを振る。
「俺の『直感』スキルはな、普段ほどんど働きやがらない。後ろから刺されて生死をさまよったときでさえ、うんともすんとも言わなかったくらいだ。ただ、たまに動いたときは外れたことがない。特に、ヤバイ事を見分けるのにはな」
「ヤバイ事?」
「……俺があの女どもに余計な手を出す素振りでもしていたら、死んでただろうな」
「ほう……弱そうとは言わないが、そこまでとはな」
「別に腕が良いとは言っていない。いや、弱くはないのだろうが……。だが、貴族の護衛みたいな、絶望的な強さという感じではないな。そうだな……それより、得体の知れなさというか」
「まあ、突然こんな場末に現れるのは、得体が知れんな」
「それはそうだが……。つまり、なんだ。どこかマトモじゃない。壊れている。そんな印象だ」
「地下組織の人間にそれを言われちゃ、お終いでしょうが」
ケムリ男は、殴られた顔を掌でさすりながら、筒を銜える。ケムリがぷかりと浮かんだ。
彼が吸っている草は、依存性の低い「入り口用」のものだ。
これ見よがしに吸っているのは、草場を訪れたカモの心理的ハードルを下げるためと、自分が中の煙にやられないための防衛の意味がある。
もちろん、嗜好品として好きで吸っているというのが一番だが。
「ま、とにかくだ。ああいう輩でも、窓口を与えてやりゃあ、意外と突然殴りこんで来たりはしないもんだ」
「なるほど。それで渡したのか」
「女の背負っていたリュックが、一番ヤバイ気配がした」
「ほう。何か秘密兵器でも入れていたかね?」
「かもな」
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「キュッ?」
ルキの背負ったリュックから、ドンがにゅっと顔を出す。
「どうした? ドン」
「ミュー、ギィ」
何でもないようだ。
来るときはスルーしていた細い路地に敢えて入って、慎重に周囲の気配を探る。
アカイトの「樹眼」でも、念入りに確認してもらう。
「……追っ手はなさそうだな」
「どうする? 拠点まで戻るか?」
キスティが濁して言っているのは、転移で探査艦に戻るかどうかだろう。
もし、俺が探知できないレベルの隠密に監視されていたら、転移するのは少し危険がある。
襲ってきたやつらはともかく、ただの労働者っぽいおっさんたちが下りてきた方向なら、危険がある可能性は低いか。
「着いて来い。地上に出るぞ」
「了解」
「はい」
俺の言葉の意味するところを汲み取ったキスティとルキが頷く。
先ほどの記憶を頼りに、おっさんたちが下りてきた場所を探す。
ほどなくして、梯子が下りた場所を発見できた。
上がってみると、暗い空間に出る。
地上の方向は分からないが、進む方向は分かった。
無数のヒトの気配が、探知にかかったからだ。
気配を探りながら進むと、マンホールのようなもので閉ざされており、そこを登るとより気配が鮮明になった。
ざあざあと、水が流れる音がする。
全員がマンホールから出て来たことを確認し、水の音がする方に歩く。
近付くほどに、いくつもの気配が近くなる。
しかし動く気配がない。
火魔法を向けて暗がりを照らすと、ギロリとした眼玉を、無気力にこちらに向けて来る生物。
人間族……に見えるが。
「……」
しばし、見つめ合う形になる。
あっちからしたら、突然出てきて光を当ててきたこっちの方が不審者の方だが、何をする気配もない。
仲間を呼んだり、何かを話す気配もない。当惑する気配も、怒る気配もない。
こちらを見ているが、その瞳には何も映っていないかのようだ。
こちらから火魔法をどけ、目線を外す。
そして、そいつだけではなかった。同じような無気力なヒトが、点々と転がっている。
そして、ついに水の流れる場所にたどり着く。
それほど臭いはない。ここも、下水ではないのかもしれない。
「やべー、これ!」
「ちょ、返してよー」
水の流れる音に混じって、子どもが喋る声が聞こえた。
見ると、何やらゴミのようなものを取り合いしながら、プロレスごっこのように組み合っている。
「……なんだ、このおっさん?」
「すげー、その剣本物か?」
子どもはこちらの目線に気付くと、片方は怪訝そうな表情を浮かべ、もう片方がこちらに興味を持った。
スリの話を聞いていたから、少し警戒する。
「お前らは、ここに住んでるのか?」
子どもの周囲には、何かの布が干してあったり、こちらを気にすることもなく、水で何かをしている中年女性がいる。
「そうだけど?」
「なんだお前ら、よそ者かっ!」
大変そうだな、と言いそうになったが止めた。
俺が言うことでもないし、そもそも少し前まで壁の外で、イモムシの体液だらけにながら生き永らえた俺とどっちの方がマシなのか。
「金ならないぞ! い、言っておくけど、俺たちに手を出したら組の人たちが……」
「しっ、下手なことを言わない方が良いよ」
こちらに好意的な反応をしていた方が、もう1人を窘める。
「いや、悪い。ただ通りかかっただけだ。地上に出るにはどこが近い?」
「このまま進めば、出入口はあると思うよ? 役人が使う用のやつが!」
「この先か? 感謝する。取っておけ」
銀貨を子どもたちに投げておく。
子どもたちが指した方に進む。
背後からは、子どもたちが沸く声が聞こえる。
「銀貨じゃん、これ!?」
「本物か? 最近、ニセモノも多いって話じゃん」
「ニセモノじゃなくて、別の銀貨なんじゃなかった?」
「う~ん、見た目本物だなぁ。じいさんの店に持ってく?」
「肉食えるかもよ、今日!」
同じ銀貨1枚だが、やる気ない地図屋に渡した時と違って、良いことした気分になるな。
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