第257話 屋敷

エモンド商会との契約手続きが終わり、転移装置のある土地の買い取りもつつがなく進んでいる。


商会の依頼内容である護衛任務はしばらく後なので、一度買い取り予定の屋敷に戻ることにする。

買い取り前も賃貸の扱いで使っていいらしいので、早速整備したい。


出来れば転移装置で探査艦に戻ってしまって再度転移するのが早いのだが、屋敷の現状を改めて確認してからの方が、色々とリスクがないだろう。

そう判断して、来た道を徒歩で戻って北東のライリー区まで移動した。

賑やかな西の商区を見た後だと、ライリー地区のうら寂れた感じが際立って感じる。


肝心の屋敷は……ふむ、出て来た時と変わりがないように見える。

キスティの壊した正面の玄関扉から中に入る。

改めて見ると、汚れた床に、舞う埃、各窓を覆うように打ち付けられた板。

住むようにするのは骨が折れそうだ。



***************************



「……ここに住むの?」


転移で連れて来たアカーネの開口一番は、ちょっと不安そうな一言。


「皆、担当を分けるから掃除を頼むぞ。ほうきにバケツ、それに雑巾は腐るほど買ってある」

「水は、ある?」


ジグがやる気を見せている。

共通語も、簡単で短い文章なら話せるようになってきた。


「汲み上げが出来るらしいが、量は限られてるらしい。魔法の水なら俺が出すから、言ってくれ」

「……ん」


貴族街でもないのに、上下水道らしきものが整備されているのは、流石この世界屈指の都市と言うほかない。

とはいえ、数日ごとに配給される水は量が限定される方式らしいので、あまり無駄遣いはできない。

また上水でも衛生面は微妙で、腹を下しがちなので飲み水としては考えない方が良いそうだ。

掃除・洗濯には問題ないので、これを使う事にする。

家をひと通り探検したところ、一階の玄関やキッチンらしき部屋、ミニキッチンのような部屋、そして最奥の離れ間からくみ上げが出来るようだ。一階と二階のトイレも、流すことができる。

ただトイレも含め、手動でくみ上げるか、魔道具でくみ上げる必要がある。

地球世界の住宅ほど便利ではない。十分便利だが。


残念ながら、魔道具は全て故障しているので、アカーネによる修理待ち。

掃除自体は全部手でくみ上げて、各部屋に運ぶほかない。なかなかの労働になりそうだ。

まあ掃除用の水などは体内に入れるわけでもないので、魔法で創った水も使えそうだが。


それにしても、改めて各部屋を体験するのはなかなかワクワクした。

この世界の屋敷らしい屋敷は、せいぜい応接間まで入るのが関の山で、じっくりと探検したことはなかった。

全体的に汚れているので、屋敷というよりは廃屋の探検のような風情になってしまったのは残念だが。

探査艦のときと異なり、白骨死体なんかがなかったのは良かった。


興味深かったのは、玄関から入ってすぐ右の部屋。

玄関自体が、敷地を俯瞰したときに端っこの方にあり、右側に寄っている。

その右側のスペースは位置的に何もないかと思いきや、ぐるっと回り込むようにして入れるようになっていたのだ。

入ってみると、中は窓のない閉鎖的な造り。そして、玄関がある方の壁に小さな穴が開いて光が細く差し込んでいる。


キスティ曰く、「殺し間」ではないかとのこと。

玄関から新入してきた人物をここで見極め、場合によっては攻撃する。

戦士家の屋敷にはままある施設らしい。


地球世界の貴族屋敷とか、武家屋敷にもあったのかは分からない。

そこまで歴史好きというわけでもなかったしな。


探検隊長を買って出たアカーネ氏によると、この殺し間にも何か魔道具が取り付けられていた形式があるそうだ。

キスティの解説が正しければ、それもあんまり平和ではない物が置かれていたのだろう。



ほどなく殺し間だけではなく、各部屋の備品も悉く取り外され、または故障していることが判明した。

残念ではあるが、当然か。

むしろ、家を支える柱や壁に腐食が見られないという点を僥倖とすべきだ。

塗料の塗りなおしくらいはした方がいいが、間取りを変えないならこのまま使えそうだ。


あとは問題があるとすれば……セキュリティか。

宿と異なり他人に気を遣う必要がなくなったが、その分自分たちでセキュリティを維持しなければならない。

今後生活用の魔道具を導入するなら、それだけ盗みがいのあるお宝を置くことになってしまう。

テッド会長も詳細までは把握していない様子だったが、前の住人も、最後は何者かに襲撃されて出て行ったらしいし。


う~ん、ウチもエリオット先輩のとこみたいに、お留守番用の要員を確保すべきなのか?

しかし実際には、セキュリティも万全な探査艦があるので、転移装置さえ確保できてれば無理に屋敷に投資する必要がないのだよな。


高価なものは異空間か探査艦に保管してしまえば、心配ないわけで。



そんなことを悩みつつ、無心になって水魔法で創った水を使って拭き掃除をしているうちに、サーシャとキスティが必要な物をリストアップしてくれていた。


最優先としてリストアップされているのは、警備用の魔道具と……スライム?


「サーシャ。このスライムというのは?」

「処理用のスライムですね。これほどの広さの屋敷であれば、毎度引き取り業者にごみを渡すのではなく、処理室を置いて処理するのが通常です。仮に探査艦の方に泊まるのだとしても、最低限の形が整っておりませんと、疑われます」

「ふむ」


そういえば宿のトイレなども、スライムで処理していますという所は少なくなかったな。


「魔物ではないスライムですから危険はありませんが、実際は使わないのであれば、エサやりをしないと餓死してしまいますね」

「ううむ。やはりハウスキーパーは必要か?」

「そうですね、できれば。しかし、あまり焦るべきではないでしょう」

「理由を聞こう」

「この屋敷を確保した理由も理由ですから、任せるのは絶対的に信頼できる人物でなければなりません。手っ取り早く揃えるのであれば、雇うか、奴隷を買うかですが、いずれも不安があります」

「隷属していても駄目か……そりゃそうか」

「はい。隷属というのは、絶対的な物ではありませんから。厳格な契約内容にしたとしても、隷属関係にあることで安心はできません」

「あの、エモンド商会が使ったような契約書を使っても駄目か?」

「等級の高いものでしたら、やりようはあるでしょう。しかし、秘密の大きさに比して考えれば、やはり不安です。天罰を甘受する覚悟があれば、破ることはできてしまうものと考えるべきです」

「信頼か……難しいな」


金に物を言わせて奴隷を増やしていた時代が懐かしいものだ。

次に増やすとすれば、しばらくは転移をせずに、打ち明けても問題ないかを見極める期間が必要なのかもしれない。


「そのリストに加えて、ズルヤーさんにお礼の品を用意しなければなりませんね」

「ああ、エモンド商会に繋いでくれたのは大きかった。何か商区で菓子でも探すか」

「それでも良いですが……ご主人様、アカーネの改造魔石を渡してみませんか?」

「何? 改造魔石を?」


あれは、アカーネの練習も兼ねて作っている、超簡易な魔道具みたいなもんだ。

実戦でも役立ってくれているので価値がないとは言わないが、通常は魔石を丸々消費する魔道具など非効率すぎるし、効果も微妙だろう。


「ズルヤーさんの歓心を得るには、エリオットさんの無事に役立つものが良いと思いまして。アカーネの改造魔石は単純なものですが、それだけに用途が分かりやすく、傭兵であれば持っておいて損はありません。最近は精度も改善されてきて、アカーネ以外の者も使えるようになってきましたし」

「……他の品と一緒に出してみるか。サーシャ、もしかして、アカーネの製品がどれくらいの価値があるのか、測ろうとしているか?」

「ええ、その通りです。将来的にはアカーネの魔道具も収入源にしたいと仰っていたではありませんか」

「確かにそうだ。このオーグリ・キュレスは大陸の物流の要らしいからな。何かを売るならここか」

「魔物狩りで稼いだお金を投資して、この地でヨーヨー商会を立ち上げるのも面白そうです」


サーシャがいつになく上機嫌だ。

一度は諦めた商人魂に火が点いたか?


確かに、金になる仕事を追っていると、どうしてもこの世界をぶらりと探索できない。

不労所得を作って、金を気にせずに放浪するのも楽しそうだな。


しかし、商会長になるのは御免だ。

あくまで投資家として、商売をやりたい人に金と口だけ出す存在になりたいな。


「サーシャは商会長、やりたいか?」

「興味がない、と言えば嘘になりますが。私はご主人様のお世話がありますから」

「お世話の一環として商売をやったっていいだろう」

「いえ。私には組織を率いるだけの器はありません。身近で誰かを支えるのが、性に合っているようです」

「そうか? まあ、それならいいが」


俺も社長なんて器じゃないから、気持ちは分からんでもない。

サーシャペディアが側に居てくれるのはありがたいので、サーシャ会長案は止めておこう。


そうするとやはり、信頼できる人物が必要か。

いやいっそ、アカーネに作るだけ作ってもらって、エモンド商会あたりに販売を委託する方が色々と楽かもしれんな。

マージンを取られる代わりに、商売にまつわるゴタゴタや苦労はあっちが背負ってくれるはずだ。


「サーシャ。掃除がひと段落したら、ドンとキスティと一緒に、買い出しをしてきてくれるか。アカーネも連れて行っても良いぞ」

「はい、分かりました。ご主人様は?」

「俺はルキと、少し稽古だな。今度の任務はしくじれない」


相変わらず、いざとなったら逃げる気はマンマンなのだが。

一度それをすると、依頼主からの信用は地に墜ちるだろう。今回は特に、エモンド商会からの信頼だ。それだけでもデカいが、王都周辺の商会全部に悪評が撒き散らかされるかもしれない。


それに、今回は魔約紙とやらで契約しちゃっているからな。

あれは業務内容と、その対価の契約なので、別に結果が芳しくないから天罰、といったことにはならない。

ただ業務を遂行する気がないのに前金を受け取った、と認定されると違反と判定されるリスクがある。


あれはスキル由来の魔道具なので、外形的な面だけはなく、契約者の内心まで見通して違反認定をする。

最初から護衛する気がゼロのまま金を貰えば、その時点で違反扱いされるおそれもあるのだ。

少なくとも自分の命に危険が及んで危機一髪な状況でもなければ、護り通すと思って望まねば。


「畏まりました」

「この辺は治安も悪いらしいからな。ドンとサーシャにキスティがいればそうそう危険はないだろうが、警戒を怠るなよ」

「はい」


この辺の貧乏人からすれば、俺たちはいきなり豪邸を買った成金野郎に見えているかもしれない。

それに美人揃い。

変な輩に狙われる危険はある。


「ドンが危険を感じたら、すぐに戻ってくるように」

「はい」


さて、俺はルキと訓練といこう。

この屋敷、そこまで広くはないが、稽古部屋まであるのだ。

訓練部屋の下は柔らかい素材になっていて、転んでもそこまで痛くない。

ただ半分以上が剥がれているので、これも後で直さなければならない。

今は布を敷いて、足を痛めないようにして使うしかない。


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