第211話 【閑話】足音
キュレス王国の王都のある北東の平野部と、山がちな北西部を繋ぐ要衝。
それはキュレス王国にとっての金のなる木である、東西交易路の大動脈であり、そこに存在するということ自体が都市の繁栄を約束されてきた。
そんな繁栄の約束された大都市ミルウェイを領するギワナ家は、王家の忠臣である。
王国の拡大後に合流した西部領主たちとのパイプ役であり監視役、いざと言うときの盾役でもあるギワナ家は、まさに王家の信頼を集める存在であると言われた。
少なくとも、かつてはそうであった。
そのミルウェイの小高い丘に作られた、絢爛な館には、厳しい顔をした年若い男が1人。
そして、それに対し穏やかな笑みを浮かべつつも、態度でそれとなく敬意を示している初老の男と、厳しい顔をした男よりは少し年を重ねたくらいの男の3人がふかふかのソファの上にそれぞれの椅子を並べ、車座になって腰掛けている。
部屋の隅には存在感を消した下男・下女が控えているが、距離が離れているため3人の話ははっきりと聞こえないようになっている。
ここに居るような者は、信頼厚く話を聞かれても困らない者ばかりだが、万一にも主人たちの気が少しでも反れることがないよう、何一つ聞こえていないかのように振る舞うのだ。
初老の男が、厳しい顔をした若者に対して話す。
「殿下、そう焦ることはありますまい。テーバの件も、殿下のお力で良きように流れました。陛下は魔石が王都に流れることとなり、むしろ喜んでいるとか」
「あれを侮りすぎるでないぞ。武威はないが、無害なフリをすることには一段と長けておる。主らのしたことにも気付いていて、何か手を打ってくるやもしれぬ」
殿下と呼ばれたのが、厳しい顔をした若い男。
穏やかな初老の男から目線を切ると、もう1人の男を一瞥し、深く腰掛けていた椅子から少しだけ前傾になった。
「カリウス、例の話は父君に伝えたのだな?」
「はい、殿下。父上も承知なさっておりますよ」
「では、フリード。率直な意見を聞こうか」
フリードと呼ばれた初老の男は、穏やかな笑みを少しだけ崩して、困ったような苦笑いへと変えた。
「殿下。率直に申し上げますと、私には、いささか性急に思えますな」
「では、反対か」
「そうではございません。そうではなく、情報が集まり切らず、事を起こすのに全面的に賛同はできぬのです」
「情報か。主の自慢の影の者らはどうした?」
「あれらも使っておりますが、何分事が事。宮殿のことは、アルサス公の便りを紐解く必要がありましょう」
「そのアルサス公が賛同しているのだぞ」
「それならば、勝機はありましょうが。殿下、これは勝てる戦ですぞ。焦りは禁物でございます」
「戦だと? そいつは不敬な発言ではないか」
「ふははは。殿下には敵いませんな」
初老の男は心底愉快そうに笑い、殿下と呼ばれた男は毒気を抜けれたように、気まずい表情を残した。
「殿下。確かに、いつまでも水面下で争っていても、王国に混乱をもたらすばかりであることは理解できます。私とて、一刻も早く殿下の冠姿を拝見したく願っておりますぞ」
「うむ」
「然るに、その強いお気持ちを汲み取り、この老骨に鞭を打ちましょうぞ。殿下、次の閲兵式は、大々的に行いましょう」
「閲兵式だと?」
「はい。古くより、王国の権威を示すためには、諸侯を募って閲兵式を催し、諸氏のみならず民心を安んずるものでございます。しかし、近年はその機会も失われておりましょう」
「……つまり、右府の意向として大々的な閲兵式を催せと言うことだな。狙いは何だ」
初老の男は穏やかな笑みに戻り、諭すように言葉を紡ぐ。
「閲兵式ともなれば、各地より義心ありし諸侯が集いまする。勇壮な戦士たちを引き連れて」
「……。つまり、不意打ちか」
「殿下。事を起こすのであれば、その後のことを考えなければなりませぬ。時として老獪な手を用いるは、人類の長にかくあるべき心得でございますぞ」
「不意打ちは好かんが、その一言は最もだな」
殿下と呼ばれる男は、一瞬の間を空けて、肺に息を吸い込んだ。
「フリード。……頼めるか」
「万事抜かりなく進めまする」
初老の男は、まるで夕餉のリクエストでも受けたときのように、何の気負いもないように頭を下げた。
隣にいた男は、2人のやり取りを耳にしながら、身体の小さな震えを必死に抑え込んでいた。
今、この2人は、歴史を動かす決定を下したのだ。
これまでの小競り合いとは全く異なるだろう。
事を起こせば、もはや後戻りはできない。
「し、シルベザード殿下。いえ、陛下とお呼びすべきか」
「気が早いな、リック公」
「はっ、ははっ! 私は、殿下の護衛として共に都に登りたく考えております」
「もちろんだ、カリウス。だが公には、皆をまとめて貰う役目がある。都に着いた後は、父君と共に時に備えよ」
「ははあっ」
カリウス・ギワナは、この地を治めるギワナ家の現当主だ。
先代当主であるフリードマン・ギワナに比べれば経験が浅いと言っても、十分に名門貴族としての教育と経験を経て、それなりの能力も有していると自負している。
それでも、歴史的な場面に遭遇した興奮が、英雄の冒険譚を聞いた少年時代のように落ち着きを失わせてしまっていた。
そんな自身の失態をやっと自覚した彼が、顔を赤くしながら平伏する様子を、先代は好々爺とした笑みを深めながら観察していた。
まだまだこやつも青い。
ギワナ家の、一世一代の大勝負がこれからやってくる。
それを通じて成長し、やがて王国はカリウスを中心に回ってもらわなければ困る。
気が早いが、もし決起に成功し、シルベザード殿下が王位に就いたとして。
その後は、シルベザード派を長らく牽引してきたアルサス公との権力闘争が生じるかもしれない。いや、十中八九、何らかの形で生じるだろう。
最初期からシルベザード派の盟主として中央貴族たちをまとめ、強い政治力を持つアルサス公と、経済力と軍事力をバックに、シルベザード派の中核にのし上がったギワナ家。
この2つの大きな力が、王位という巨大な権益に相対して、衝突しない方が難しいのだ。
そのとき、老獪なアルサス公に、このカリウスが太刀打ちできるようでなければ、安心して老後を迎えることはできない。
フリードマン老人は、その好々爺とした笑顔から想像できないほどに、重くどろどろとした野心を心の中に飼っていた。
決起の時は、迫っている。
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シルベザード・ト・キュレスは、年若い割りに多くの戦場を経験してきた。
魔物相手が多いが、盗賊の討伐や、武装集団への攻撃に参加したこともある。
その身体は引き締まり、筋骨隆々というほどではないが明らかに戦う者の姿をしている。
王子という身分に見合わぬその活躍に、眉を潜める者もいたが、一方で好ましい目線を送る者も多かった。
特に、貴族の貴族たる所以は、大地を魔物より守護し、ヒトの領域を確保する責務を負っているがゆえだと考える”良識的”な貴族からは、受けが良かった。
それ故に軍部、特に北方派と呼ばれる軍閥貴族たちからは大きな支持を集め、軍閥貴族と繋がりの強いリック公ギワナ家など、強力な支持者を得ることもできた。
幼い頃から活発なシルベザードに比べて、兄のガラージィンは大人しい子どもだった。
本の虫で、文字を覚え始めたころには練習がてら、シルベザードに英雄譚を読み聞かせてくれたこともあった。
幼い頃には純粋に、兄が好きだったと思う。
しかし、馬どころか剣もろくに扱えない虚弱体質で、シルベザードの胸には成長とともに複雑な思いが混ざっていった。
周りの貴族の間でも、あれでは王家どころか、貴族の子とは言えないと隠然と貶すものまでいた始末。
しかもあろうことに、それを聞きつけた兄は、その貴族を処断するのではなく、聞かなかったことにした。
気づかないフリをして、やり過ごしたのだ。
何と情けない姿か。
自分も内心思っていたことを棚に上げて、兄に談判したこともある。
何故言い返さないのか。
仮にも王家の者が馬鹿にされて、何とも思わないのか。
兄は困ったように笑いながら、何やら言い訳ばかりしてきた。
その頃だろうか。
シルベザードの胸に、表に出せない思いが宿り始めたのは。
先代の王であった父が早逝したとき、内心夢想した。
兄の王位は認められず、自分が王となる日が来るのではないかーー。
そんなある日、決定的に全てを決定づける日が訪れた。
あの日ーー。
シルベザードは窓越しに、青く光る月を眺めながらため息を吐いた。
ためらいを振り切るように。
「兄上。もう引き返せないぞ。全ての事は、兄上に責がある。違いあるまい?」
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「右府が騒がしいようですな、陛下」
「アルサス公。この時期に、閲兵式を古式で行うと言ってきよった」
「ほう。それはまた」
アルサス公と呼ばれた男は、書類を読むために目に当てていた魔道具を外すと、目を細めて王を見た。
「閲兵式と言えば、多くの貴族たちの誉れ。内部を引き締めるということですかな」
「であるか。確かに思ってもみないほど、乗り気の者が多い」
「地方の貴族にとっては、力を示すことが存在価値でございます」
「中央で貴公のような者ばかり見ていると、信じられぬ価値観だな」
「これはこれは、お手厳しい」
アルサス公は薄らと笑みを浮かべた。
「別に行うのは構わぬが、何をするにも金がかかる。すまぬが、捻出できるか試算を出してくれ」
「御意に。実際、集まるのはどれほどの規模でしょうか」
「全ての貴族が王都を目指すのではないかという勢いだ」
「それはそれは、王家の威光が王国中に届いている証拠にございましょう」
「祭り好きなだけではないかな」
「ほっほっほ」
王、ガラージィン・キュレスは手を振って話の終わりを示すと、もう一度アルサス公の方に目線をやり、それから執務室を出た。
向かうのは、王の私的な空間である離宮である。
離宮に向かう廊下には、色とりどりの花が飾られ、壁には各地の貴族家の紋章が掛けられている。廊下の終着点に近付くと、警護の兵が距離を取る。
離宮内の警護は、管轄が異なるからだ。
これまで警護してきた兵は、後ろを向いて離宮の入り口を守るような配置に着く。
出迎えた警護兵に自室に向かうと告げ、自室まで同行する。
自室の前で警護兵が止まり、王だけが中に入っていく。
「爺、おるか」
「は。御前に」
天井から、バサバサと丸鳥族が降りてくる。
王の後ろにある止まり木に掴まると、羽根を胸に当てるようにして礼を示した。
「北はどうであった」
「はい。雪華隊は西に向かうようです」
「決まりか」
「西の部族との戦が激しさを増しておるようですからな。それより」
丸鳥族は、話題を切り替えるためか、羽根をバサバサと振って見せた。
「国内のことです。北の連中の動きが怪しいですぞ」
「捨て置け。奴らの児戯に付き合ってやるほど、暇ではないわ」
「陛下。油断は禁物ですぞ」
「そうだな」
受け入れたものの、興味なさげに返す王。
幼少の頃、父上の目を盗んで図書室に入り込んだ。
そこで読んだ英雄譚や、帝国の歴史には頭を剣で叩かれたような衝撃を受けた。
この頃は、王都でも暗闘が続いている。
誰がそれを仕掛けているかは、分かっている。
分かっているが、正直、理解はできない。
昔からそうだった。
浅い貴族観と、頭の悪い自尊。
自分の家を富ますことしか興味のない野心家に、それを利用するしか脳のないたかり屋ども。
何故そんなものに命を賭けられるのか。
それが為せたとして、何になるのか。
下らない。
曲がりなりにも、帝国の末裔たるキュレス王家の臣下であり貴族という、恵まれた地位に生まれたのだ。
そのような下らないものではなく、目指さなくて何が貴族か。
帝国の復興。
何故理解できないかが、理解できない。
それは王自身が自覚する、自分の欠点でもあった。
下らない権力闘争を繰り返す者の気持ちが、皮肉ではなく本当に分からないのだ。
分からないのだから、それを汲み取ることも、解消することもできない。
このままでは帝国どころか、キュレス王家は悪い方向に向かうしかない。
その予兆は、彼が王位に就く前から感じていた。
だからこそ。
「こんなところで、つまずくわけにもいかんな」
自らの手でワインをコップに注ぐ。ぬるい酒であった。
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