第196話 昔
かつて、帝国が大陸全土を席巻していた時代のこと。
バシュミ族は今と変わらず、他種族から隠れながら暮らしていた。それでも、交流のあった数少ない部族と交易しながら、細々と暮らせていた。
やがて砂漠地帯にも帝国の勢力が及び、諸都市は帝国に臣従し、反抗的な部族への弾圧も始まった。
帝国の進出からしばらくして、バシュミ族の狩人が、過激な部族に追われる1人の青年を助けた。
バシュミ族は青年をもてなし、近くの都市まで送り届けた。都市に着いた青年はお礼を渡そうとしたが、バシュミ族はそれを固辞して、門衛に見つからないようにと帰ってしまった。
数年後、再び青年がバシュミ族の領域に姿を現した。大勢の戦士たちに囲まれて、多くの財宝を運んで。
その青年こそが、帝国三代皇帝その人だったのだという。
バシュミ族は皇帝に大いに感謝され、義の種族として賞賛された。そして請われた。帝国を守る盾とならないかと。
それ以来、その生真面目さを買われ、皇族の護衛や砂漠地帯の警察権力を任されたバシュミ族は、多くの種族から尊敬されて、認められるようになっていった。
バシュミ族は彼らなりに、時代に価値観を適合させた。帝国そのものを同胞として、帝国の存続と正義を信じたのだった。
適材適所、バシュミ族のあり方は公明正大で、多くの帝国民も信頼を寄せた。
帝国が健在であるうちは。
やがて年月が流れると、帝国は腐敗した。
また魔物の大移動が起こると、帝国は分断され、互いに争い、瓦解していった。
壊れかけの帝国において、それでも帝国の存続と正義を盲信するバシュミ族は……権力の手先として利用された。
多くの反帝国的であるとされた識者を手にかけた。腐敗した帝国の代官を守り、抵抗した市民を殺した。
バシュミ族は恐怖の対象となった。
多くの者が彼らを説得しようとした。だが、失敗した。
バシュミ族のほとんどは、その時になってもまだ、かつて助けた青年との約束を守ることが正義だと、信じて疑わなかったのだ。
『帝国の虫』として蔑まれるようになったバシュミ族は、帝国が崩壊した後になると、『ヒトではない』という扱いを受けるようになった。
帝国が倒れ、バシュミ族がその呪縛から解き放たれるころまでに、バシュミ族はあまりに多くの憎しみを買ってしまっていた。
帝国が倒れてから、多くの年月が流れた。
ほとんどの者は、バシュミ族の者ですら、かつて帝国で何があったかなど、覚えていない。
しかし、その憎しみは形を変えながら、侮蔑として継承され、未だにこの地でバシュミ族は『ヒトではない』と考える部族が多いのだそうだ。
オチョウがゆっくりと、しかし淀みなく語り終える頃には、シュストラも戻って、その話に聞き入っていた。
その脇には、シュストラがどこからか案内して連れて来たらしい、もう一人の影がキノコの光に揺れていた。
「チョウロウ、モウイイカ」
「ああ、構わんとも。ヨーヨーさん、いかがでしたかな?」
「いかがかと言われても……スケールが大きいな」
帝国の話は色々と聞くが、内情までしっかり聞けたのは初かもしれない。
というか、帝国の滅亡って魔物の大移動が原因なのか。そんな話、あったっけ。
「これはあくまで、この部族に伝わる口伝の歴史、その要約です。どこまで正しいのか、今となっては検証しようがありません。しかし、この話に出てくる先祖の性質は、今とそう変わらないと思っています」
「高潔にして残酷、か」
「そうですね。あくまで他の種族から見れば、ですが」
「なぜ、この話を俺に?」
「我々を信頼しても良いのか、駄目なのか。判断が難しいでしょう。私は隠し事をするつもりはありません。これが、我々です。判断は、あなたがなさってください」
オチョウがトントンと杖を叩くと、シュストラが傍にいたヒトのマントを取った。
それは、バシュミ族とは違う種族だった。
青白い、キノコの微かな光に照らされて、なお分かる真っ赤で大きな目。
身長は160センチ前後程で、その頭から上にまっすぐ伸び立ったウサギのような耳。
真っ直ぐな白髪が肩まで伸びて、光っている。見た感じの歳は若そうなので、髪色は地毛なのだろう。
「……このヒトは?」
「ルキ。ルキ・ロ・クタス」
凛とした、芯の通った高音だ。
「獣耳族か?」
「違います。種族的には近いかもしれませんが、私たちには副耳がないですから」
彼女、ルキが髪をかき上げる。頭蓋骨の横、人間の耳がある辺りは、何もなく平らだ。
「では、なんの種族なんだ?」
「……」
ルキは、横のシュストラを見た。
「大丈夫ダロウ。カレラハ、スデニワーリィぞくとタタカッテイル」
「ワーリィか。やつらから、弾圧されてる種族か?」
「……。月森族。ワーリィ族が暴動を起こしたピンクストイの支配部族でした」
月森族? 聞いた事ないな……。要は、ワーリィ族にクーデター起こされた側か。
というか。
「ワーリィ族の言ってたことは、一部正しかったってことか?」
「ソウトモイエル。ダガ、拉致デハナク保護ダ」
「奴等の狙いは、そいつか?」
「オソラク、ソウダ」
あー、まあ、クーデターされた側の一族だからか。確実にワーリィ族に恨みがあるし、下手したら、地方で軍勢を集めて反撃とかありうる。そりゃあ、血眼で殺そうとするわけだ。
俺も口封じのためにワーリィ族の部隊を皆殺しにしたわけだし、人のことは言えないか。
「それで、何故そんな厄介なやつを俺の前に?」
「タノミがアル。本人シダイダガ」
「……シュストラは、私がいつまでも地下に隠れているより、外に出たいのであれば提案があると言ったんです」
「つまり、俺に故郷の奪還を助けろと?」
たしかに、ちょっと前も戦士団と一緒に村の争奪戦とかしたよ?
でも、別に進んでやりたいわけでもない。
「いいえ、それは考えていません。ピンクストイは、母様や姉様と過ごした、大切な地ではあります。しかし同時に、家族が皆殺しにされた血塗られた場所です。たとえワーリィ族が私を許すと言っても、私は進んで戻りたいとは思えません」
「では、何を?」
「……」
ルキが言葉に詰まったところで、傍にいたオチョウが口を開いた。
「シュストラや、ルキはこのオチョウに言われて、ここに居るのです。ご説明しましょう」
「ああ」
「シュストラが、あなたをここに連れてきたのは、私の指令に従ったからでしょう。かねてより私はオチョウにこう命じていました。ワーリィ族と通じておらず、ワーリィ族に対抗できるほどに強く、我々との対話を拒否しない人格の持ち主がいれば、この地に案内せよ、と」
「なるほど。ワーリィ族とやりあい、剣士にも勝った。それを見て、条件に当てはまったわけだな」
「その通り。しかし実際、その命令が実を結ぶとは、特にシュストラが実行するとは思っていませんでした」
「何故だ?」
「シュストラは武芸の才能に恵まれているため、並の強さでは強いと認めないのです。しかも、彼はどちらかと言えば平均的なバシュミ族の若者なのです。つまり、そうそう他種族の、特に人間族の方と馬が合うような性格ではないのですよ」
「それで? 流れは分かったが、問題は何故そんな条件の人物を求めていたか、だろう」
「その通りです。その理由は、先程ルキが、シュストラから言われたと言っていたこと、そのままです」
「地下に篭ってても仕方がない、みたいなことだったか?」
「ええ、その認識で構いません。そして、もうひとつ。私は、およそバシュミ族らしくないのです。だからこそ、高潔でもなければ、卑怯です」
「卑怯?」
「はい、とても」
「ああ。何を言いたいのか分かった気がする。ワーリィ族か」
「よくお分かりだ。バシュミ族は、決して友であるルキさんを裏切り、引き渡すことを許さないでしょう。しかし、彼女の身がここにある限り、たとえ今回の件が漏れなくとも、いつかはワーリィ族が攻撃を掛けてくるでしょう」
「そうなれば、もたないか?」
「いいえ。地上ならともかく、地下でバシュミ族と戦うのは無謀ですよ。十中八九、勝てます」
「だが被害は出る、と」
「流石ですね、人間は話が早い」
オチョウは再びかっかっかと、口を打ち鳴らした。
「あんたの言いたいことは、分かった。だがこちらのメリットはなんだ?」
「当然の疑問です。まず知って頂きたいのは、我々はいずれの方にも無理を言うつもりがないということ。ヨーヨーさん、あなたと、ルキさん。双方が納得して地上に戻るのでなければ、ルキさんをお預けする気はありません」
「ここは交渉の場というわけだ。で、ルキさんとやら。あんたの要求は?」
「……。ヨーヨー、さんでしたか。あなた方は、ダンジョンを知っていますか?」
ああ。そういえば、ダンジョンの話をしたら、オチョウが神の導きみたいなことを口走っていたな。
「今、向かっているところだ。一応な」
俺の答えを聞いたルキは、初めて感情を乗せた表情でこちらを見上げた。
「連れて行って下さいませんか」
「……ダンジョンにか?」
「はい。私の望みは、何年も前にダンジョンにて力尽き、未だに弔われてすらいない、姉の亡骸を弔ってあげることです」
「……。いつくか確認したいが。まず、姉が力尽きたのはどの辺なんだ? 俺たちは、あくまでダンジョンは無理のない範囲で潜るつもりだったんだが」
「地底湖の奥にある、亜人の領域です」
聞くからに危険そうな場所なんだが?
「俺は無理するつもりはない。姉の亡骸を見つける前に、引き返す可能性が高いぞ」
「本気で探してくだされば、十分です。私も何度か潜り、失敗して戻ってきましたから」
「ちょっと待て」
「はい」
「ダンジョン潜ったことあると? 何回も?」
「はい。最初は遺跡の方に。その後、地底湖の方に向かったと分かったので、そちらにも。ただあの辺りは亜人が多く、目的地に向かえませんでした」
ダンジョン案内人、さっそく見つかった件。
いやいや、いやいや。
「案内人は雇ってたか?」
「はじめのうちは。3度目には慣れたのもあって、雇わずに私が代わりにやっていました」
できるやんけ。
いやいや。そもそもの問題がある。
「ルキのジョブは? 言えるか?」
「はい。『月戦士』です。ご存知ですか?」
「いや……キスティ?」
「私も知らんな! 察するに、種族ジョブだろうか」
「仰る通りです。月森族の戦士にたまに獲得される守護系ジョブと言われています」
月の戦士って、月に代わっておしおきでもすんのかね? とか考えていた俺の耳に、衝撃が走る。
「んん!? てっきり戦士系かと思ったが、守護系のジョブなの? 大盾とか使う?」
「大盾がメインですね」
「採用」
「……ご主人様?」
サーシャが後ろから肩をちょんちょんとやってくれて、正気に戻る。
守護系の仲間はマジで欲してたのよ。
でも、どういう扱いにするかだよな。
「あー、ウチのパーティは、俺と、隷属した従者だけで組んでるんだが」
「そうでしたか。それは、構いません。元より、ワーリィ族に掛けられたスキルで、隷属状態ですから」
「えっ。ワーリィ族に?」
「いえ、隷属対象は空白です。隷属を脱したので、主なしの隷属状態なんです。」
「しかし、俺のパーティに入るってことは、一生そうかもしれないんだぞ」
「そうですね。今は何とも言えません。あなたのパーティの方達に、お話を聞きたいです」
「ああ。まあ、そうなるか」
それはいいんだが。
こっちはこっちで、連れていくスタンスで行くかどうか、判断材料が欲しいし。
「では、我々はいったん席を外しましょう。両人が納得できるまで、話してみると良いでしょう」
「オチョウ。もし連れていく結論になったら、隷属を俺に移すことは可能か?」
「ええ。双方合意状態で、隷属ステータスの対象を変更するくらいであれば、我々にも可能です」
「そうか。ありがとう」
「とんでもない。それでは、また後程」
オチョウは、シュストラと連れ立って部屋を去った。
椅子に座るようにルキを促し、机を挟んで反対側にパーティ四人で並び座る。面接みたいだ。
「志望動機でも訊けば良いのか」
「なんでしょうか?」
「いや、なんでもない。確認だが、本当に故郷の奪還、またはワーリィ族への復讐は望まないのか?」
「はい。私の知る限り、この地の月森族は殺されてしまいました。今更ピンクストイに戻ったところで、何も戻っては来ません」
「ワーリィ族は、諦めないんじゃないか」
「さて、どうでしょうか。今は血気盛んですが、今まで月森族が担ってきたことを、彼らがやる必要があります。悠長に残党狩りをしていられる期間は、そう長くないようにも思います」
「月森族は優秀だったのか」
「それは何とも言えません。しかし、少なくとも統治系ジョブとノウハウを持った一族を、何の対策もなく消してしまったわけです。魔物から土地を守るだけでも、苦労するでしょう」
「ふむ。統治系ジョブって、そんなに希少なのか」
「ええ。統治系は、統治の経験がなければレベルが上がらないわけです。そう考えれば、高レベルの統治者の希少さが分かるはずでは?」
「……なるほど」
ケシャー村を統治するようになった戦士団は、大丈夫なのだろうか。あの脳筋集団に、統治系ジョブはいるのだろうか。
「まあ、ワーリィ族がどうなるかは憶測でしかないな。ワーリィ族が狙っているやつをパーティに加えることは、それなりにリスクだ。それに見合うだけの実力があるかを知りたい」
「そうですね……『月戦士』は、守護系と言われますが、戦士系とのミックスのようなジョブです。技量次第では、攻守の要となることができます」
「ほう。ルキは魔物相手は得意なのか?」
「もともと、戦士団に入っていましたから、魔物相手が得意です。逆に、ヒト相手に真剣で命の取り合いをしたことは、数えるほどしかありません」
「なるほど。ウチは一応、魔物相手がメインだからな。とはいえ、なんだかんだでヒト相手も戦ってるから、キスティに対人戦を鍛えてもらう必要はあるか」
「……」
「レベルは? 戦士団にいたということは、高レベルなのか」
「申し訳ないのですが、レベルやスキルといった詳細については、一緒に行くとなったときに共有としたいのですが。まずは、パーティの方の話を聞いてみたいです」
「お、そうだったな。サーシャ、キスティ。秘密は教えない程度に、自由に話して良いぞ」
俺はいない方が、素直に話しやすいか。
席を立とうとしたところで、袖を引かれた。
「ご主人さま、ボクは?」
「あ〜、アカーネは話すことあるかな。何だったら、隅で魔道具整備しててくれるか」
「むう。ボクも話くらい出来るんだけど」
なんだなんだ、背伸びしたい年頃か?
自由にしていいぞ、と返して頭を撫で回しておく。
「ちょっとー、乱暴にしないでよ!」
「悪い悪い」
さて、俺はどこ行ってるかな。
表に出れば、シュストラが待機してるかな。
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