第150話 星空

雨でぬかるんだ荒野を、地下への探知を続けながら野営地まで戻った。

割と、疲労困憊である。


辿り着いたころには日も暮れ、急いで野営の準備をし、サーシャの用意した簡易食を胃に流し込む。

アカーネの疲労が酷いので、先に寝かせて夜番の陣容を決める。


アカーネはお休みにさせてもらい、サーシャとキスティを組ませる。

正直、ドンさんがいればよっぽどのことがない限り、寝ている俺を起こすくらいの時間は稼げると思っている。

俺とクデンの組み合わせにしたのは、正直少し警戒心があったからだ。


クデンは、思っていたよりあのイバラという若者に肩入れしているようだった。

そのイバラが死に至った原因は、俺たちの監視を任されたからだろう。

だから俺たちを憎むというのは逆恨みなのだが、そう分かっていても割り切れないのがヒトの情というモンだ。


最初の番をサーシャたちに任せ、夜半に交代のために起こされると、すでにクデンは焚き火の前に座り込んでいた。

鎧を着込み、剣の柄を握りしめているが、どこか気の抜けたような、弛緩した様子であった。

やや黄色い火の光が、彼の皺に深い影を作り出している。

俺が焚き火の前まで行くと、ゆっくりとクデンがこちらを向いた。

その表情は、何を考えているのか。


「よお、イバラのことはその……」

「気にすんな、ヨーヨー。悪かったな」

「何で、謝る?」

「儂とて、プロの傭兵だぁ。人死に程度で狼狽えるタマじゃねえ、と思っていたんだがなあ」

「……可愛がっていたのか?」

「どうだろうなあ。気にかけてはいたが、のお。無鉄砲で不器用で、どこか……先代の昔に重なってよお」

「俺たちに着いてきたのは、あいつを守るためか」

「ハッ」


鼻で笑うような仕草をしたクデンだったが、否定もしなかった。


「……見たところ、お前さんらも歪なパーティだき。あの若い嬢ちゃんだけ、力量が一段と低い。何故、今回ここに連れてきた?」


クデンは真っ直ぐ、俺の瞳を睨んだ。


「さてな。あえて言葉にするなら……俺の目の前で死なれたら、諦めもつくが。俺の知らないところで死なれたら、諦めきれんからかな」

「……ハン」


パチパチッ、と木が爆ぜる。

この辺は大丈夫なはずだが、一応地中にも気配探知を打っておく。……反応なし、大丈夫そうかね。

ドンが「ギュッキュゥ」と甘えた声を出して近付いてきたので、木の実を割り与える。

こいつのおかげで、ワームの接近に気付けた。

やはりドンさんは優秀な護獣だろう。帰ったら、サーシャセレクトで高級木の実セットをプレゼントすることもやぶさかではない。村にはないか。大きな街に寄ったとき、かね。


「ひとつ、嘘を吐いた」


ボソリ、とクデンが言葉を吐いた。独り言の声量だったが、静かな夜には良く響いた。


「イバラが馴染めなかった理由など、分かり切っとった」

「…預けられた村で、馴染めなかったと言っていた話か?」

「そうだ。儂らぁ、いや、儂は考えが甘かったき」


雨が通った後だからか、やけに綺麗な空気が星の光を荒野に通す。

満点の星空だ、と寝転がって見上げたくなるようだ。


「……儂らが連れてきた。それが馴染めなかった理由だ」

「どういうことだ?」

「本気で分からんか? お前さんだって、覚えはあるだろう。村人たちの、冷たい対応をよ」

「……まあ」


つい最近、酒をぶち撒けられたりしたが。

そこまで村人たちと交流もないしな。


「確かに、お世辞にも傭兵の類のお行儀が良いとは言えねえ」

「…」

「だが、儂らが何もしちゃいねえでも、あいつらは怯えて、目の敵にしやがる」

「まあ、魔物で分断された世界だ。気軽には外に出られないし、その魔物を屠るような武力が村に駐屯すれば、気が気じゃないかもな」

「知ったような口を利くじゃねえか、ヨーヨー?」

「想像だが」

「……。そうなのかもしれねえな」


クデンは、胸のあたりを探る仕草をしたが、何も出てきはしなかった。


「……ふう、もうヤメたんだわ。癖は抜けねえなあ」

「タバコか?」

「タバコっちゅうと、あのモクモクか? そんなんじゃねえ」

「違うのか」

「まあ、似たようなモンか。匂い草をやっててよ、ずいぶん前にヤメたんじゃきの」

「匂い草?」

「知らんか? 吸うと気持ちよ〜くなる、赤い草じゃ」

「…」


それ麻薬じゃない?

まあ、麻薬と言っても大麻みたいに危険性の低いものから、吸ったら人生終わりな危険ドラッグまで様々か。

考えてみれば、命のやり取りが日常的なこの世界で、その手のものが流行らないわけがないな。

むしろ戦士団とか正規のところでも士気を維持するため、大量に使われてそうだ。

テーバ地方にいた陽気なフィーロなんか、あのハイテンションの理由はそっちのお薬のせいだったりして。

……あれは、素か。


「匂い草をヤリ始めたんも、考えてみたら、村人どもにあしらわれて、落ち込んでたときだった」

「気にしてんだな、そういうの」

「儂も若かったき」


クデンは苦笑しながら、深呼吸で、澄んだ夜の空気を肺に入れた。


「儂だって、若い頃は理念とか、希望とか、そういうのに燃えとった」

「希望?」

「この世界は最高の世界じゃき。それゆえに、魔物が攻め込んできよる。儂らは、それに対して戦う神の代行者じゃと」

「ああ、神話の」

「神に与えられた力を、レベルを育てて、そいつで憎き魔物どもを殺す。儂のおかげで多くのヒトが、この世界が守られて……いつか英雄として称賛を受ける」

「……」

「笑っちまうだろお。田舎じゃ、クソの神官が嘯くそんな夢物語を胸に秘めてよ、村を飛び出すやつはごまんといるで。半数は、1年と持たずに物言わぬ身体で村に帰るがな」

「……」

「お前さんも、そんなクチじゃねえのけ、ヨーヨー?」

「いや、俺は……どっちかというと、魔物狩りをする他に道がなくてな」

「なんじゃ、追い出されたクチか? そういう奴も多いな」

「ああ」

「村で抱えられる人の口など、たかが知れとる。だから定期的に神官が若人を焚きつけては、魔物にぶつけて口減らしってわけだき。魔物は減って、口減らしも完了。まっこと良くできた仕組みじゃなあ。それが神サマの意思っちゅうなら、流石の叡智じゃき」


クデンは手元にあった、小石とも呼べないような土の塊を黄色い火の方に投げつけた。

小さな砂煙が立つが、何事もなかったように、火は爆ぜる。


「魔物を殺して金を貰うことが、そんなに汚ねえかね? 奴らからすりゃあ、一晩で村の蓄えをごっそり持ってく傭兵連中は、鬱陶しいのかもしれんがの」

「……」

「命を、賭けてんだ。壁の中で守られて暮らしてる連中には、一生分からんき。昨晩夢を語り合った友が、密かに希望を託した若者が、呆気なく魔物どもに喰われてく気持ちなんぞな」

「クデン…」

「失うモンばっかじゃき。ボロボロになって戻ったときの、壁の中の連中の目を見たことは? あの連中の、冷たくて、死んだような目じゃ。影じゃ、死んでった仲間の陰口を叩いちょる。……どこも同じじゃ」

「……」

「何のために戦っとるか、分からんくなることはないか? ヨーヨー。お前さんは強い。儂は魔法にゃ疎いが、お前さんの実力は何となく分かったわ。だがの、それでも、いつか失うぞ。それは遠い未来じゃない。お前さんが大事に守っとる何かは、あっけなく明日、消え去るんじゃ。そのときに見てみろ、戦わねえ連中を。あいつらは、……腐っとる」


クデンはヴァイキングのような厳つい風貌を丸めて、剣を抱えた。

ドンさんが近くまで歩いて行くと、木の実を差し出した。

珍しいこともあるもんだ。


しかしクデンがピクリとも反応しないので、ドンさんはその場でぺたんと座ってしまった。


クデンにとって、イバラは本当に大事な存在だったのかもしれない。

希望を裏切られ、理念を失った老傭兵にとって、仲間が、かつての自分と重なる若者こそが生き甲斐だったのかもしれない。


その若者が、俺という異分子が来たことで失われてしまった。そのことは申し訳なく…はないな。考えてみたら、別に俺から頼んだことはない。

責めるとしたら、未熟な若者を得体の知れないヤツの監視役に選んだ傭兵団の上の判断だろう。


まあ、それが分かっているから、クデンも俺を責めるようなことを言わないのかもしれない。


「……ヨーヨー」

「なんだ?」

「お前さんたちは……何者だ?」

「何者だ? どういう意味だ、そりゃあ」

「……」


クデンは俯いたまましばらく無言になったが、やがて呟くように口を開いた。


「ホントは、訊くべきじゃねえことくらいは、分かってんだ」

「お?」

「藪蛇を突くべきじゃあねえし、団長が訊かねえなら、儂が訊くべきじゃあない」

「俺の話を、か」

「そうじゃき。……団長は、団長なりに団を思っちょる。それは理解しとるき」

「?」


俺が何者か、という話題とどういう繋がりがあるのか。

ぽつりぽつりと語るクデンの話に、耳を傾けてみる。


「だが、最近の団はちょっくらおかしい」

「おかしいだと?」

「ああ……儂にゃ分からんような、難しい話を並べて、何を焦っとるのかのお」


俺にも分からんぞ。でもこれは、貴重な情報なのかもしれない。黙って聞いておこう。


「ヨーヨー、お前さんへの対応もちぐはぐじゃった。友好的にいくなら、荷物なんぞそっくり返しちゃればいい」

「……」

「幸い、お前さんはそれで怒らなかったようじゃがの。偶々じゃ。団長はお前さんを、畏れとるんじゃろう」

「畏れている? 何をだ」

「もちろん、お前さんが何者か、をだき。お前さんがもし、お偉いさんの遣いか物見なら……お前さんたちに何かあれば、それは儂らを排除する理由になるき」


……。

つまり、領主サイドの存在かもしれないと思われたから、それなりの扱いをされている?

まあ、あるかもしれんな。


「あるいは反対の貴族様に関係があるなら、それはそれで爆弾じゃき」

「反対の貴族?」

「戦争相手じゃ」

「ああ……あっちの国の人ってことか」

「……。お前さんが何者か、まあ、言えんのじゃろう。もしかしたら、儂らの考えすぎかもしれん。だが、そうだとしても、儂らにはそれを知る術がない」

「……」

「じゃから、これは単なるお願いじゃ。儂らは、儂らなりにうまくやっとる。この辺の魔物だって、儂らが討伐しとる。どうか、儂らからこれ以上、何も奪わんでくれ。この通りじゃ」

「……」


クデンは、時代劇の侍のように、あぐらをかいたまま背中を丸め、頭を深く下げるようにした。

この世界の風習にはまだ疎いが、それが「懇願」の姿勢だということは直感的に理解出来た。


「……」

「ハン、こんなこと言われても、答えられんわな」

「すまんな」

「いい。これは儂の自己満足に過ぎないだに」

「自己満足、ね」

「……ああ」


澄んだ星空に、1つ筋が流れていくの見える。


「1つだけ、訊いても良いか?」

「儂に答えられるこたあな」

「団長が、焦っていると言っていただろ。どういうことだ?」

「さあ、それは。儂にも分からんが」


クデンは呼吸を次いで、思いを巡らすように星空を見た。


「……おかしくなったちは、あの野郎が来てからじゃろうなあと、思っとるわ」

「あの野郎、とは?」

「お前さんも、団長と会ったなら後ろに居ったんじゃあないか?」


「細目で、もともとは南の王国にいたっちゅう、胡散臭いお坊ちゃんだき」


ああ。キスティを睨み付けてた野郎か。……もともとキスティの同朋かよ。こりゃ顔を知られてたか。

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