第115話 【閑話】王宮にて

こつ、こつと床を優雅に突く音が響く。

音の主はマントを水鳥の刺繍を入れたマントを羽織った青髪の男。

顔にまだ幼さを残すが、若々しい力強さと優しさを併せ持った表情は凛としたカリスマを感じさせる。

ゆっくりと檀上に向かう若い男の前で跪く鎧姿の男は、顔に大きな傷を遺し、目付きは猛禽のよう。身体を丸め、跪いてもなお、筋骨隆々とした体格が窮屈そうに主張している。

長い時間をかけて到達した檀上の赤く絢爛とした椅子に腰を下ろした若者に、跪いていた男がその銀髪を上げ、真っ直ぐ目線だけを合わせた。


「陛下、ご機嫌麗しゅう」

「卿は相変わらず、顔に出るな」


陛下と呼ばれた若者は決まり切った挨拶には応えず、やや呆れたような口調でそう声を掛けた。


「陛下。テーバ地方で、弟君が軍を動かしたようですぞ」

「で、あるか」


若者――王は、目を閉じると、交差させた足をゆっくりと組み替えた。


「何故動かれませぬ? これははっきりと、反逆行為ですぞ」

「そうか? 別に、王宮に弓を引いたわけでもあるまい」

「陛下ッ!! 何が目的であろうと、これほど大胆に軍を勝手に動かすのは越権行為ですぞ! それにっ……!」

「――そう騒ぐな。分かっておる。テーバの魔物素材、特に魔石は重要な戦略資源だ。何度も聞いたわ」

「北方派は私の命令など聞きませぬ。陛下、私などを大責の席に置いたところで解決できる問題ではありませんぞ」

「だから、私に弟を討てと言うか?」

「それは……」


銀髪の男は視線を落とす。

心中ではそうだと言いたいが、王から直に問われ、そうだと言えるような立場にはない。

それにしても、と男は思う。

過去数代、この国の王家は身内で大きな争いをしたことがない。

他家を見れば、それがいかに稀有なことであったか。

過去のことを懐かしんでも仕方がないが、それだけに今、この国は大きな危険を迎えていると意識せざるを得ない。


「あれで、私の血を分けた弟だ。それにだ」


王は悲しそうに目を細め、息を吐く。


「いいではないか。あれが我欲のためにやったといっても、結局以前よりも魔石は王都に流入するようになった。テーバ地方は王家のお荷物から、金のなる木に成ったぞ。違うか?」

「国庫に流れる金の何倍、弟君とその派閥に流入しているか、ご存知ではありませんか」

「報告は受けたが、まあ、何だ。考え方次第ではないか? テーバでごろつきどもに入る金が、私と弟に入るようになった。王家としては上出来の結果だろう?」

「そのような言い様はあまりに……いえ。差し出がましいことを」

「卿が忠心から申してくれているのは良く分かっている。それより、弟が闘っていた”敵”は分かったか?」


王が促すと、銀髪の男は厳めしい表情をいっそう引き締め、懐から紙を取り出す。


「これを」

「ふむ? 侍従、持って参れ」


紙を侍従がうやうやしい手つきで受け取ると、檀上の王に渡す。

ぞんざいにそれを受け取り、紙を一瞥した王は投げるようにして侍従にそれを返す。


「長いな。卿は読んだか?」

「はっ」

「かいつまんで話せ」

「はっ……おそらく、他国の干渉と……亡国の影響があります」

「亡国だと」


王はどこか遠くを見るように、視線を浮かせた。

数瞬ののち、不機嫌な様子で口を開いた。


「まさか、最近卿に散々に叩かれた奴らの絡みか」

「御意」

「随分とまだ元気だな?」

「痛手を負ったからこそ、賭けに出たのでございましょう。宮殿内の貴族が何人か、乗せられたようでして」

「そのような阿呆、すぐにでも罷免したいわ」

「なさらないので?」

「時が満ちれば、な」


こつ、こつと軽い音が響く。

銀髪の男が目を凝らすと、どうやら王が貧乏ゆすりをしながら床を靴で叩いているらしいと察知した。

この若い指導者の悪癖の1つだが、昔からいくら注意しても直ることはない。そして、このように考え込んだ後には舌を巻くような決断がなされることが多い。最近はその仕草を期待してしまってすらいる。

しばらく貧乏ゆすりをした王は、やがて跪いたままの臣下に視線をやる。


「それで、他国の干渉とな? どこだ?」

「は。おそらく神聖国かと分析官が」

「神聖国だと? また偽装情報ではないのか」

「……否定はできませぬ。しかし、此度は相当に慎重に精査しましたので」

「まあよい。情勢から考えればズレシオンだが、だからこそ違うとも思える。相手は分からぬと考えておこう。本当に神聖国が仕掛けてきたなら、いまいち意図が読めんがな」

「そうですな……。あの国はよく分かりませんからな」

「そうであるな」


臣下のストレートすぎる物言いに思わずふっと息を漏らしつつ、王は同意した。

神聖国は小競り合いの状態にあるズレシオン連合王国の更に奥。王国とはまともな外交関係すらない。

その敵対勢力であるテラト王国と国交があるせいで、仲が良いわけではない。だがあまりに関わりが薄いので、仲が悪いという次元の関係にもない。

無関係。

これが一番近い言葉であろう。

では何故そのような関係の薄い国が、わざわざ王国のテーバ地方などというデリケートな部分を逆撫でしてきたのか。

あるいは、関係が薄いからこそ動けたということもあろうか。


「ま、どこの誰が、何を狙っているかは分からぬが」

「……」

「私としては弟よりその”敵”の方がずっと気になるわ。王国内にいる工作員どもは必ず見つけ出し、消せ」

「はっ」


銀髪の男は再び頭を下げ、王の言葉を承った。


「卿には色々と心配を掛けるが、弟のことは王宮の連中に任せておけ」

「……はっ」

「卿には期待している。その力は、我等のくだらぬ兄弟喧嘩ではなく王家を守るために使ってくれ」

「有難き、お言葉!」

「そういえば、聞いてなかったな。弟が手を入れて、テーバはどうなった?」

「はっ? え、はあ……テーバ地方の現在でございますか」


急な話題の転換に驚いたのと、虚を突かれたことでやや狼狽したが、すぐに取り戻して話を紡ぐ。

テーバ地方で蠢動する勢力、軍が動き護りを固め、謎の武装勢力と交戦する中で生じた地元の傭兵団の武装蜂起。武装蜂起を鎮圧した頃には武装勢力は撤退し、護りを固めていた軍はそのほとんどを逃してしまった。結局、残された証拠は少なく、王弟の派閥も多くは掴めなかったらしいと分析されている。

テーバ地方の領都タラレスキンドは武装蜂起の残り火のなかでやや治安が悪化しているが、戦士団の活躍でそれも抑え込んでいるため大きな問題は発生していないとのこと。


「ふむ。武装蜂起にはどれくらいの傭兵団が組した?」

「傭兵団でございますか? 大きなところは1つのみ、その傘下の傭兵団がいくつか加わったようですが」

「ほう? テーバにはいくつもの傭兵団がいると聞いた。よくそのような無謀な蜂起をしたものだな?」


傭兵団がいくつも常駐しているタラレスキンドで、謀反など起こしても他の傭兵団に鎮圧の仕事がいくだけ。

みすみすライバルに手柄を献上するような所業だ。


「いえ。それが、ほとんどの傭兵団は、領都を離れ魔の森……テーバ領内で有名な狩り場に出掛けていたようでございます」

「何? 弟の仕業か」

「おそらくは。結果として、鎮圧に当たった功労者として、魔物狩りギルドに所属していた傭兵たちが報告されております。それが狙いではあったかと考えます」

「ははは、なるほど箔を付けた、か。あやつに似合わぬ繊細な気配りではないか。さてはて、これは入れ知恵をした者がおるな。それにしても、魔物狩りギルド、か。弟もあれで、面白いことを考える」

「西の領地には冒険者ギルドなるものがありますが、それを参考にしたようにございますな。……こちらも誰の入れ知恵やら」


王弟に考えられるような手ではないと、王の言葉を借りて臣下が暗に言う。


「ふははっ。よいではないか。西には弟の派閥が多いからな」

「笑い事ではありませんぞ!」

「くっく……。固いことを言うな。知恵比べの類なら平和なものではないか。いくらでも受けて立つぞ」

「陛下。ご家族のことですから、これ以上強くは申しませぬ」

「……」

「ですが、どうか。どうか。足元を掬われませぬよう。他国では公家に弑された王など、いくらでも存在します……」

「わかった、わかった。肝に銘じておこう」

「はっ」

「此度の要件は以上か? 次があるのでな、悪いが」

「はっ」


銀髪の男は立ち上がると、深々と腰を折って臣下の礼を示すと、退出していった。



「陛下」

「おう。いいぞ」


銀髪の軍人が出ていった姿を確認してしばらく、王は座ったまま、上から降ってくる声に応えた。

バサバサと羽ばたく音がして、肘掛けの部分に大きな丸い鳥のようなヒトが降りた。


「遅くなりましたが、例の件の情報の裏は取れました」

「おう。今まさに報告を受けていたところだ。神聖国か?」

「おそらく」

「……お前がそう言うのなら、そうなのだろうな。何が狙いだ?」

「さて、単に”傭兵”でしょう」

「傭兵? ああ、そういうことか」


王は呆れたようにため息を吐いた。


「結局はズレシオンか」

「ズレシオンの若君は随分と威勢が良いですな。このままでは近々、大きな戦が起こりましょう」

「そうか。……あの、何とかいう国境の貴族も浮かばれんな」

「デラードのことですな?」

「そう、それだ」

「戦で伸し上がった家です。戦働きは本望では?」

「本気で言っているのか、お前は?」

「陛下。傭兵上がりという人種は、得てして戦狂いなのですよ」

「そうか……ま、この場合、都合が宜しいと考えられるな」

「はい」


丸鳥族が肘掛けに掴まったまま、バサリと羽を広げる。

話が一息ついたことで、弛緩した空気が一瞬流れた。

ホー、と独特のため息を吐く。


「陛下のご依頼で、エメルトの近情も分析できてきましたぞ」

「そうか」

「東の部族とは微妙な状況のようですな。膠着状態です。西は争う部族と懐柔する部族、同化する部族と様々な様子。こちらも今しばらくは時間が掛かるでしょう」

「部族など、勝手にやってくれというところだが……。どうだ?」

「陛下。我が国の部族問題も、未だ解決したとは言えませんぞ。早々に、対策をまとめねばなりませぬ。……エメルトの西進への懸念としては、西の国とどこかで繋がらないかという点ですが」

「西か。魔導船を使っても行けないかな?」

「難しいですな。行けても、片道切符でしょうな。それでは意味がない」

「そうだな」


王は少年のような笑みを浮かべて相槌を打つ。そこには年相応の、あどけない少年の面影が宿っている。


「……陛下、まさかまだ西への遠征などを考えておいででは?」

「まさか」

「本当でしょうな」


ホー、とわざとらしく、またも独特なため息を吐く。

王は苦笑して手をヒラヒラとする。


「ない、ない。あれは幼き日の戯言ぞ」

「その言葉、この爺信じますぞ」

「それに、今はもっと面白き夢を見付けたゆえな」

「面白き? それは初耳ですな」

「……」

「陛下? 何故おだまりになった」


聞き咎められた王は、いたずらを見付かった少年のように、どこか気まずそうな表情をする。


「気になりますな? この爺にも教えて下さらんか」


丸鳥族は幼き日の少年と接するような態度で、思わず質問していた。

妙なざわつきを感じたのだ。

いつも、この優しく尊大な……そして時に大胆な少年が、周到ないたずらを仕掛けてきたときのようにだ。


だからこそ、この立派な椅子に座るようになった青年に、つい、昔のような口調で、問い質してしまった。

王はそれを咎めることもなく、ただにっこりと笑った。曇りなく。


「ここだけの話だぞ、爺」

「……ええ」


「俺は帝国を再興する。そして皇帝になる」


面白そうだろう? と言った。

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