暑くても冷めさせない


 暑い。

 熊谷は暑い。帰りたい。というか、私達の練習はもう終わっている。もう帰っていいんだけど、ちょっと私はまだ帰る気がなかった。

 隣には、これまた暑そうな麗華さんが座っている。なんかこうみると、犬みたいな愛らしさがある。子犬じゃなくて……柴犬かな。暑さに目を細めてると、より犬っぽく見える。って本人に言ったら拗ねて怒られちゃいそうだな……


「麗華〜、マキさんが氷袋くれた〜、あっ、腕をまくっちゃえばいいんだぞ〜」

「ひゃっ、で、でも、人前でむやみにこのような格好は……」

「……えっ、ユニフォームを前にその言葉言っちゃう?」


 莉沙と麗華さんは相変わらず仲がいい。確か、マキさんっていうのは一個上のマネージャーさんだった気がする。保健室の先生並みに怖いで有名らしい。

 しばらく大会のない下級生はもうダウンまで終わっている。でも私は、トラック上にいる親友、栞里が心配だった。


「なんで渡し手が慎重になんの!! アンタは1走なんだからなんも心配しなくていいの!!!」


 大貫先輩がまた怒っている。暑いと人はイライラしやすいというけど……栞里は多分暑さも感じてないと思う。


「す、すみませんっ!!」

「…………私が出るの遅かったら殴ればいい、それだけ。分かった?」


 一週間後に迫ったインターハイに向けて急造のリレーチームが作られていた。大貫先輩と栞里は予選から出る。予選を通過した場合には喜屋武先輩がトモカ先輩と交代になって、更に決勝に出たら、アンカーが天海先輩になる。

 栞里は三本走るのだ。


 ────リレー自体がトラウマとなっている栞里が、三本走る事になったのだ。


「美郷ちゃん、って呼んでいいのかな。お疲れ様!」


 隣に、すらっとした脚の人が座ってきた。その正体は……上田先輩だった。


「ヴェっ、えっ、あっ、お疲れ様です!!」

「いいのいいの、そんな緊張しなくて。こちらこそ、早く仲間入りさせてあげれなくてごめんね?」


 憧れの先輩に謝られてしまった。どうしようこれはわたしはなんてかえせばいいのだろうか────ほっぺむにゅむにゅされている。誰?


「みてみてー、変顔っ!」

「やめてあげなよ、。困ってるよ?」


 上田先輩が後ろの人をどついている。いいな、私も後ろの人になりたい。

 と思いつつ、後ろを向くと、目の細いおっとりした先輩が────天海先輩だ、思い出した。凄い三年生がいっぱいいる。二人だけだった。


「はーい。でも、栞里ちゃん随分愛衣あいに絞られてるね」

「まぁ本人も初めての2走だから緊張してるんでしょ? それよりも、花梨かりんが珍しく緊張してお腹壊してたよ」


 かりん、って誰の事だろうか。と、思ってる最中に莉沙がきょどりはじめた。もしかして?


「えっ、喜屋武先輩が緊張してるんですかー?!」

「まぁ、花梨はそういう緊張に弱いし。だからレース前は絶対に誰とも話さないからね」

「あれって、集中してるんじゃなくて……」


 そういえば、リレーメンバーの中で喜屋武先輩だけが姿が見えない。まさかの先輩の弱点にびっくりした。

 三年生って鉄人集団に見えたけど、まさかここまで人間味のある人だと思ってなかった。

 男の先輩達もそうだ。今は女子の比率が多いこの学校ながら、中学の時の先輩みたいにふざけあってる姿を見てるのがとても面白い。

 そう考えてた今も、森下先輩と部長の沼田先輩がアイシングという名目で我慢比べをしている。

 あんな大きなバケツがあるなんて、やっぱりこの部活ってすごい……


「ゔぉい!! 1年も見てんですから、しゃんとしてくださいよ!!!」


 バケツのまんま気の強そうな人に二人とも倒されている。あれがマキさんか。遠目で見てもオーラが怖い。


「あー見えてもマキちゃん、怖いの苦手なんだよ」

「そうそう、ムカついたらみんなでお化け屋敷行くといいよ。普段の性格があんな感じだから意地張って入っていくし」


 出てきたら涙目だけどね〜、って天海先輩が目を細めながら話している。先輩達は本当に仲がいいというか……これが絆ってやつなのか?

 なんか、誰かに何かがあってもみんなで立ち向かいそうな感覚が先輩達からは感じられた。

 こんな事だったら、もっと早くから先輩達と練習したかったなんて思いつつ、頭に乗せられた氷袋がちょうど気持ち良い。


「お疲れ様です」

「あー、朝夏お疲れさん、三本目良かったよ」

「あの……半歩くらい伸ばしたんじゃないんですか?」


 予選の3走と4走がちゃんと話し合っている。決勝の3走と4走は……3走の喜屋武先輩がじっとしている。なんか、クラスで飼い始めた亀みたい。

 栞里がトボトボと戻ってくる。リレーチームも練習は終わり、というか、もうそろそろ14時だ。これ以上外にいたら、冗談じゃなく死の危険がある。うちの高校は7月8月になると原則、13時から17時はグラウンド使用禁止になるらしい。上位大会の前になると例外で一時間延長か一時間早く開始ができるらしい。


「お疲れ、栞里」

「ごめん、ダウン行ってくる」


 リレーチームがダウンに行くのを見送りながら、私達も帰り支度をする事にした。



***



「ねぇ、美郷。もう一週間後。明後日には出発だよ」


 荒川の土手を自転車で漕ぎながら、栞里が声をかけてきた。最近の日差しのせいでめちゃくちゃ焼けた気がする。


「そうだね、私もお泊まり準備しないと〜」

「…………バトン落とさないかな」


 やっぱりだ。栞里はそもそもバトンを持つ事をトラウマに思っている。バトンをダイナマイトだと思ってるんだと思う。

 たしかにリレーのバトンはそれだけ怖いものではあるけれど……


「落とすと思ったら落とすよ。負けると思ったら負けるのと同じで」


 栞里が黙り込む。泣きたいのだろう。それだけ強い言葉を投げかけてしまった。

 でも彼女は泣かない。この言葉は、昔、栞里に言われた言葉の応用だったから。

 大会前に栞里に跳べない事を泣きついた時に、そんな感じで言われた。


『跳べないと思ったら跳べないよっ』


 その言葉は今でも覚えている。だから私はファールを恐れずに跳べるようになった。それは栞里に感謝しているところだ。

 ファールが増えたので結果的にはプラスマイナスゼロだけど。


「…………美郷は怒ってないの?」

「えっ、なんで?」


 去年の全中の話をしているのはどう見ても分かった。分かったからこそあえて聞き返した。多分栞里は……予想通り、困った顔をしていた。

 でも、私は怒ってない。確かにバトンパスをミスしたのは栞里の早出のせいかもしれないけど、それでも怒ってなんかない。


「だって、しょうがない事じゃん」


 ミスしない人なんていない。絶対にいないからこそ、栞里のミスだってあり得ないことではない。

 だからみんなあの時は責めなかったのだ。バトンミスが起きたのがたまたま、全国大会の決勝で、たまたま私たちの学校だっただけ。

 それを責めるくらいなら、練習した方が絶対いいと思う。


「……そっか、ありがと」


 少しスッキリした顔で、栞里は顔を上げ直した。それにしても早くこの熊谷を出たいな。それくらい暑い。

 インターハイが終わったら、みんなで出かけるのもいいかもしれない。プールとか?

 今も仲がいいけど、もっとなんかしたいね。うん。


 一人でずっと考えてしまった。私の悪い癖ではあるけど、このお陰で色々な事を覚えてるっていうのもあるから、そこは治す気がない癖だったりする。


「ちゃんと応援してね」

「もちろん、叫んでやるから」


 やめてよ、って照れながらも嬉しそうな栞里。十日後が待ち遠しくなってきた

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