汗も緊張も流して
「しおりんも動きが戻ってきたね〜」
六月が昨日終わった。めちゃくちゃ暑い。熊谷に住んでいる事を呪う季節がやってきてしまった。
栞里は食中毒だったらしく、結局あの日もダウンしていた。次の日にお見舞いに行くとまだ治っていなくて、というかお母さんと一緒になっていたっぽくてかわいそうなことになっていた。
それで三日間休んでから復調して今日に至る。そして県北記録会が明後日に迫っていた。
「よし……今日はこれくらいにしよっか〜」
莉沙の声に栞里がのそのそと戻ってくる。今日は期末テストの四日目、一年生は二時間で終わったので午前中に急いで熊谷市民陸上競技場に行ったのだ。
軽くジョグをして、八割くらいで二、三本走って、ストレッチしておしまい。今は四人でストレッチしてるところだった。
「今日も暑いね〜」
「最高気温34℃……まだまだでしょ……」
鴻巣はそんなに暑くない。というか、どこも熊谷と比べたら暑くない。この三ヶ月は毎年自分が熊谷に住んでる事を恨んでいる。東京に出たいな……そういえば噂で芽衣が熊谷どころか埼玉を出たって話を聞いたような気がする。
その真偽は今度探してみよう、なんて考えながらスポドリを一口飲む。もはやお湯になりつつあるそれを無理やり飲み下すと、後ろから誰かに肩を揉まれた。
「ねぇ〜、みんなで銭湯行かない?」
栞里がこれまた暑そうに声を出している、くせに抱きついてくる。暑いよ、って文句を言いながら引き剥がすと、いつもとは珍しくそこで諦めていた。
そういえば、大会二日前になるとみんなで銭湯に行っていた。栞里は普段から乗り気ではなかった……のは芽衣のせいだったのかな。芽衣は栞里の天敵、とまではいかなかったけど……イタズラ大好きな栞里のすべてのイタズラを封じて、なお栞里に何かしらのダメージを与えていた。
「えー、暑いのに行くの〜?」
「ほら、体の疲れ取ってさ、汗も流せるんだよ? 至れり尽くせりじゃない?」
莉沙は渋っていた一言目からコロッと落ちてしまった。そんな中で麗華さんがモジモジしている。
もしかして、銭湯行ったことないのかな、麗華さん。
なにか言いたげな麗華さんの脇腹をツンツンすると、栞里さながらの変な声を出してこっちを見ていた。顔真っ赤でちょっとかわいい。
「銭湯は初めてでしょうか、麗華お嬢様?」
「…………っ! そ、そそ、そんなことはありませんっ。わ、私だって、せ、銭湯ぐらい行ったことありますっ」
お嬢様呼びすると、麗華さんはあのホンワカした雰囲気がなくなる、というのは莉沙からの情報だ。栞里の挑発じみた問いかけに麗華さんは顔を真っ赤にしながら睨んでいる。
「でも麗華、この間のプールの授業、女子しかいないのに恥ずかしがってたじゃん〜」
「そ、それは、その水着が苦手なだけで……」
「水着は布あるけど、銭湯は布ないよ?」
もはや手詰まり、と行った様子で麗華さんはその場にへたり込んでしまった。でも、銭湯に行って一番ダメージ食らいそうなの栞里な気がするんだよね……
麗華さんを銭湯に駆り立てていく栞里と莉沙を見ながら、スパイクについた砂を軽く落として袋にしまう。
時間的にも、もう開いてるかな……?
***
一度家に帰ってモノを余分に取ってくる。莉沙と麗華さんは家が遠いので駅のマックで時間を潰すって言ってた。栞里が莉沙の分、私が麗華さんの荷物を持って出る。
「湯楽の里行くのかと思ったら普通の銭湯だ〜」
「あそこもたまに行くけど、今日は麗華さんもいるしこっちのほうがいいかな〜って思った〜」
駅から二分くらいの所にある“桜湯”。普通の銭湯でお風呂が三つある、本当に普通の銭湯だ。
「大人四人です〜」
「一三二〇円、ちょうどね。ごゆっくりどうぞ〜」
昔から変わらないおばあちゃんにお金をまとめて払う。開いたばかりだからか、まだお客さんはほとんどいなかった。
脱衣カゴに服を脱いで……隣で麗華さんがモジモジしている。やっぱり脱ぐの恥ずかしいんだろうなぁ……
脱ぎ終わった後にタオルを渡してあげて……タオルを巻こうとしている辺りやっぱり慣れないんだろう
「…………あ、あの、美郷さん……その……」
「早く脱がないと栞里にまた言われちゃうかもよ……って二人とももう入ってる……」
さっさと入り始めた二人に追いつくように服を脱いでいく。麗華さんはなんかモジモジしているけど、多分一人になれば恥ずかしくないんじゃないかな。
必要なものを持って浴場に入ると、ムワッとした空気の中に独特な匂いが感じられる。
昔は本物よりも大きく見えた富士山を横目に、麗華さんの分まで桶と椅子を用意してあげた。
「やっぱり全国レベルの身体は違いますなぁ」
「ちょっと待って、そこは洗わなくていい〜!」
栞里と莉沙がイチャイチャしている。というより莉沙が栞里を好き勝手にしているようにしか見えない。
桶の中に丁度いいお湯を作って、身体に何回かかける。それだけで汗が流れていくのがいつも気持ちよく感じた。
「…………ちゃんと来れたじゃ〜ん」
「ま、まぁ、その……言ったじゃないですか……私はお嬢様として見られたくないのです……」
髪を洗っているので表情は見れないけれど、多分ムッとしている。そんな感じの言い方をしていた。
でもなんか申し訳ないので、洗うのを適当に切り上げてシャンプーを流す。
隣で麗華さんがお湯を出す蛇口を回していた。でも、一向に出ないので首を傾げていた。
「どうしたの、麗華さん」
「あの、お湯が出なくて……」
ちょっとしたイタズラを思いついた。クルクル回している赤い方の蛇口、ではなく青い方の蛇口を思いっきり“押す”
「えひゃああっ、なぜです!!!」
日本語が少しおかしい麗華さんの悲鳴に、湯船に浸かっていた栞里も腰を上げてた。莉沙は、絶妙な頭の引っ掛け方を魅せつつ寝ている。あれこそ湯船に沈まぬ英雄……私はいつも沈んでしまうので寝れない。
麗華さんを引き上げていると、本格的に頰を膨らませて怒っていた。その目の面影が、入学当時のあの冷たい目と一緒で……怖い……
やっぱりイタズラしてること怒ってるのかな……どうしよう……とりあえず身体洗おう……
とても悲しい。お気に入りのザラザラしたボディタオルに立てた泡を身体に塗りたくる。ちゃんと洗わないと迷惑だし……
ちょっとやりすぎちゃったかなぁ、栞里と違って麗華さんはまともな感性を持っている人だろうし、そりゃあ突然冷水かけられたら嫌だろうなぁ……
身体を洗い終えて、シャワーを出そうと────んんんんぅぅ?!?!
身体がめちゃくちゃ寒い。寒いと言うか冷たい。えっ、まじで。
泡が一瞬にして無くなった自分の体を撫でつつ、周りを見ている。そこには桶を持った栞里……ではなく麗華さんが立っていた。
「も、申し訳ありません……」
「いいのいいの麗華さん、こういう時は……」
なるほど、栞里の入れ知恵だったか。それじゃあやるしかない。私は桶に水を溜めて────ああああああもういやああああああ!!!!!!!
また水をかけられてしまった。なんだよもう、みんな私にばっかりかけて……って、もしかして……
「し、してやったり、ですわ…………!」
顔を真っ赤にしてタオルで体を隠しつつ、できてないドヤ顔でこっちを見ている。麗華さん、ドヤ顔っていうよりなんかかわいい顔になってるよ。
こうなったら私もやるしかな────
「みーちゃん〜、他の人が来たら迷惑だよ〜」
「そうだよ、莉沙の言う通りだよ!」
こんのイタズラ娘二人は…………麗華さんは堂々としてていいと思うけど……
まぁ、でも。怒ってないならいいかも。
「麗華さん、体流してくれたお礼に背中流してあげるよ」
「ふぇっ、も、もう身体は洗い終わりました……!!」
栞里と莉沙の後ろに逃げる麗華さん。嘘でしょ、完全に取り込まれてしまった。なんてこった、新しい仲間を増やさないと……
とりあえず、みんなで湯船に浸かってゆっくりしよう。私は私で身体あっためないと……
お客さんのいない浴場を満喫しつつ、四人横並びで湯船に入っていた。夏なのに湯船、って思うこともあるけど、汗が流れるのは非常にいいことだ。
「明日の県北記録会、勝てるかなぁ……」
「美郷は5m30跳べば国体選考の記録会に出れるよ」
「エントリー間に合わないじゃん、嘘つきぃぃ!」
「みーさん、暴れないで〜」
なーんで栞里と莉沙にこんなにいじられるんだろう。えーやだなー、何か二人の弱点ないのかな〜。
お風呂に浸かると、どうしてもおっさんみたいな声が出る。やっぱり銭湯は足が伸ばせてすごく気持ちいい。
「だって、だってみんな嘘つく〜!!」
「嘘はついてないよ、来年出ればいいでしょ〜」
「おっ、莉沙がいいこと言ってる。そうだよ美郷、国体に出るチャンスはまだいっぱいあるんだよ!」
「諦めてはいけないと言っていたのは美郷さんですよ?」
三者三様のフォロー、なのか分からない言葉に適当に反応を返す。これ以上何かを言っても簡単にへし折られてしまいそうだ。
お湯の中に顔を半分沈めながら、明日のイメージをしてみる。今日くらいはゆっくりしててもいいかもしれないなぁ……………………
麗華さんに湯船から引きずり出されてようやく寝てたことに気づいた。またやってしまったと思いつつ、冗談交じりのいじりを受け流すしかなかった。まぁ、気持ちよかったしいいや
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