光を追いかける華に




「麗華さん、遅くなって大丈夫なの?」

「ええ、迎えの車が渋滞に巻き込まれてしまっているようで……」


 私と麗華さんは、駅前のバーガーショップにいた。栞里と莉沙の買い物が熱中しすぎて、お昼を食べた後はまさかの荷物持ちになってしまうという展開に戸惑ったけど。

 栞里は、門限があるからという理由で、莉沙はお腹が空いたからというよくわかんない理由で先に帰ってしまった。麗華さんも帰っちゃうんだろうな、と思った所に携帯が鳴ったのが十分前の話だった。


「でも、今日は楽しかったです。お付き合い頂きありがとうございました」

「そんな堅苦しいのはいいよ〜、私も楽しかったし」


 久しぶりに色んなものを買ってしまった。これでしばらくまたお小遣いを貯める日々になってしまう。バイトする事も考えたけれど、それは時間が足りないかなぁ、なんて思った。まぁ、うちのお母さんなら許してくれるでしょう。多分。


「そういえば、こういう店も初めてなの?」

「はい、お名前だけは知っていたのですが、まさか自分が入ることになるとは思いませんでした……」




「藤堂さんは何故、陸上を始められたのですか?」


 ふと、なんの混じりけもない声で質問される。どうして陸上を始めたのか。メジャーな運動部の中で、陸上が一番理由を聞かれるような気がする。

 だって、知らない人から見ればただ走って、ただ跳んで、ただ投げて。それのどこが楽しいのか。中学時代のクラスメイトには「変態」とまで言われてしまった。でも、陸上選手ってそんなものじゃないかな……


「私はね、見ててすごくかっこいいなって思ったから」

「かっこ、いい?」

「うん。だって世界陸上の一〇〇メートル決勝って、世界で一番速く走れる人間を決めるレースなんだよ? 走り幅跳びだって、砲丸投げだって、ハードルだってそう。自分の身体を使って、単純な強さを競う。隣の人よりも速く走って高く跳んで遠く投げればそれで勝ち。こんなに単純なのに、ものすごく奥が深い競技なんだよ」


 思わず語ってしまったけれど、私はそれくらい陸上が大好きだ。

 小学生の時に、偶然当たったオリンピックのチケットで見に行った陸上競技。その時の一〇〇の決勝を忘れない。

 あんなに賑やかだったスタジアムが、「On Your Marksいちについて」の一言だけで静かになる。号砲一発で八人の選手が、「世界で一番速い人」の称号を得る為にたった十秒を全力で走る。

 そのたった十秒に、それまでの全てを詰め込んで。


「奥が深いのに、はかない。その一瞬に全てを詰め込んで、それでダメならまた詰め直して、終わりなんてものはない。そんな姿がとても……カッコイイって思って」


 世界記録、今まで生きてきた人類の中で一番の記録。でもそれは必ずいつか塗り替えられていく。塗り替えられたものはまた別の誰かに塗り替えられて、それの繰り返し。埒があかない、という人もいるけどそうじゃない。

 人が、自分達の身体能力に限界を決めず、ずっとずっと努力と練習を重ねてきた結果がそれなんだと思う。

 それを、中三の時に友達に語ったら、引かれてしまった。別に悲しくはなかったけど、そんなもんなんだろうなぁって、思うしかなかった。


「…………藤堂さんは本当に陸上が好きなんですね」


 ポツリと、麗華さんの言葉が沁みてきて、現実に戻される。引いているのかなって、表情を見るとそんなことはなさそうだった。初めてあった時では想像できないくらいの美人な顔。そうじゃなくて、優しい顔をしている。


「この一ヶ月、練習を一緒にさせていただいて、右も左も全くわかりませんでした。でも、皆さんはそんな私を邪険にしなかった。大企業の社長令嬢なんだからなんでも知っている、と色眼鏡で見られてしまって、私は誰とも仲良くなれないんだろうなと思っていました」


 ポテトをお行儀良く食べながら、麗華さんが話し始めた。なんか、心のうちまで話してくれて、私のでいいのかなぁ、なんて思ってしまう。


「藤堂さん、今から話すお話は絶対に秘密にしてくれますか?」

「え、うん、いいけど……」


 真面目な顔でそんなことを言われてしまうと、その秘密はどうしても守らなきゃいけない気がする。そんなに重大なことを打ち明けられるのだろうか。


「私、実はこの学校を第一志望にしていたのです」

「え、あれ、そういえばこの間は大宮境が第一志望だって……」

「はい、でもそれは、その……その時に思いついたというか……莉沙さんにバレたくなくて……莉沙さんには特に秘密にしてくださいね?」

「いいよ……でもなんで第一志望が清鳳学院ここだったの?」


 その問いかけに、麗華さんは懐かしそうな目を細めていた。シェイクを飲み終わってしまったので、近くの冷水機で水を汲んでくる。二つ持ってきて、麗華さんに渡して、口に残る甘さを水で流した。


「……小学生の時、お嬢様だという事で好奇の目で見られていたことがありまして。それで、しばらくふさぎ込んでいたところを、莉沙さんが色々遊んでくださったのです。彼女とは元々同じ小学校で、中学からは莉沙さんの家が鴻巣に越してしまうという理由で離れ離れになってしまったのですが……でも、連絡だけは取り合っていたのです」

「え、じゃあ、元々は莉沙と一緒の小学校だった……ってこと?」


 これはちょっと驚いた。莉沙が鴻巣の中学校だったというのは聞いたことがあるけど、ってことは彼女も浦和にいたのかなぁ。


「はい、一年生から六年生まで同じクラスでした。私の家は厳しい家でしたから、あまり外で遊ぶことはできませんでした。ですが、迎えが来るまで一緒に色んなことを話したり、私の家に莉沙さんをお招きしたり、彼女の好きなテレビゲームを一緒にやったり。今でもかけがえのない時間だと思っていますわ」

「って事は、もしかして莉沙が清鳳学院に入ることを知ったから……?」

「流石は藤堂さん、そこまで見抜かれてしまうと恥ずかしいですね……」


 麗華さんと莉沙が凄く仲がいいのはそれが理由だったのか。それにしても、小説にしかなさそうな話がこんな身近なところで聞けるとは思わなかった。


「なるほど……そしたら、私も麗華さんともっとお友達になりたいな」

「へっ?! そ、それはどういう事でしょう……」

「だって、私も栞里も、それに莉沙だって同じ陸上部の仲間でしょ? 仲良くなれるなら、いっぱい仲良くなれたらいいなって」


 それは事実だ。記録が伸び悩んだ時に、何回栞里に助けてもらったか。リレーの時だってそう、全中の決勝で栞里があんなことになって、陸上を辞めてやる、そう叫んだ時の友達の言葉は今でも忘れられない。


『こんなドジくらいで辞めないでよ、私は高校で絶対に栞里に勝つつもりなんだから!』


 そういえば、芽衣めい元気かなぁ……どこの高校に行ったか教えてくれなかったけど。

 最後のナゲットを口に入れて、ソースをつけ忘れたことに気がつく。やってしまった。ただの揚げた肉の塊を飲み込んで、また水を飲んで。


「じゃあ、陸上部に入ろうって思ったのも、莉沙がいたから?」

「へっ? あっ、あの……それは違くてですね……ひゃあっ?!」


 突然、麗華の携帯が鳴って、窓の外を見たら高そうな車が駅に止まっている。やっと着いたんだなぁ。


「そ、それではその……また明日……学校で……」

「うん、じゃあね〜」


 パタパタと行ってしまった麗華さんの背中を見ながら、陸上部に入った理由を考えてみる。運動が好きだから、なのかなぁ。でもそれだったら……んん、やっぱり莉沙がいるからとしか言いようがないなぁ……

 とりあえず、二人分の片付けを。あ、麗華さん、ちゃんと片付けてる。

 ゴミを捨てて、店を出る。明日は学校だし、もう帰らないと。駅の上の方に一番星を見つけて、ちょっと嬉しくなった。



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