初めてには優しく




 コントロールテストから二週間、先週は総体の埼玉県予選が終わった。ウチの高校は三年生達が軒並み上位大会に出場を決めていて、前の先生がどれだけ良かったのだろうかなって想像していた。

 そして今日は月曜日、なのに学校が休みだった。開校記念日だから休日になるらしくて、危うく私は普通に行くところだった。


「美郷、おはよ〜!」


 向こうから歩いてくる栞里の格好は、いつも目を引く。元々長い脚が目立つようなスキニーパンツを履いてきて、なんか心がムズムズする。これはしょうがないことなのだろうか。

 でも、そんな事で迷っていたって埒があかない。今日は、学校も陸上もオフにして、ゆっくり楽しむことに決めたのだ。


「おはよ〜、今日は寝坊しなかったんだね」

「いつも朝はちゃんと起きてるから〜!」

「オフの日は昼まで寝てるのに?」


 だってしょうがないじゃん、という栞里の反論を聞き流して待ち合わせ場所に向かう。北口のエスカレーター降りたところで合流する話になっていた。

 しばらく待っていると、上から小柄な氷見さんが降りてきた。栞里以上にボーイッシュな格好をしている彼女は、ぱっと見中二男子と間違われてもおかしくない。


「莉沙ちゃん、なんかカッコいいね」

「え〜、私、イケメン?」

「そうだね〜、イケメンだよ〜!」

「そっか〜、こーれーでーもー?」


 小柄な身体からは想像できない跳躍力で栞里の髪の毛をわしゃわしゃしている。栞里と並ぶと氷見さんって小さいんだなぁ……いや、栞里がただ大きいだけか?

 栞里と氷見さんがわちゃわちゃしている間に、高そうな車がロータリーに停められた。


「あの、遅れてしまって……すみません……?」

「んぇ? あっ麗華お嬢様〜、遅刻じゃないから大丈夫だよ〜」

「その呼び方を莉沙さんにされるのは、わたくしも少しこそばゆく感じますわ……」


 運転手みたいな人がドアを開けて出てきたのは、芦野さんだった。黒のワンピースにオシャレなバックを持っている。それなのに、別に凄いオーラを纏っているわけではなかった。オーラ、あの、お金持ち独特のあの雰囲気があるわけではなかった。ちゃんと女子高生っぽいお嬢様だ……


「だって〜、今九時半だよ〜。待ち合わせは十時だし〜」

「え、九時じゃないの?!」

「栞里、九時だと思ってたんなら遅刻じゃん」

「違うの、違くて、あの、それは後で説明するから!」


 栞里のオフの日の寝坊グセが露わになったところで、高そうな車はどっかにいってしまった。それにしても、この四人が熊谷に集まった理由はなんだったっけ……

 そう、三時間前の話だ。


『あっ、もしもし、みーさん?』


 寝ぼけた私の耳に入ったのは、独特な呼びかけ方の聞き覚えのある声だった。私のことをみーさんと呼ぶのは一人しかいない。


『んぅ……なに……ひみさん……』

『あー、寝起きだな〜! それで〜、麗華お嬢様のスパイクとかランシュー見に行くから熊谷駅の北口、十時集合ね〜』


 そう、電話を勝手に切られてしまった。グループRINEにはしっかり書かれているし、しょうがない。それに、芦野さんのスパイク選びだったら行ってもいいかな……



 と、簡潔なやりとりで予定が作られて今に至る。まぁ、だから栞里が寝坊するのもしょうがないんだけどね〜


「それで、どこに行くのでしょうか?」

「やっぱりこの辺りのスポーツ女子のためにあるメッカ……D&Bでしょう!」


 ですよね。

 熊谷駅近く、ニットーモールの中にあるD&Bというスポーツ用品店。そこで女子だけじゃなくて大体の中高生がお世話になっている場所だった。

 熊谷と言われてなんとなくそこくらいしか想像がついていなかったので、むしろ良かったかもしれない。何が良かったのだろうか。


「んん〜、とりあえずスパイクはこれにするとして〜、ランシューをどうしよっか〜」


 店に着くやいなや、シューボックスと付属品をカゴに入れていく氷見さん、その様子を見て芦野さんはすごくワタワタしていた。


「あの、あの、確かに勧めていただけるのは嬉しいのですが、私にもちゃんと分かりやすく教えていただけませんか……?」

「おー、そうだね〜、じゃあ今日はスパイクの説明をしよ〜」


 おもむろに芦野さんを椅子に座らせて、氷見さんが店員さんに声をかける。多分試し履きの話だと思うのでしばらく待っていると、また戻ってきた。


「とりあえず〜、自分のお父さんの会社のもので説明しましょ〜」

「ちょっと、それは、あの……公にされては……」


 氷見さんの手にはASHINOのスパイクがある。ASHINO、あしの、芦野……あしの?


「え、もしかして芦野さんって……あの……ASHINOの……?」

「そ、そうです……私の父が社長を務めております……」


 顔を真っ赤にさせて俯いている。私たちからしたらそれはかなり凄いことだ。普段からお世話になっているスポーツブランドなだけあって、流石にびっくりしてしまった。


「本当にお嬢様だったんだ〜」

「あの……その……それは……」


 少し潤んだ目で芦野さんがこちらをじっと見ている。自分がお嬢様だって言われるのって嫌なのかな。私たちからしたら羨ましいんだけどなぁ……


「私は、皆様と隔たりのないお付き合いをさせて頂きたいのです。確かに私の父の会社は大きいかもしれません。私の家も大きいかもしれません。通学の方法も皆様から見れば特殊なのかもしれません。それでも、私はただの高校一年生であって、皆さんと沢山お話がしたいのです……なので……その……」


 こちらをじっと見つめて、また語尾がごにょごにょし始めてまた俯いてしまう。お嬢様、という人種にそもそも初めて会ったのだが、世の中のお嬢様ってこんな感じなのかな……分からないけど、別に見方が変わるわけじゃない。


「じゃあ、とりあえずスパイクとか色々買ってさ、みんなでカラオケ行こうよ」


 どうせ今日はオフなんだしちょうどいい。栞里は音痴なのでいつもカラオケを嫌がるが、今回ばかりは何も言えないようだ。氷見さんに関しては、多分賛同してくれてる目をしている。芦野さん……麗華、って呼んだ方がいいのかな。

 麗華さんはなんて返事したらいいのか分からないようだ。


「……もしかして〜、カラオケ行ったことない系女子〜だったりするんでしょ〜?」

「り、莉沙さんっ、た、確かにそうですけど…………」


 もうモジモジしてしまって麗華さんが大変なことになっているので、とりあえずスパイクの話で落ち着けることにした。


「カラオケの話は置いといて、スパイクの説明しよ?」

「あ、そうだね〜、じゃあこれ履いてよ〜」


 氷見さんに促されるままにASHINO製の初心者用スパイクに足を通している。今はこのシリーズもかっこよくなってしまったんだなぁ……


「麗華、自分の会社のスパイク、どのくらいの性能か知ってる〜?」

「いえ……」


 私と栞里は、氷見さんに説明を任せてアクセサリーを見ていた。栞里が普段つけてるスポーツネックレスを見つけてちょっと嬉しく……二万円って、えっ、二万円って何円ですか?


「そうだね〜、ASHINOは日本人の足に合う靴のツートップなんだよね〜。私は申し訳ないけどもう一つの方、デサンクスのスパイクなのであれなんですけど〜、みーくんがASHINO使いだもんね〜」

「あっ、うん……そうだね……」

「使って頂き嬉しく思いますわ……」


 麗華さんにぺこりとお辞儀されて、思わずワタワタしてしまう。その横では栞里がサポーターを真剣に見ていた。


「まぁいいや〜。それで、今回紹介したいのがこれ。大体のスパイクって、専門種目によって形が違うんだけど、これは陸上初めての人の為のモデルなんだ〜。だから、ソール……ソールって言って分かる?」

「靴底の事ですね、大丈夫です」

「よしよし、んで、そのソールが少し厚くて柔らかめにに作られてるの。今度大会に出るときにのスパイク見るといいよ〜。PAMUのしかも特注スパイクだから、ソールものすごく薄くてめちゃくちゃ硬いんだよね〜」


 栞里は真剣にふくらはぎ用のサポーターを見ている。最近疲労がたまってつりやすくなっているって聞いたので、それを回避する用のものを考えているのかもしれない。


「なるほど……つまり、このスパイクはどこでも使えるのですね?」

「そうだよ〜、でもタータン、あの陸上競技場のゴムみたいなヤツで走る時と、土のトラックで走る時はピンを変えなくちゃいけないから、それだけ気をつけて〜」


 そう言って、カゴの中に特殊な形状のタータン用スパイクピン、土用のスパイクピンを入れていく。


「何か質問ある〜?」

「今はよく分からないのですが……これから練習の時に質問させて頂きますがよろしいですか……?」

「もちろんだよ〜、ねー、しおりん?」

「ねぇ、莉沙。ふくらはぎのサポーター、ゼムストとスキニーズ、どっちがいいと思う?」


 栞里はもう自分の買い物に熱中している。それに莉沙が合流して熱い議論が始まって……私と麗華さんはすっかり取り残されてしまった。


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