しゃがまなきゃ、跳べない
50mに関してはそりゃあ、栞里に惨敗する。800mだって、彼女の方がいつも走ってる距離は長い。どんぐりの背比べだとしても栞里には負ける。
二種目終わって、私は50mが6秒91、栞里が6秒49。スパイクを履いているとは言っても0. 5の差がつくのが悔しい。800mは私が3分1秒で栞里が2分42秒。うん、やっぱり走りじゃ栞里に勝てないなぁ……
だけど、この後は立ち幅跳び、跳躍としての意地を見せなければいけない。私は砂場に向かった。と、一年生の中でコソコソと逃げようとしているのが一人だけいる。あのシルエット、やっぱり見たことがあるぞ。
「
「ち、違う、違うんだよ、違う……」
いつも家でお母さんに怒られている弟の大樹。今年中学に入学して陸上部に入部したとは聞いたけど……なんでコソコソしてるんだろうか。
「いいじゃん、別に、恥ずかしがることないでしょ?」
「ち、違うんだよぉ……」
「あ、大樹のお姉さん、こんにちはー!」
その砂場にはもう一人活発そうな女の子がこちらを伺っている。何か私の顔についているのだろうか。見知った後輩達がこちらをチラチラ見てくる。
一応、これでも跳躍ブロック長だった。だから、一応後輩女子に関しては顔見知りのはずだ。それなのに、なぜかみんなよそよそしい。ちょっと真面目にやりすぎて引いてるとか、そういうことかな……?
「こんにちは……えっと……」
「中山あみ、と言います。この春からここに転校してきました!」
「って事は二年生?」
「はい、よろしくお願いします!」
跳躍ブロックに活発そうな後輩がいて、なんか安心した。とりあえず大樹も真面目に練習できるだろう。
そう、安心して振り向いたところで、絵梨那が後ろに立っていた。
「あ、もしかして美郷先輩、知らないんですか?」
「え、何を──」
「絵梨那先輩、向こうで奥村先生が呼んでました!」
「奥村先生は栞里先輩と話してるので、邪魔なんかできませーん」
奥村先生の名前を出せば絵梨那は大体黙る。天敵というわけではないが、怒っている姿を見るのがとても怖く感じるって言ってたような気がする。それはそれで分かる気もするんだけど、大樹がなぜそれを知っているのか分からない。多分誰かから聞いたのだろうか。
「で、そういえば美郷先輩。弟さんは確かあみちゃんに──」
「はい、次は姉ちゃんの番!! 早く跳ばないとノーマークだよ!」
ここまで大樹が急かすのには何かがある。まぁ、多分あの子が好きなんだぐらいの話だと思うけど、別にあんまり気にしてない。正直、その話に興味を持つのはお母さんくらいじゃないかなぁ……
「なになに、その話聞かせてよ!」
訂正、一人いたわ。そういえば栞里、自分からはそういう話はしないくせに、他の人の話は聞きたがるんだよね。まぁ、喋ったところで人に言いふらすような性格じゃないので放置している事には放置しているのだが、たまにコンビニでチキンを買わされる羽目になるくらいかな。
「ほら、先輩が聞かせろって言ってんのー」
「栞里先輩といえどもこれは……」
「いいよいいよ、美郷が跳んでから本人に話しとくし!」
本人がいる前でなんという安請け合いをしているのだろうか。というか、ウチの弟の秘密であるはずなのに安い値で買い叩かれてるのは、姉としては申し訳なく思ったりもした。
ただ、とりあえず早く跳べっていう圧はかかってきていた。二、三年生からは期待の眼差し、一年生からもじっと見られている。そして先生からも、え、先生?
「ほら、後ろ詰まるぞ」
「す、すみません!」
急いで定位置に引かれたラインにつま先を合わせる。「お願いします」と一声かけてから、屈伸して力を溜めていく。腕はタイミングのいい振り子のように前へ、後ろへ、振っていく。
三回屈伸してから、腕を前に振るタイミング、屈伸が上がるタイミングで溜めた力を開放する。イメージはバネのように、カエルのように飛び出していつものように着地する。
いい感じの跳躍だった気がする。中三の時の自分と同じくらいの調子には戻ってる。どうやら受験のブランクはあまりなかったようだ。
「美郷先輩、2m38です!」
記録も10センチ伸びている。受験前の朝練をサボらずに、いつもちゃんとやって来た甲斐があったかもしれない。だけど、これじゃあ五メートルは跳べない。まだまだ届かない。記録を伸ばしていくには、やっぱり練習なのかなぁ……
「藤堂、ちょっと」
あ、この感じはかなり懐かしい。私は呼ばれた方にいた先生のところへと向かった。
「なんか、
「ど、鈍臭い?」
先生は開口一番、歯に絹着せぬ一言を言ってくる。大体の生徒がこの段階で心折れそうになるのだけど、ここで心をしっかり持つと詳しい感想が聞けるのだ。
「そんなに鈍臭かったですか?」
「腕の振り出しと膝の伸び上がりがチグハグだ。幅跳びだって踏み切りも大事だが腕で身体を持っていくだろう?」
「それはそうですけど……」
先生が指をさした先には、栞里が跳ぼうとしていた。私がイメージしていた通りの動きをしている。腕の振りで力を溜めて、膝を曲げすぎずに溜めた力を効率的に解放する。縮んだバネと同じように飛んでいく。そのまま、すんなりと着地すると何も無かったように立っていた。
私よりも全然飛んでいるように見える、というか飛んでいたと思う。
「栞里先輩、2m61です!」
専門外の選手に20センチ強負けてしまっている。いくら栞里が強い選手だからと言っても、これではお話にならない。かなり悔しい。私は栞里の跳躍を何度も頭の中で繰り返していた。
「藤堂は、誰と競ってるんだ?」
「え、えと、その……自分、ですかね?」
先生の質問はあまり理解ができるものでは無かった。なんでそんなこと聞くんだろうか。
確かに、大会に出て他校の選手と記録を競ってはいるけれども、それでも記録が出なかったら自分の中では負けた気分になる。
「確かに、陸上は自分との戦いとよく言われる。そうだな、あながち間違いじゃない。でもそれは“勝てる選手”の言う言葉だ」
「それは、どうして……」
「いいか、例えば同じ6mジャンパーがいたとする。一人はインターハイや国体、日本ジュニアに出られるような選手、もう一人は地区大会止まりの選手だとする。どっちの方が記録を出すチャンスを持っていると思う?」
先生の質問にぐうの音もでない。確かに、記録をいくら出そうが負けてしまえば、それで終わり。
でも、そんなの冷たすぎると思う。なんで陸上を始めたかって言ったら……もっと速く走りたくって、もっと遠くに跳んでみたくって、投げるのはちょっと苦手だけど興味もあった。とにかく、見ててすごくカッコいい、私もあんな気持ちよく走ってみたい、だから陸上を始めた。
「た、確かに勝てなかったらそれはそれでよくないですけど……記録が出なかったらそれはそれで面白くないと思うんです。だから、その……」
「お前らしいな、それでこそ藤堂らしいってもんだ。これからもその調子で練習するといい」
先生のその歯を見せたピカピカの笑顔は、怖いけどいつも私の背中を押してくれた。砂場では、氷見さんが跳び終わって芦野さんの番のようだ。彼女の跳躍を見ながら、私は何かがまた一つ、前に進めたのかなぁ、って思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます