スターティング・ハイ




「残念ながら、グラウンドの使用は認められません」


 先生に入部届を出しに行った一言目は、嬉しい物じゃなかった。グラウンドの使用が許されない陸上部員って一体どういうことなのだろうか、ちょっと私の理解を超える話になってしまっている。


「えっと、それは……どういう事になるんですかね……?」


 珍しく栞里が頭の良さそうな質問をすると、先生は苦い顔をしながら答え始めた。


「校長先生にお話しして見たんですけど、現状では結果が見込めないのだから廃部の方針は覆せない。もしも結果が見込めるのであれば、入部も学校として認めるしグラウンドの使用も許可すると。ただ、結果云々の話をするには大会への出場が必要ですからね……」

「じゃあ、校長先生はそのチャンスすら与えないとおっしゃっているのですか?」


 芦野さんが冷たい口調で丁寧に話していると、ちょっと背筋が寒くなる。怒らせちゃいけないタイプの女子なんだろうなぁ。先生は背の小ささも相まって怯える小動物に見えてきた。


「そ、そうじゃないです……。新入生が大会に出るのには何が必要か、藤堂さんなら分かりますよね……?」

「高体連への選手登録……ですね」


 高体連に選手登録しないと、大会へのエントリーすら出来ない。だが、その選手登録は学校を通してじゃないとできない。じゃあ、入部を認めてくれたっていいじゃないか。


「その選手登録をするために、四人が陸上部に籍を置く事を許可されました。なので……」

「陸上部員ではあるけど、校内では認められていない、って事ですかね?」


 思わず質問が漏れてしまったが、先生の気まずそうな反応を見る限り合っているのだろう。

 でも、チャンスが断たれていないってことには間違いない。練習して結果を残せばいい、でもどこで結果を出すのだろうか。


「校長先生から出された正式入部への条件は『八月の県北記録会で全員入賞する』というのが条件です」


 記録会入賞、その言葉に抱いた不満やらなんやらを飲み込むしかなかった。



 ────私と栞里は自転車を押しながら、二人を最寄りの駅まで送る名目で話していた。

 ここから駅までは歩いて十分、できればもう少し話したいとは思ったけれど


「麗華お嬢様、おかえりなさいませ」


 目の前に、高級そうな外車が止まっています。そこからスーツを来た男の人が出てきました。さて、私はどうすればいいのでしょうか。


「ちょっ、今日はいらないって言ったじゃないの!!」

「ですが、お父様のご意向なので……」

「い、いいから早く帰りなさい、今日は私一人で帰れるわ……」


 スーツ姿の男を高級車に戻して、芦野さんはまた戻ってきた。え、やっぱり、芦野さんってお嬢様なんですかね?

 もしも、本当にそうだったら憧れるなぁ。お嬢様かぁ……


「それで〜麗華お嬢様〜、練習はいかがなさいましょうか〜?」

「り、莉沙、からかわないでよ!」

「いいなぁ、いい食事してるんだろうなぁ……」

「栞里にとっていい食事って、そういう意味じゃないでしょ?」


 バレましたか、と舌を出しながらおどけている栞里。そんな彼女を放っておいてさっきの話に戻そうとする。

 あれ、さっきまで何を話ししてたんだっけ?


「で、練習方法をどうするのかって話だったでしょう、忘れないでちょうだい?」

「あ、そうだったね、それでどうするんだっけ?」

「とりあえず、みんなの専門種目を考えないと、美郷は幅跳び、私は100と200、莉沙はハードル、麗華は…………短距離かなぁ?」

「あれー、あたしがハードルやってるって言ったっけー?」


 みんなの種目を確認しつつ、練習方法をや場所を考えなきゃいけない。記録会に出るのがとりあえずの目標なのだが、それまでに専門の練習やら普通の練習やらを考えなきゃいけないんだけど……

 とりあえず、最初の一週間は芦野さんに合わせる形でいい気がする。


「練習場所、どうしよっか〜」

「さくら運動公園でいいんじゃない? 安いし」

「文化公園はダメなの?」

「人混むじゃん」


 練習場所に関しては熊谷市民じもとみんの私と栞里で決めていくことにした。とりあえず陸上競技場といえば二つあるんだけど……


「てか、さくら運動公園、五時までじゃん」

「文化公園も六時半か〜、学校が終わってから移動して簡単に五時前だもんね……」

「ねぇ、うちの近くに土の四〇〇トラックあるけどそこは?」


 莉沙の家の近くだと、鴻巣の方だ。そういえば芦野さんはどこに住んでるんだろうか。


「そういえば、麗華の家知らないな〜、どこなの〜?」

「わ、私は……浦和ですわ」

「え、めっちゃ遠い」

「車で一時間くらいか〜、遠いね〜」


 そういえば車通学のお嬢様だった。それにしても、やけに遠いのはなぜなのだろうか。浦和だったらもっといい学校があった筈だし……


「元々は、競技かるた部に入ろうと思ってましたの。一番強いと言われているのは……大宮境高で……」

「あー、もしかして……」


 県立大宮境高校といえば、埼玉県で一二を争う進学校だったはず。しかも何がすごいって、部活にも力を入れていて、陸上では誰かしらを毎年インターハイに出していたはず。

 つまり、芦野さんがここに来たのは……


「麗華、滑り止めにしてたんだ〜?」

「なっ、そ、それは否めないけれど、違いますわ! 大宮境と総文出場をかけて争っているのが清鳳学院だっただけですわ!」


 あわあわしながら、芦野さんが釈明しているのをよそに栞里は何かを調べていた。多分、練習場所なんだと思うけど……。


「土の四〇〇トラックなんて見つからないよ?」

「え〜、嘘だ〜、そっか〜、でもどうしよっか〜?」

「……ねぇ、奥村先生に頼んでみるのは?」


 栞里の喉から変な声を聞けたけれど、この案は実にいい提案だと私は思っている。

 奥村先生とは、私達の出身中学の陸上部顧問だ。先生には色んなことを教えてもらったし、何よりも教え方がとてもわかりやすい。怒るととても怖いけれど、話を理解するまできちんと教えてくれる先生だ。

 私や栞里は奥村先生の指導には慣れているし、初心者の芦野さんでも分かりやすい最適な場所。そして氷見さんは多分何事もなく馴染んでいくんだと思う。


「奥村先生って誰〜?」

「あー、私達の中学の先生だから、そう。みんなで教えてもらいにいくのはどうかなって思ったんだけど…………」

「陸上を知っている指導者の方に教えてもらえるのであれば、私は貴女達に任せるわ」

「あたしもなんでもいいよ〜」


 あとは栞里だけなんだけど…………そもそも私の視界の外にいなくなってしまっている。どこに行ってしまったのだろうか。

 辺りを見回すと、既に栞里は自転車に跨っていた。それにしてもまだ話決まった訳じゃないのに、帰ろうとするのは早くないですかね……?


「ねぇ、まだ何も決まってないよ!」

「え、奥村先生の所で練習するんでしょ? だったら授業終わってすぐ行けば参加できるじゃん」


 返事は聞くまでもなかった。人に任せっきりにしているように見えて、意外と自分の意見は持っているのが栞里だ。多分、それでも何も言わなかったのは私の意見と同意見だったのだろう。

 とりあえず、いつから練習開始にしようか、先生とお話しなきゃいけないだろうし、こういうのは手続きがいるはずだから、


「じゃあ、明日の放課後、四時に正門前集合ね〜」

「うん……えっ? ちょ、まだ先生に話してない!」

「引退する時に先生が話してたこと覚えてないの?」


 奥村先生が話してた事、えっと…………どうしよう、覚えてない。いいことを言ったのかもしれないのだけど、その後に個人的に話した言葉しか覚えていない。


「全体ミーティングで、『何か困ったら、俺に話してみな。陸上のことだったら何でも解決してやるよ』って言ってたじゃん。あっそういえば、美郷大泣きしてて聞けそうにもなかったわ」

「え、あ、そういうことか……てか、私の大泣きの話言う必要あった?」

「美郷が覚えてないからなんだから、しょうがないでしょ?」


 ちょっと恥ずかしい、恥ずかしいのでもう帰ることに決めた。自転車にまたがってカゴの中にバッグを放り込む。


「じゃあ、私は麗華に切符の買い方教えてくるから〜また明日ね〜」


 氷見さんはわちゃわちゃしている芦野さんを引っ張って行ってしまった。残るは栞里だけ、こうなったらやることは一つ。


「じゃあ、栞里、分かって──待て、待ってよ、まだ何も話してないじゃん!!」


 自転車で疾走していく栞里の後ろ姿を追いかけながら、なんかちょっと私は明日が楽しみになってきた。

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