第四十四話 娘の望み

 余命三日、契約の夜。


「どうせ黒猫くんには心の中を読まれているだろうから。この際、店長にも本音を言っちゃいますけど……」


 俯きながら、ぽつりぽつりと語り出す望美。


「あたし本心では母や養父に対して、黒猫くんの言ってたようなことを何時も思ってました。死ねばいいのに。地獄に堕ちればいいのにって。だから黒猫くんに頼んで、冥土の土産に……母や養父の事を、まとめて地獄に堕してもらおうって……ずっとそう考えていました」

 

「にゃあおん」


 黒猫が小声で鳴く。


「あたしはそういう心の汚い人間なんです。店長、どうか笑ってやってください。軽蔑してやってください」


 自虐的な笑みを浮かべる望美。


「うちの母って心が弱くて泣き虫で、すぐに男の人やお酒に溺れて。実の娘より男の人の言葉を信じて選んで。娘が電車に轢かれて死にそうなのに、ほったらかしで病院にも来てくれなくって。それどころか毎日そ知らぬ顔で、普通に夜のお仕事にも行っているんですよ? まったく白状で酷い母親ですよね。本当に憎らしかった。心から軽蔑してた。でも……」


 真幌は無言でじっと彼女を見つめている。


「でも、あんなひどい母だけど……母も辛かったんだと思うんですよね……」

「…………」


「家族思いで優しかった父に先立たれて。辛くて寂しくて。それで悪い男に騙されて。きっと寂しすぎて……心に悪魔が乗り移っちゃったんだろうなって思うんです」


「にゃあおうう」と黒猫が呟く。


「そう、いつも死にたがっていて、死神くんに背中を押された……あたしのように」


 黒猫が「ごろごろ」と喉を鳴らす。


「本当は昔みたいな、父が生きていた時みたいな、心の優しい人なんだって。母のことを、そう信じていたいんです。だって……だって……母は……おかあさんは、この世に残された……あたしの、たったひとりの家族なんだから」


 高まる感情。震える声。望美の顔が次第に火照る。


「だから……あたし、自分が死んでしまう三日後の……」


 望美は頭を持ち上げ、まっすぐに対面の真幌を見て言った。


「あたしが息を引き取る最期の瞬間まで。病院のベッドの上で、母が心配して駆け付けてくれるのを、信じて待ち続けようと思います」


 茜色の和装メイド服を着た望美の火照った顔に、雪洞が橙色の柔らかな灯りを燈す。


「裏切られても、見放されても、最期まで……」


 そこまで聞いた真幌は、望美の言葉を引き継いだ。


「最後まで実直に子供たちを待ち続けた『かくれんぼ』の良寛さんのように、ですね?」


 こくりと頷く望美。先日の客と店長の『良寛てまり』についての会話を思い出す。


【「良寛を探し出せなかった子供たちは帰ってしまいました。翌朝になって農夫が良寛を見付けて声をかけると、良寛はまだ両手で顔をおおったまま、昨日と同じ格好でしゃがんでいました」「へー、本当に子供みたいに純真な人なんですね」】


「結局、あたしって子供なんです。考えが幼いって意味でも、あの人の娘って意味でも」


 苦笑する望美。そんな彼女に真幌が言う。


「以前からも感じていましたが、望美さんって本当に、思いやりがあって心の綺麗な優しい人ですね。あなたのような方に、うちの店のメイドを務めて貰えて本当に良かった。同じ職場の仲間として、本当に嬉しく思います」


「ありがとうございます、店長にそう言って頂けて嬉しいです」


 素直に賛辞を受け止める望美。

 されど『職場の仲間として』という言葉に、複雑な思いを浮かべながら。


 ――ひとりの男性として……ではなく……よね。


 契約書と望美を交互に見ながら、真幌が死神との契約内容について最終確認をする。


「それでは、望美さん。改めまして、これで契約は成立です。この内容で間違いございませんね?」

「はい、よろしくお願いします」


 黒猫がぴょんとテーブルに飛び乗る。

 そのまま黒猫は朱肉に自分の肉球を乗せ、ペタリと契約書に拇印ぼいんをした。締結の証だ。


「にゃおうにゃおう~♪」


 おどけながらカウンター席に飛び移る黒猫。契約成立がよほど嬉しいのか、上機嫌の猫なで声だ。


 店長の真幌が、長いまつげに包まれた鳶色の瞳で望美の目をまっすぐに見つめる。

 望美もそれを見つめ返す。 


 真幌は静かに言った。


「冥土の土産にひとつだけ、あなたの望みを叶えます」


 望美が死の間際に出した結論。それが彼女の選んだ冥土の土産だった。


【契約書 私の魂と引き換えに、母、佳苗の傷付いた心を救ってください。 20XX年12月5日 逢沢 望美】

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