第四十三話 契約の日
――もういいかーい?
『――まーだだよ』
――もういいかーい?
『――もういーよ』
――おとうさん。どこに行ったの?
暗闇の中、望美はかくれんぼをしていた。
必死で父の姿を探す望美。
『――ここだよ望美』
――あっ見つけた! おとうさ――えっ?
ようやく見つけた父の居場所。そこは、闇にぽつんと浮かぶ白いベッドだった。
――おとうさん!
ベッドに駆け寄る望美。痩せ細った父親が寝そべっている。
細い腕を差し出す父。今にも折れそうだ。望美はきゅっと掌を握った。
『望美。おとうさんはね、これからまほろばに旅立つんだ。そこは争いや憎しみや汚れのない、清らかな幸せの国なんだよ……でも……お前たちに会えなくなるのは正直寂しい……』
――ねえ、しっかりしてよ、そんなこと言わないでよ!
『――望美。おまえは本当に賢くてしっかりとした子だ。おとうさんの自慢の娘だよ。だから、心の弱いおかあさんを……望美がしっかり支えてあげて欲しい……』
――そんな……。
『だから望美。おかあさんを……おかあさんをのことを……よろしく頼む……』
――ねえ、待ってよ、死なないで。死なないでよ、おとうさーん!
*
余命四日。
早朝、望美はうなされて目を覚ました。
「――ハッ。夢か……」
冬だというのに寝汗がびっしょりだ。
望美は父親の夢を見た。望美が子供の頃の出来事だ。
別れの間際、最期に会話を交わした時の記憶が、幻想となって現れたのだ。
「おとうさん……」
気が付けば寝汗だけでなく。瞳から溢れる水分が、つらりと頬にも伝っていた。
*
余命三日。
遂にカウントダウンだ。
そして遂に今度こそ、望美の冥土の土産を決定する、運命の契約日が訪れたのだ。
何時ものように茜色の和装メイド服姿で店頭に立つ生霊の望美。
【「さっき真幌から『あるいは、誰かを殺したいとか』って尋ねられて、一瞬考えたでしょ?」】
黒猫に言われた台詞が脳裏を過ぎる。
死ねばいいのに。地獄に堕ちてしまえばいいのに。
高校を卒業して実家を飛び出すまで、望美は心の中でそう何度泣き叫んだことだろうか。
【「なんならボクが冥土の土産に、そいつらまとめてぶっ殺してあげようか?」】
次に店長、真幌の先日の接客中の姿が脳裏に浮かぶ。
【「良寛はまだ両手で顔をおおったまま、昨日と同じ格好でしゃがんでいました」】
子供の純真な心こそが誠の仏の心。
真幌が言っていた良寛のかくれんぼの話が、頭の中で何度もリフレインした。
置いてけぼりにされても。帰ってくるのを信じて、同じ場所で愚直に待ち続ける良寛。そんな姿を、店長は亡き愛妻、美咲に先立たれた自分に重ねているのだろうかと、望美は思った。
もう一度、真幌の声が心の中で響く。
【「大切な娘さんを、この世にひとりぼっちで置き去りにする。それが、中森様の望む冥土の土産ですか? あなたの望む幸せのかたちですか?」】
以前、「死んだ妻を娘に会わせてくれ」と願った中森親子との件を解決したときの言葉だ。
【「そうだよ、かなしいよ。だから、アキをひとりにしないでね。どこにもいっちゃやだからねっ!」「だから、ふたりでがんばろうよ」】
真幌の台詞を追い掛けるように、中森氏の娘の亜紀の声がする。
そこに重なるように、今度は昨日の夢の中の父親の顔が浮かんだ。
【『だから望美。おかあさんを……おかあさんをのことを……よろしく頼む……』】
――だって、そんなこと言われても……。
以前、母の佳苗に言われた辛辣な台詞が未だ頭から離れない。
【『あんたってほんと親不孝な娘よね。だいたいどうしてあたしが、あんたみたいな泥棒猫を助けなきゃなんないのよ】
――だって、あたし。おかあさんには、こんなにも……こんなにも嫌われちゃって。
【『母親のオトコに色目使ってベッドに連れ込む娘が、泥棒猫じゃなくてなんだっていうのよ。まったく、汚らわしいったらありゃしないわよ』】
――おかあさん。あたしが死に掛けてるのに……病院にお見舞いにも来てくれないのに。
【『もう、あんたなんか私の娘じゃないよ。二度と連絡してこないで』】
――ねえ、あたしどうしたらいいの?……教えてよ……おとうさん……店長……。
母を見放すも、母に手を差し伸べるも、母を地獄に堕とすのも、すべては自分次第。終日、何度も天使と悪魔が耳元で交互に囁く望美だった。
*
夜のまほろば堂。表の引き戸には『本日閉店』の札が掛けられてある。
今日は冥土の土産屋としての予約はなく、望美との面談に時間を割いていた。
カウンター席には、いつものハナミズキの生けられた倉敷硝子の一輪挿し。店長真幌が亡き妻を想い弔う手向け花だ。その横で、黒猫がひと鳴きする。
「にゃあお」
そしていつものテーブル席。望美は雪洞ペンダントライトが灯りを燈す下で、備中和紙の契約書にサインをした。ようやく結論付けた冥土の土産の願いと共に、自分の手でしっかりと書き記したのだ。
対面席に座る店長の真幌と、オーナーの黒猫が問い質す。
「望美さん。この内容で本当に良いのですね?」
「にゃおにゃおにゃあおおおうん?」
こくりと頷く望美。
「はい。今度こそ決心しました。店長、黒猫くん。冥土の土産に、あたしの願いを叶えてください」
望美の出した結論。その契約の内容とは――。
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