第四十二話 かくれんぼ

 余命五日。


 まほろば堂、昼の営業中だ。


 うわの空で店頭に立つ望美。

 昼間の業務中は、生霊である彼女の姿は客に姿は見えていない。

 昨日のことを回想する。

 

【「なんでもあのヒモ男、他に女作って逃げちゃったらしいの」「へー、まったくどこまでもクズな男ね」】

 

 結局、信じていた継父に裏切られ、捨てられた母親。まるで、信じていた母に見捨てられた自分のように。


 ――ふん、いい気味よ。


 望美の中で悪魔がうごめく。


 ――ざまあみろよ。きっとバチが当たったんだわ。このまま地獄に堕ちてしまえばいいに。ていうか、いっそのこと、冥土の土産の契約書に――。

 

『あたしの魂と引き換えに、あのクズなふたりを地獄に堕してください』


 ――そう書いて、不幸のダメ押しをしてやろうかしら。

 

 望美は完全にやさぐれてしまっていた。死を間近に控え、望美の心の中はそんな邪念に支配されてしまったのだ。

 

 ふと背後を振り返る。店内奥のカフェスペース。店長の真幌が備前焼のカップに入ったアールグレイと共に、お茶請けとして地元の銘菓を来客の若い女性客に差し出している。


「わあ、かわいい」


 赤いリボンのような紐で止められた手毬のような洒落た包み紙。紐を解くと、白い薯蕷じょうよに包まれた饅頭が現れる。


 薯蕷とは、うるち米を洗い乾燥させた上質の米粉とつくね芋を練り合わせ、蒸し上げた生地のことだ。

 

 ひとくちかじる女性客。

 

「おいしーい!」


 ふわっとしたふくらみと、もちっとしたやさしい口当たり。中には贅沢にも、丸ごと栗がひとつ入っている。


 風味豊かな極軟栗をゆっくりと煮詰めた甘露煮は、餡との境目がわからないほどのやわらかさだ。


「すごくおいしいですね。このお菓子、なんていう名前ですか?」


 店長の真幌が笑顔で受け答える。


良寛りょうかん手まり、と言います。玉島の円通寺で修行した良寛和尚が名前の由来です」


 倉敷市玉島に本店を持つ菓子処『ひらい』の看板商品だ。


「良寛は、『子供の純真な心こそが誠の仏の心』との言葉を残しました。そこで、子どもたちの玩具である手鞠に見立てて作られたのが、このお菓子なんです」

「へー」


 お菓子の甘さとイケメン店主の顔にうっとりとする女性客。今にも顔がとろけそうだ。


「良寛は、お金や地位や名誉といった欲のないお坊さんでした。僧侶でありながらお寺に住まず、托鉢たくはつをしながら子供たちとふれあい、詩や和歌や俳句を作ったり、書をかいたり」

「托鉢って?」


「僧が修行のためはちを持って、家の前に立ち経文を唱えて米や金銭の施しを受けて回ることです。そうやって良寛は、その日その日を悠々と過ごしていました。そんなイメージからでしょうか、彼は日本人の心のふるさとのような人と称されています」


 聞き耳を立てていた望美は、心の中でぽつりと呟いた。


 ――心のふるさと……まほろば……。


「また民話の良寛さんは、一休さんや吉四六きっちょむさんと並び、とんち話でも有名です。しかし彼の純真さを象徴するエピソードとしては、やはり『かくれんぼ』でしょうか」


「かくれんぼ?」と女性客が聞く。


「はい。こんなお話です。ある秋のことです。子供たちと隠れんぼをしていた良寛は、刈入れられたわらぐまの中へ隠れました。夕方になると子供たちは見つからない良寛を置いて、そのまま家に帰りました。翌朝になって農夫が藁ぐまの良寛を見付けました。なんと良寛は両手で顔をおおったまま、ちいさくしゃがんでかくれんぼの続きをしていました」


「へー、本当に子供みたいに純真な人なんですね」


 ――純真、愚直なまでに人を信じる心……か。だったら、あたしは――。


 *


「今日も一日お疲れ様でした」


 店長の真幌が一日の業務を終えたメイドの望美に労をねぎらう。


「お疲れ様です、店長」

「望美さん、昨日の休日はゆっくり考えられましたか?」


 冥土の土産の契約内容のことだ。

 問われた望美は、ひと呼吸置いて答えた。


「店長。明後日の夜、お時間頂けますか? それまでに結論を出しますので」


 明後日といえば望美の余命三日。いよいよカウントダウンだ。


 真幌はにっこりと笑い、優しく包み込むような声で答えた。


「承知しました」

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