第五十二話 最期の奇跡(解決編6)
「おかあさん!」
望美が白い世界で再会した女性。
それは母親、佳苗の生霊だった。
先ほどまでのベッドで寝ていた痩せ衰えた体ではなく。
天使の羽衣に実を纏い、元気だった頃の姿をしている。
『望美……』
疑問に思う望美。人間に戻った望美には霊魂は見えない筈だ。
なのに今は、こうして生霊となった母の声や姿が確認できる。
つまりは望美自身も生霊と化しているのだろうか。
「これって……もしかして……マホくんの仕業?」
再び背後から「にゃお」と小さく声がする。
振り返ると遠くから、黒猫がこちらの様子を伺っている。
望美の体を一時的に幽体離脱させることで、母親の魂との再会を果たさせる。
そう、黒猫が逢沢親子の為に最期の奇跡を起こしたのだ。
「マホくんったら……」
ふふっ、特別サービスだよ。
いつもの調子でいたずらっぽく、そう言いたげな表情を浮かべる黒猫。
「にゃあおん」
黒猫は蒼い瞳をきらりと光らせると、踵を返した。
そしてそのまま、白い世界の果てへと消えて行った。
『ごめんね……望美』
望美は母の声のする方へ顔を向き直した。
「おかあさん……」
『本当にごめん……今まで望美のこと、信じてあげられなくて……』
半透明の母が瞳に涙を浮かべながら、何度も自分に対して謝罪の言葉を投げ掛ける。
『おかあさんが馬鹿じゃった。私が愚かだった。全部、あの時の真相は……まほろば堂で聞いたわ……』
眉をひそめる望美。例のレイプ未遂事件のことだ。
『あの時の様子。まほろば堂の店長さんから、不思議な雪洞に移った立体映像で見せてもらったの』
「…………」
『あなたを無理やり襲ったのは、あの人の方じゃった。しかも脅迫されて、口止めされていたのよね。どうしてあの時、おかあさんに本当のことを言ってくれなかったの?』
「それは……」
ゆっくりとかぶりを振る母の生霊。
『ううん、分かってるの。すべては私を傷付けない為だったんでしょ? 私の女としてのプライドを』
「おかあさん……」
『店長さん、仰ってたわよ。「望美さんはそういう思いやりが深くて心の優しい人なんです。どうかご理解してあげてください」ってね』
「……店長が?」
『それに……人に言われなくても……自分でもある程度分かっていたの。以前からあの人が、あなたに色目を使っているのは薄々感じていたし』
「それは……」
『恥ずかしい話だけど、おかあさん嫉妬してたのよ。あなたって優しい子だから。そんなあなたにいつも甘えて、冷たく当ってしまって……望美、本当にごめん。ほんと母親失格よね……』
ぽろぽろと涙を流し謝罪する母。
『ごめん……ごめん……本当にごめんなさい……』
「ううん、もういいの」
頭をふりながら、望美はそっと母の細い肩を抱いた。
『望美……』
「おかあさんが、本当のことを分かってくれれば……あたしはそれでいいの……」
*
母の姿が次第に薄くなって行く中、ふたりは色々なことを話し合った。
これまでの離れていた時間を、互いに埋め合わせるかのように。
最期の別れの瞬間まで、ふたりは思い出話などに花を咲かせようとしている。
母がしみじみと語る。
『あの店長さん、どことなくおとうさんに似ているわよね。まあ、あそこまで背が高くてハンサムじゃなかったけど』
「うん、あたしもそう思う」
「ちょっと理屈っぽくて
『そうそう』
ふたりが微笑む。
『でも、本当に良い人だった。契約のサインをしてからも、すごく親身になってくれて。色々と話を聞いてくれて。私の愚痴や悩みを、暖かく受け止めてくれて』
「うん……」
『店長さん、あなたの事をこう言っていたわ。「今、お嬢さんは僕の店で働いています。彼女はとても優しくて心の綺麗な、本当に素敵な良い子です。僕が責任を持って彼女の身元を引き受けますので、どうぞご安心してください」ってね』
「店長がそんなことを……」
『あなたにだけ真相を内緒にして、結果的にあなたを騙すような形になっちゃったけど……「私のことは娘には絶対に言わないで」って店長さんに強く釘を刺したのはおかあさんなの』
「そうだったんだ……」
『だって真相を知ってしまったら、あなたはきっとまた自分を犠牲にしようとする。あなたのそんな優しすぎる性格は、おかあさんも、まほろば堂の人たちもみんなお見通しなのよ』
「…………」
望美は中森親子との一件での、忍の台詞を思い出した。
【「世の中、知らぬが仏よ」「真実を知ったからってなんになんの? 世の中には知らない方がいいことだって沢山ある」「亜紀ちゃんママはこれからも、中森親子の心の中で共に生き続ける。それでいいじゃない」】
『だから「自分はずっと騙されてたんだ」とか逆恨みをして、まほろば堂の人たちを責めちゃだめ。特にあの店長さんは、どうすればあなたの荒んだ孤独な心が救われるのか、とても真剣に考えてくれていたんだから。その上で付いた、店長さんの優しい嘘なのよ』
「優しい……嘘……」
優しい嘘。店長からの、そして母からの。
『店長さんね。おじいさまから店を引き継いだばかりの頃、借金で首が回らなくなって。おまけに大切な家族を失って。ひとりぼっちになって。とても苦労したんですって。だから、昔の辛かった頃の自分とよく似た境遇の望美のことを、どうしてもほっとけなかったみたいよ』
――店長、おかあさんには自分の事をすこしは語ってたんだ……。
男性から身の上話を聞き出すのは、密かに得意な佳苗である。
しかも相手は十歳以上も年下の青年だ。
流石は、長年スナック勤めの客商売をしていただけはある。
そんな手練れの母に、すこし嫉妬する娘の望美だった。
『とにかく彼のおかげで、こうやって望美とも再会して仲直りできたし。もうこの世に未練はないわ。どうにか成仏できそうよ』
「おかあさん……」
『望美は本当に素敵な店長さんの元で働けて幸せね。これで、うちのお婿さんになってくれたら、おかあさんもっと幸せなんだけどな』
「ちょっと、やめてよ。おかあさんったら」
望美の顔が赤く火照る。
何時も心の奥に絶望を抱え、死にたがっていた望美。
彼女はここまで自分が追い込まれなければ、自分を取り戻せなかった。
何時までもぼっちの自分を悲観したまま、自分を見捨てた母親をけっして許しはしなかった筈だ。
黒猫と真幌が目論んだ事の真相。要約すると、こうである。
既に死亡が確定している母に『娘さんが死にそうだから助けてあげて欲しい』と嘘の打診する。
それを冥土の土産として締結することで、罪の意識に苛まれていた母の、娘に対する贖罪の機会を与える。
対して死にたがりの娘には、望み通りホームから突き落とし、一旦生死の境を彷徨わせ霊魂の状態にする。
しかし実際は『娘の命を救って欲しい』との母の契約書の締結が先にあるので、娘は死亡には至らず、確実に魔力で甦る。
最初から殺す気などはなかった。あくまで自ら命を安易に絶とうとする娘に、自分の愚かさを自覚させようとしただけだったのだ。
その後、ぼっちの娘を自分たちの傍に置き、仕事の面倒を見ることで、荒んでいた娘の心も救済する。同時に、この世にひとり残される娘を心配する母親をも安心させる。
こうして『娘の命を救ってください』『母の傷付いた心を救ってください』と願う母娘双方の望みを、同時に叶えたのだ。
すべては、ひと組の母と娘のこじれた関係の仲介をし、和解させる為の手の込んだシナリオ。冥土の土産屋まほろば堂の面々による、壮大なトリックだったのだ。
*
『そろそろお別れみたいね……』
白い世界の中、薄れ行く母の姿をじっと見つめる望美。
『望美、悪いおかあさんを……許してくれる?』
瞳に涙を浮かべ、うんうんと何度もうなずく望美。
『おかあさん……ひと足早く……おとうさんの元へ行くけど……あなたはもっと生きて……もっと幸せになって……』
溢れる涙が、ぽろぽろと零れ落ちる。
望美はそれを拭いもせずに、透明になりつつある母の姿をじっと見つめた。
『あなたのおとうさんのように……優しい男の人と出会って……一緒になって……ささやかでもいいから……家庭を持って……』
「おかあさん……」
『……あなた自身が……そう望んだように…………』
天使の羽衣を着た母が優しく微笑む。
『そう……きっとそこが…………』
「お……かあ……さん……」
『きっとそこが……あなたの……
母は、白い世界の彼方へと消えて行った。
(次回エピローグ)
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