第三十一話 暴走

 真幌は眉をひそめて言葉を返した。


「望美さん……そんなつまらないことに、冥土の土産を使ってはいけませんよ」


「全然つまらないことじゃありません。あたしにとっては、とても大切なことなんです」


 メイドの望美が真剣な表情で、店長の真幌に口答えをする。


「あたし、先日の中森さん親子の一件で思ったんです。今は亡き、大切な人との再会。それは自然の摂理に反する禁忌であり、神さまへの背徳行為。そんなお客様の無理難題に応える為に、店長はどうしてあんな手の込んだ芝居を打ったのか?」


 例のインチキ特約契約書のことだ。


「亡くなった奥さまのことを、一途に思い続ける中森さん。店長。もしかして、ご自分の境遇と重ねたりしていませんか?」


 真幌のこめかみの辺りがぴくりと動く。


「きっと店長にも、いらっしゃる筈ですよね。今は亡き、大切な思い人が。早くに亡くしたご両親とか、育ての親であるおじいさまとか。そういった肉親とは違う、別の誰かが」


 真幌は無言で視線を反らした。

 彼の視線の先を目で追う望美。


 カウンター席に飾られた蒼い倉敷硝子の一輪挿し。そこには今日も花水木ハナミズキが。真幌の手によって、毎日欠かすことなく生けられてある。


 まるで何かを愛でるように。そのことに望美は、随分と以前から気が付いていた。


「店長。ハナミズキの花って、通常は晩春から初夏にかけて咲くものですよね?」

「ええ、よくご存知で」


「一応、こう見えて女子なので」


 自虐的な口調で返す望美。


「だけどこの店のハナミズキは、造花でもないのに冬になっても、こうして咲き続けている。おそらく、黒猫くんの魔力を使っているんでしょうけど。よっぽど、この花に強いこだわりがあるとしか思えません」


 真幌の藍染着流しと総白髪を、交互に見ながら望美が言う。

 

「蒼くスリムな花瓶に白い花びら。あたし最初、店長自身の肖像を表しているのかと思っていたんですけど」


「僕はそんなナルシストじゃあないですよ」

「つまり、違うということですよね?」


 誘導尋問。そう言わんばかりの表情を真幌は一瞬浮かべた。

 

「店長。たしかハナミズキの花言葉って『永続性、返礼、私の想いを受けてください』でしたよね?」


 真幌が「ええ」と頷く。

 

「要約すると、『感謝の気持ちを込めて、君に永遠の愛を誓う』。それって、まるで手向け花のように思えるんですけど。違いますか?」

 

 手向け花。神仏や死者の霊などに捧げる花のことだ。

 

「あたしが、ずっと疑問に思っていた謎。普通の人間で、しかも優しくて温和な性格の店長が何故、死神と雇用契約を交わし、冥土の土産屋なんて悪魔な家業をしているのか? それってもしかして、その人が……今は亡き大切な思い人さんが、その理由に絡んでいるんじゃないですか?」


 真幌が怪訝そうに重い口を開く。


「随分と飛躍したお考えですね。何の根拠もなく、どうしてそう思うのですか?」

「それは――」


 ――だって先日、忍さんがぽろっと言ってたから……。


「――女の勘です」


 静寂の中、古時計がカチコチと時を刻む音だけが僅かに聴こえる。

 長い沈黙の後。望美が問い掛ける。


「店長、だから冥土の土産に教えてください。あたしの言っていることが合っているかどうか、答えてください」


 はあとため息を付きながら、真幌が返す。


「望美さん。くどいようですが、大切なことなのでもう一度言います。そんなつまらないことに、冥土の土産の権利を使ってはいけません。だから、よく考え直してください」

「…………」


 再び沈黙。

 

 今度は望美が、はああと深いため息を吐く。

 備前焼カップのコーヒーもすっかり冷めてしまった。

 望美はそれをがぶりと飲み干した。


 ふうと息を付き、俯きながらぽそりと呟く。

 

「今回の機会で色々と半生を振り返ってみて、つくづく思ったんです。あたしの人生終わってるなって。本当にゴミくずだなって」


「……そんなことありませんよ」


「ううん、慰めてくれなくていいんです。優しく慰められると、余計みじめになりますから」


 ゆっくりと頭を振る望美。


「借金があって、失業して、友達も恋人もいなくって。父が死んで、母にも見放されて。瀕死の重体なのに、誰も病院にお見舞いにすら来てくれなくて。こんなゴミが消えても誰も困らない。あたしが死んでも誰も悲しまない。だから、こんな世の中に未練なんてなかったんです……つい先日までは。この、まほろば堂に出会うまでは……」


「望美さん……」


「だから店長には、本当に感謝しているんです。こんなゴミくずのような生霊のあたしを、メイドとして雇ってくれて。暖かく迎え入れてくれて。仲間だって言ってくれて。こんなにも優しくしてくれて」


 感謝で胸がいっぱいだ。だから恩を返したい。自分なりに、すこしでも店長の力になりたい。そんな気持ちに揺さぶられながら、望美の感情が次第に高まってゆく。


「店長に悩みをいっぱい聞いてもらって、あたし本当に救われました。なのに店長は何時も他人の悩みばかりを聞いて。ご自分の心のうちを誰にも語らないで。死神との契約店なんて悪魔な仕事をしているのに。店長の気苦労や悲しみを、誰も理解してあげられない」


 真幌が視線を反らし気味に答える。


「それが僕の仕事ですから」

「……大人な言い方ですね」


 望美が目を細めながら言う。


「店長って、ほんと大人ですよね。そうやって、いっつも澄ました顔で大人ぶって。あたしだって、まほろば堂の一員ですよ? ひとつ屋根の下で働く仲間として、すこしは悩みを打ち明けては貰えませんか?」


 真幌は何も答えない。


「なんでもいいんです。思っていることを口に出すと、すこしは心が軽くなりますよ。そう教えてくれたのは店長ですよね?」


 こわばった作り笑いを浮かべ、望美が言う。


「大丈夫ですよ。お客様の心の声に耳を傾けるのが、まほろば堂のメイドであるわたしの仕事ですから。だから店長の悩みを聞かせてください。心の負担を分けてください」


 必死の説得。それでも真幌は答えない。


「……店長、あたしじゃだめですか?」


 じわりと瞳に涙を浮かべ、望美が俯く。


「あたしって、そんなに頼りないですか?」

「別に、そういう意味では……」


「じゃあ、話してくださいよ」


 望美が立ち上がる。

 対面に座る真幌の着流しの、肩口をつかんで激しく揺さぶる。


「冥土の土産に、なんでも願いを叶えてくれるんですよね? だったら教えてくださいよ」


 高ぶる感情。望美の瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちる。

 真幌は愁いを帯びた表情で、望美をじっと見つめている。


「ねえ、答えてください店長」

「…………」


「店長!」


 刹那、ガラリと店の引き戸が開く音が聴こえた。

 望美は、はっと我に返り振り向いた。


「そこまでよ」

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