第二十八話 知らぬが仏よ

 余命八日。

 

 翌晩のまほろば堂。壁の古時計が、ぼおんと午後十一時の鐘を鳴らす。


「中森さんね。今日、役所に行って自己破産の申請をしたそうよ」

 

 ブラックレザーのライダースジャケット姿の忍は、カウンター席から望美に話し掛けた。

 ほうきを持って清掃中の望美が、茜色の和装メイド姿で振り向く。

 

「そうなんですか。それって」

「ええ、人生いちからやり直すって決意表明よ。『これからは、どんなことがあっても娘とふたりで強く生きて行きます』って受話器の向こうで意気込んでたわ」


「そうですか、それはよかった……」


 そう言いつつも、望美の気分は鬱蒼として晴れない。

 外出中の店長真幌のことが、昨夜から気になってしょうかないからだ。

 当の真幌は現在、近所の二十四時間営業スーパーへ買出しに出掛けている。


「なによ望美、浮かない顔をしてるわね。せっかくあの親子の問題が解決したっていうのにさ」

「そりゃあそうですよ忍さん。だって……」


「だって?」

「だって店長、大事な書類を破っちゃったんですよ。しかも特約ですよ?」


「ああ、あの特約契約書のこと?」

「そうですよ。だって」


 望美がせきを切ったようにまくし立てる。


「冥土の土産を渡す前ならいざしらず。店長は既に黒猫くんの魔力を使って、中森さんの亡くなった奥さまを冥界から甦らせた。そして娘さんの亜紀ちゃんと対面させたんですよ? なのに今更、勝手に契約を破棄にするなんて。そんなことが許されるんですか? それって冥界監査に引っ掛からないんですか? 神さまへの反逆罪にならないんですか? 店長も中森さんも、重い罪に問われないんですか?」


 興奮して気が高ぶる望美。顔が耳たぶまで真っ赤に火照っている。


「あたしもう、店長のことが心配で心配で……」

「だーから、大丈夫なんだって」


 カウンター席の丸椅子に腰掛けている忍が、のん気な口調で返す。

 レザーパンツとブーツに包まれた長い足を、大胆にがばっと組み、長い手をひらひらとさせている。


「なにが大丈夫なんですか!」


 そんなデリカシーのない態度に、望美はむっとした。

 イラっとした口調で返す。


「店長といえど一介のスタッフが神様うえに楯突くなんて。それこそ背徳行為。超大問題じゃないですかっ!」


 そんなキレ気味の彼女に、忍がしれっと言った。


「だって、あれインチキだから」


 望美の目が点になる。


「……えっ?」


「そう、特約契約書なんて最初から存在しないのよ。ぜんぶ嘘っぱち。あれは、真幌がとっさに機転を利かせて即興で仕込んだデタラメの書類なのよ」


「ええっ?」


 聞いた望美が血相を変える。


「マホ曰くなんだけどさ。あの中森さんの生霊は元々、最高神おかみが定めし死亡が確定してたわけではなかったそうなの。だからビリビリに破こうが、丸めてポイっと捨てようが問題ないの。元々ただの紙切れなんだからさ。すべてはペテンのイカサマよ」


「だって、だって亡くなった奥さまは確かに……冥土から甦って、亜紀ちゃんと再会を……そんな奇跡を起こすには、どう考えても死神くんの魔力を使わないと……」


「だからぁ、それもインチキなんだってば」

「…………?」


「ていうか、亜紀ちゃんママの正体ってアタシだから」

「えーっ!?」


 絶叫する望美。


「そ、そんな馬鹿なことが……」


 忍がニヤリと笑う。


「うふふ。アタシこう見えても若い頃、東京で女優やタレントの仕事やってたことあんのよ」

「じょ、女優さんですか!?」


「そう。だからメイクもコスプレもお芝居も、お手の物なのよね。むしろ早起きして朝の公園で待ち合わせの方が、夜型のアタシにはチョーきつかったわ」


 東京帰りの元芸能人。それで忍は言葉が標準語なのかと望美は納得した。

 また推定年齢は三十代半ばとはいえ、美貌や体系はスーパーモデル並み。スレンダーでナイスバディで美人の忍だ。そこは素直に納得できるが――。


「先日こっそり中森家に忍び込んで、亜紀ちゃんママの生前の写真を盗み見てさ。似たような服とメイクで変装したのよ」

「こっそり忍び込んでって……そ、それって犯罪じゃないですか?」


 ここは釈然としない望美である。


「まあ、いいじゃん。堅いことは言いっこナシよ」


 どうやらそちらもお手の物らしい。泥棒も昔やっていたのだろうか。

 名前も忍だけに、まさに女忍者くのいちだと望美は思った。


「それで、中森さんに半径三十メートル以内に近寄ってはいけないって条件を?」

「そうよ、流石に旦那さんにまじまじと見られるとバレちゃうだろうから。真幌が予防線を張ったのよ」


「なるほど……はっ、じゃあ、ここに亜紀ちゃんを連れて来たのも?」

「そう、亜紀ちゃんママのコスプレ姿でよ」


「そうか。だから亜紀ちゃんは、おとうさんの中森さんから『知らない人が来ても絶対に鍵を開けちゃいけない』と厳しく仕付けられていたのに、まるで警戒せずにドアの鍵を開けたんですね。それでママに連れられて、パパの待つまほろば堂に訪れた」


 忍が「ご明察よ、名探偵さん」と、豊満な胸を張り出してドヤ顔をする。

 まるで某国民的怪盗アニメの、あのセクシーダイナマイトな泥棒ヒロインのようだと望美は思った。


「じゃあ冥土の土産は……今回、未使用なんですか?」

「そういうこと。だから死神の魔力なんて最初から使ってないの。アンタも中森さんも、死神との契約が成立して、奥さんが冥土から甦ったと勝手に思い込んでただけ。すべては真幌の仕掛けたトリックだったのよ」


 真幌と忍の巧妙な芝居に、すっかり騙されていた望美だった。


「……騙されてたんだ。中森さん親子だけでなく、あたしまで」

「敵を欺くには、先ず味方からっていうじゃない?」


 刹那、ガラリと扉が開く音がする。

 振り返る望美。

 

「ただいまあ!」


 死神の黒猫少年マホだ。ぶかぶか藍染着流し姿で店内に戻ってきた。

 両手にはレジ袋を抱えている。どうやら真幌のスーパーからの帰宅途中を狙って憑依した模様だ。


「おっと、もうひとりの敵が帰ってきたわね」


 忍の言葉に少年が、唇を尖らせる。


「ん、なんだよ敵って?」


 含み笑いを浮かべる忍。


「ふふっ、なんでもないわよ、ねー望美?」

「ええ、おかえりなさいマホくん」


 少年が、ぶうと頬を膨らませる。


「ちぇっ、なんだよみんなして。まあいいや、それよかさあ」


 自分の顔をつんつんと指差しながら少年がぼやく。

 

「くっそ、真幌のヤツ。せっかくの契約を台無しにしてくれてさ!」


 大口の契約を逃して、店のオーナーである死神少年はご立腹のようだ。


「ほんっと真幌は出来の悪い雇われ店長だよ。何時までたっても使えない。まったく、まだまだ青いっていうか若造っていうか」


 誰よりも見た目に若い少年が言うのが妙におかしい。望美はくすりと笑った。

 謎のベールに包まれた死神の黒猫少年マホ。このあやかし、本当は一体何歳なのだろうか。

 

「ダメダメなスタッフはオーナーのボクが折檻してやるっ。とりゃあ、お尻ペンペンだっ!」


 悪態を付きながら、自分のお尻をペンペンする少年。


「いってー!」


 自滅する少年。その姿を見て望美が唖然とする。

 カウンター席ではげらげらと忍が笑っている。


「ちょ、アンタなにやってんのよ。あー、おかしい。ばっかじゃん!」

「ちぇっ……」


 少年マホは不貞腐れた顔で暖簾を潜り、店の奥にある家屋に引っ込んで行った。

 それを確認すると忍は望美に言った。


「あれは照れ隠しよ。あのインチキ特約契約書。マホも黒猫の姿でしっかり見てたくせにね」


「そっか、確かに言われてみれば。じゃあ黒猫くんったら、今回は店長の判断を見て見ぬふりをしてくれてたんだ」


「ふふっ、あのクソガキも案外良いとこあるじゃん?」


 忍が満足げな顔で背伸びをする。


「あーあ、悪の権化の化け猫も退散したし。これで一件落着。めでたしめでたし、ってとこね」


「はい。けど……」

「けど?」


「中森親子が再会したのが本当のママじゃなかったってとこが、ちょっと引っ掛かりますけど……」


 忍が答える。


「世の中、知らぬが仏よ」


 知れば腹が立ったり悩んだりするようなことでも、知らなければ平静な心でいられるということわざだ。


「真実を知ったからってなんになんのさ。世の中には知らない方がいいことだって沢山ある。アンタも、こないだの休日に病院と実家に行って、身を持って痛いほどよーく分かったでしょ」


「確かに……」


「亜紀ちゃんママはこれからも、中森親子の心の中で共に生き続ける。それでいいじゃない」


 望美はこくりと頷いた。


「中森さん、自分は死ぬんだ、死神に魂を売るんだって頑なだったから。正攻法で説得しても埒があかなかった。だから店長は、中森さんが愛する死んだ奥さんと娘さんを利用して、自殺を思い止まるよう間接的に説得に掛かった。すべては、そういうことなんですね」


「正解よ、ちゃんと分かってんじゃん」


 忍が続ける。


「真幌、言ってたわ。『残された家族が傷つくところなんて、僕は想像したくない。それ以上の未練なんてないじゃないか。だから帰りを待ってくれる人がいるうちは、絶対に自殺なんかさせちゃだめなんだ』ってね」


 真幌の台詞を思い出す望美。


【「ですから、こうやってあなたの帰りを待ってくれる人がいるうちは。自ら命を絶つなんて選択肢は、どうか脳裏から消し去って欲しいのです」】


「望美、アンタの受け売りだって言ってたわよ」

「あたしの?」


「ええ、前にアンタが言ってた台詞が胸に刺さったんだって」


 今度は自分の台詞を、望美は回想した。


【「子供のことを考えると……彼らはきっと、家族に先立たれて辛いと思うんです。残された家族が傷つくところなんて、あたし想像したくない。それこそ、死んでも死に切れませんよ」】


 テーブル席の倉敷硝子の一輪挿しに目を配る忍。

 そこに生けられた白いハナミズキを、ちらと見て言う。


「死者を甦らせることなんて、どうあがいてもできっこないのよ。今は亡き愛する人との再会。そんなことが可能なんだったら、とっくにあの子自身が契約書にサインをしている筈だからね」


 忍の意味深な口調。気になる、気になりすぎる。

 望美は思わず聞き返した。


「忍さん、店長の『今は亡き愛する人』って誰なんですか?」


 無言で返す忍。うっかり余計なことを口に滑らせてしまった。そう顔に書いてある。

 望美はしつこく絡んだ。


「育ての親である、おじいさまですか? それとも……」


 沈黙。


「もしかして店長が死神の手先となって、この冥土の土産屋の店長をしている理由と……その今は亡き愛する人が何か関係があるんですか? その亡き人の存在が、店長の総白髪の……深い悲しみの原因……なんですね?」


 忍は何も答えない。


「ねえ、黙ってないで、答えてください忍さん!」


 更に沈黙。

 しばらくして忍が遠い視線で言葉を返す。


「望美。アンタ、真幌に気があるんでしょう?」


 今度は望美が無言で返す。

 提灯の和風ペンダントライトのせいだろうか、望美の頬が赤く染まっている。


 薄暗い店内の中、カウンター席の忍はハスキーボイスで静かに言った。

 

「だったら尚更、知らぬが仏よ」


(次章へ)

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