第二十五話 再会はひとつの禁忌

 余命十日。

 

 翌朝。中森は期間工の仕事を急遽休み、もうすぐ五歳になる娘の亜紀あきを連れて、近所の酒津公園に訪れていた。


 倉敷の公園といえば「ここ」というぐらい人気のファミリースポットだ。

 公園内の敷地は広く、芝生広場や遊歩道、水遊びができる親水広場、多彩な遊具などがある。


 傍には県道396号線を挟んで高梁川の河川敷。高梁川改修の記念碑や洋風木造建築、高瀬舟を模した東屋などが保存されていて、歴史情緒をしのばせている。ロマンティックな散歩道としても打って付けだ。


 桜の名所としても有名で、春には花見をする人で大混雑。園内でバーべキューをすることも可能で、週末は大人から子供まで大勢の人で賑わう。しかし今日は平日なので、ひと気はまるでない。


 師走の木枯らしが吹きすさぶ中、背中を丸めて歩く中森。

 彼は亜紀のちいさな手を引きながら、亡き妻の名をぽそりとつぶやいた。


玲子れいこ……」

 

 自らの冥土の土産として、他界した妻の玲子と娘の亜紀を対面させる。

 それが冥土の土産屋まほろば堂の店主に無理を言って、特約契約書により実現した望み。

 予てからの夢なのだ。


 店長の説明によると、対面時間は僅か十分間のみ。

 しかも蘇った死者は、ひとりの人間としか対面させることはできない。

 具体的には当事者以外は、半径三十メートル以内に近寄ってはいけないそうだ。

 

 その条件を破れば、関係者全員が地獄へと堕ちる。つまり娘も巻き添えを食ってしまう。

 だから店主は、ひと気の少なくてだだっ広い、平日の朝の公園を対面場所に指定したのだろう。


 なにかと制約が大きいが、背に腹は変えられない。

 死者の甦りは、自然界や神に対するに背徳行為。ゆえに地獄へ堕ちる可能性が高まるリスクもある。


 玲子は亜紀が物心付く前に交通事故で他界した。

 彼女とふたりで、ちいさな運送会社を営み始めたばかりの出来事だった。


 事故の原因は妻自身による居眠り運転であった。

 高梁川の河川敷沿いの仮設ガードレールに突っ込み、転落死したのだ。

 ロープで仮の縄を張っただけの簡素なガードレール。ここは今現在も整備が遅れていて、とても危険な状態なのだ。


 彼女には、なにかと無理をさせていた。仕事に育児に家事に追われ、きっと疲れ果てていたのだろう。

 だから玲子を殺したのは俺だ。

 原因は甲斐性なしで妻を働かせすぎのクズな亭主。俺がすべて悪いんだ。

 中森はそうやって、今日まで自分を責め続けた。


 娘は母親の顔を写真でしか知らない。

 にも関わらず。自分は仕事に掛かりっきり。ずっと娘を保育園の延長保育に預けっぱなしだった。

 だから亜紀には全然構ってあげられなかった。


 妻を亡くした寂しさや悲しみ。

 それを仕事の忙しさにかこつけて、育児や現実から逃げていたのかもしれない。

 

 娘にはずっと寂しい思いをさせてしまった。

 だからせめて、ひと目だけでも母親に会わせてやりたい。

 たとえ自分の魂と引き換えにしても。そう切に考える中森だった。


 待ち合わせの時間は午前九時。

 五分前の今、中森と亜紀は公園を横断する中央の遊歩道を歩いている。

 前方約五十メートル先に親水広場がある。

 その右奥側の東屋。そこが、まほろば堂の店主から指定された妻との待ち合わせ場所だ。

 

「あ……あれは」

 

 中森は女性の姿を確認した。

 すらりとした肢体。赤い花柄のワンピースに、つばの長いレースの帽子。

 生前、妻が好んで着ていた服装だ。

 彼女は東屋でひとり、ぽつんと腰掛けている。


 間違いない、妻の玲子だ。中森はそう思った。

 彼は立ち止まると、娘の亜紀に向かって言った。

 

「ほら、亜紀。あれがおかあさんだよ。さあ、会いに行っておいで」

「え、おとうさんはいかないの?」


 亜紀が顔を見上げる。上目使いで不安そうに中森の顔を覗き込んでいる。


 娘の目鼻立ちの整った顔を見つめながら、中森は亡き妻の面影を脳裏に浮かべた。

 亜紀は本当に母親によく似ている。きっと将来は美人になる。


 なのに、まともに着飾らさせてあげられない。

 今日、着させている服も、随分とくたびれていてみすぼらしい。

 自分の甲斐性のなさが、心底情けない。


 中森が屈む。亜紀の両肩に掌を沿え、目線の高さを合わせ優しく答える。

 

「大丈夫。おとうさんは、ちゃんとここで見ているから」


 自分だって、もちろん玲子と再会したい。会って強く抱きしめたい。

 そんな切ない思いをぐっと抑え、中森は立ち上がった。


「え、でも……」


 躊躇ちゅうちょする亜紀の目を見て、にこりと微笑む。


「いいから亜紀、行っておいで」


 中森は亜紀を回れ右させて、背中をぽんと押した。


「う、うん」

 

 亜紀は東屋へと駆け寄って行った。

 足取りも軽い。亜紀も、もう五歳だ。ついこの間までヨチヨチ歩きだったのに。


 中森は感慨深い気持ちになった。

 もう娘の成長の続きを見守ることができないのかと思うと、胸が張り裂けそうになる。

 

 この再会の儀式が終わったら、自分は潔く自殺する。

 生前の妻と始めた事業にも失敗した。会社は倒産。もう借金まみれで首が回らない。


 だから自らの死亡保険金で完済する目論見もくろみなのだ。


 毎晩アパートまで押し寄せるヤクザな高利貸しの回収人。

 亜紀にも随分と怖い思いをさせている。


 こんなクズで駄目な父親の存在なんて、娘の将来の為にもきっと邪魔になる。

 児童養護施設で育った方が、よほど幸福になるだろう。


 だから自分は死神に魂を売り渡す。

 すべては娘の幸せの為に――。

 

 「おかあさーん!」


 亜紀の声がここまで聴こえた。

 女性が、東屋のベンチから立ち上がる。


 中森の視界がじわりとぼやける。

 

「玲子……亜紀……」


 込み上げる思い。愛する妻と娘の名を、交互に何度も口にする。

 中森はあふれる涙を拭いもせず、遠く離れた遊歩道から母と娘がしっかりと抱き合う姿を見守った。

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