第二十四話 特約契約書
「それで亡くなった奥様に生き返ってもらって。冥土に旅立つ自分の代わりに、娘さんを育ててほしい。ということですね、中森様?」
十数分後。
忍とバトンタッチしてテーブル席に付いた店長の真幌が、丁寧な口調で男性客に問い掛ける。
「ええ、そうです」
中森と呼ばれた男性客は、頷きながら静かに答えた。
「どうぞ、お召し上がりくださいませ」
横から望美が、おもてなしのお茶とお菓子を差し出す。
「つねき茶舗のほうじ茶です」
望美の言葉を真幌が引き継ぐ。
「つねき茶舗はここ倉敷美観地区で、昔ながらのほうじ茶づくりをしている老舗なんです。焙じた時に出る煙は、遠くの方まで広がり『お茶の香りが倉敷川の橋のところまで届いている』と、観光客の方々にも地元の人々にも親しまれているんですよ」
へえとちいさく呟きながら、望美は続けてカウンター席の忍にも差し出した。
「忍さんもどうぞ」
「へえ。今日のお菓子は
長い指先でむらすずめを摘む。忍は、ぱくりとほおばった。
「んまー!」
『むらすずめ』は岡山県倉敷市に本社を置く株式会社 橘香堂が製造販売する和菓子である。
新鮮な卵を用い、和製クレープのように薄く丸く焼いた黄色い外皮が特徴。包まれた粒餡は、厳選された北海道小豆を使い、甘さを抑えて丁寧に炊き上げた絶品なのだ。
「中森様も、どうぞお召し上がりくださいませ。むらすずめの誕生した明治初年頃は、生菓子を一般的に餅菓子と言っていた時代で、米粉で作る菓子がほとんどでした。その時代に、橘香堂は小麦粉と卵を使用した御菓子を創ったのです。現代の和菓子に対し、洋菓子のような感じのする画期的なお菓子として、その時代の人達から注目を集めて――」
「いえ、結構です」
店長真幌の薀蓄交じりのおもてなし。それをあっさりスルーする中森。
どうやら、お菓子が喉に通るような心境ではなさそうだ。
「とりあえず、こちらだけ頂きます」
中森がほうじ茶を飲み干し、話を続ける。
「亜紀は……娘は母親の顔を知らないんです。だから、どうしても母親に会わせてあげたいんです」
――たしか死者を蘇らせることはできないんじゃ?
残念そうに真幌が答える。
「申し訳ございませんが、死者を蘇らせることはできないのです」
――やっぱり。だって……冥土の土産として、それができるなら……。
自分がとっくに死んだ父親を甦らせている。
冥土の土産として、大好きだった父にもう一度会いたい。
そう切に思う望美だった。
納得できないと表情に出しながら、中森が食い下がる。
「じゃあ、じゃあせめて、娘を妻が死ぬ前にタイムスリップさせて……」
「それも無理です。未来や過去に時間移動したり、死者を甦らせたり。そういった自然の摂理に反することは不可能なのです」
「そんな、つれないこと言わないでくださいよ。こっちは命を懸けてるんですよ?」
「そう仰られましても……無理なものは……」
「無理を承知でお願いします!」
中森は涙を流しながら、真幌にすがり付くように懇願した。
「娘を、ひと目だけでも、死んだ母親に会わせてやってください」
――可哀相だけど、これは契約不成立のパターン……よね。
望美はそう思った。
しかし真幌は、しばらく腕組をしながら考え込むと、開口一番に言った。
「そこまで仰るなら、承知しました」
――え?
「本当ですか? あ、ありがとうございます!」
「今から書類をご用意致しますので、少々お待ちください」
そう言って真幌は、店の奥に引っ込む。
望美は不安げに視線で背中を追った。
――店長、どうするつもりだろう……。
しばらくして和紙の書類を手に、彼は戻って来た。
着座しながら、男性客に差し出す。
その書類には、黒い文字でこう記されてあった。
『特約契約書』
「特約……契約書?」と中森が首を傾げる。
「ええ。死者の蘇りは、通常の契約ではタブーとされているのですが。実はこの書類に署名をすれば、特例として死者を現世に甦らせることが可能なのです」
――ええっ、そんな特約があったんだ!
「ほ、本当ですか?」
「ええ。ただしほんの僅かな時間だけですが」
「僅かな時間……具体的には?」
「十分間です」
「ええっ? そんな、たったの……」
――そ、そんな。たったのそれだけ?
「はい、冥土から現世に魂を返送することは天界の秩序に背く行為ですから。それだけ時空リスクが高い。いわゆる危険な橋渡しなのです」
「危険な橋……」
「ええ、神の意向に逆らう背徳行為。ですので冥界審査で地獄へ堕ちてしまうかもしれません。それでもよろしいのですか?」
冥土の土産として死者に再会できる時間はたったの十分間。
しかも背徳行為。地獄に堕ちてしまう可能性が高まる。
――でも、それでも……死んだおとうさんに、もう一度会えるんだったら。
望美の心が激しく揺らぐ。
――おとうさんに会えるんだったら……あたし……悪魔に魂を売ってでも……。
「……わかりました。その十分間、私の命と引き換えに買い取ります。それで娘を母親と再会させてやってください」
「承知致しました」
中森は震える指先で特約契約書と書かれた和紙に万年筆で署名をした。
「にゃあおん」
頭上から黒猫の声がする。望美は天井を見た。
黒猫と視線が合う。爛々と輝く蒼い瞳。口元はニタリと笑っているかのように見える。
視線を逸らす望美。カウンター席では忍が「やめときな、アンタ本当にそれでいいの?」と言わんばかりに背中で語っている。
望美は再びテーブル席へと視線を戻した。
「中森様、これで契約は成立致しました」
署名を確認した真幌は、中森をまっすぐに見つめ唱える。
「冥土の土産にひとつだけ、あなたの望みを叶えます」
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