第二十二話 汚れた家族の絆

「ちょっと、ふたりともなにやってんのよ!」


 望美が継父から無理やりに唇を奪われそうになる直前、部屋の扉が空いた。

 慌てて振り返る継父。そこには母、佳苗かなえの姿があった。


「財布忘れたんで戻ってみたら……あんたたち……」


 鬼の形相で仁王立ちの佳苗。ぶるぶると怒りで声が震えている。


「ごっ、誤解だ佳苗! のっ、望美の方がいきなり誘惑してきやがったんじゃあ」


 佳苗が望美をキッと睨む。


「望美。それ、ほんとなの?」

「あ、あたしは……」


 涙目の望美。恐怖で声が出ない

 ボタンを引き千切られて、はたけた胸元。それをぎゅっと隠しながら望美は黙って俯いてしまった。

 

「望美、ちゃんと本当の事を言ってごらん」

「…………」


「だから何で黙っているのよ望美!」


 声を荒げ激昂する佳苗。継父が弁明を続ける。


「ほ、ほらみろ! さっきから黙っているのが証拠じゃあ。ワイは悪うねえ。ベッドに誘ったのは望美なんじゃわ!」


 ――そんなわけないじゃないの……怖くて声が出ないだけなのに……どうして……あたしの方を信じてくれないの?


「だいたい、ここは何時も鍵を閉めている望美の部屋じゃねえか。だからさ、ここにオレがいること自体が、望美が連れ込んだっていう何よりの証拠じゃろ?」


 ――だ、だからそれは、ついうっかり鍵を……。


「まったく、うっかり望美の色仕掛けに乗せられるところじゃったわ。ほーんとイマドキのJKは大胆っつーか、ナニ考えてんのか分かんねーっつーか、やることがエロいわなあ」


 ――やめて、デタラメ言わないで!


「ふうん」


 佳苗は氷のような表情で望美を一瞥いちべつし、部屋から出て行った。


「待てよ、佳苗」


 佳苗の後を追い掛けるそぶりを見せる継父。

 だが実際はそうはせず、振り向きざま震える望美に脅しを掛けた。


「なあ望美。今後もこの家で穏便に暮らしたかったら、本当の事は喋るんじゃねえぞ」


 望美に顔を近づける継父。震えながら顔を逸らす。

 継父が望美に耳打ちする。


「ワイはな。本当はおまえの母親よりさ、ぶっちゃけ望美の方がオンナとして魅力的だって感じているんじゃ。そのことがバレたら、佳苗は、おまえの母親はどれだけ傷付くと思う?」


「そ……それは……」


「なあ、望美もオンナだったら分かるじゃろおが。もしそんなことになったらオンナのプライド、ズタズタのボロボロじゃわなあ?」


 ニタリと笑う継父。悪魔の囁きだ。


「だから望美は、すべてを黙っているのがいい。それがみんなの為じゃ。それで家族みんなが幸せになるんじゃわ」


「…………」


 その日を境に、母の佳苗は望美に対して露骨に蔑む態度を取るようになった。


 一方の望美は、二度と継父が入って来ぬよう、これまで以上に部屋に鍵を厳重に掛け、毎晩閉じ篭った。


 こうして母と娘の間に、深い亀裂が生じたのだった。


 望美は反論したい思いを強く抱きつつも、頑なに口を閉ざし続けた。

 それが母親を女性として傷付けないことに繋がる。そんな継父の下種な口車に乗せられて――。


 一年後。


 望美が高校三年生の時。母から継父の借金の連帯保証人を、自分から望美へと名義変更するよう命じられた。


 返済額は数百万。継父は相変わらず酒臭い息を撒き散らしながら、へらへらとした表情で望美に言った。


「それが家族の絆ってやつじゃろ?」


 そうやって半ば強引に、よく分からないまま望美は判子を押さされた。


 無職の継父に返済能力はない。

 当初は母の佳苗が支払っていたが、金使いの荒い継父の生活費を見ないといけない。

 持ち家こそあれど、流石に負担は大きい。佳苗は次第に返済を怠るようになった。


「望美、おかあさんはもう無理だから。高校卒業したら、あんたが働いて毎月払うのよ」


 娘を嫌悪する佳苗は、望美に返済義務を押し付けたのだ。


 望美は地元公立大学への推薦合格を得て、奨学金を借りて自力で大学へ通うことを決意していた。しかし継父の借金と奨学金返済と二重に支払っていくのは、どう考えても不可能だ。


 結局、望美は大学進学への道は断念したのだった。


 以来、高校卒業後。実家を逃げ出し自立した望美が、僅かな収入の中から工面し、継父の借金の返済を負担しているのだ。

 それが望美の抱える不当な借金の正体なのである。


 やがて望美が二十歳を過ぎた頃。


 当時、どの職場に行ってもなじめない望美は、職を転々としていて生活が不安定だった。

 

 望美はある晩、電話で母親に苦情を言い付けた。


「ねえ、おかあさんもすこしは……返済に協力して欲しいんだけど……」


 スマートフォンの向こうの母、佳苗は履き捨てるように言った。

 

『ハッ、家を飛び出してからというもの全然連絡してこないと思ったら。いきなり金払えって何よ?』


 呂律が回っていない。泥酔している模様だ。

 どうやら電話を掛けるタイミングが悪かったようである。


『望美。あんたってほんと親不孝な娘よね。だいたいどうしてあたしが、あんたみたいな泥棒猫を助けなきゃなんないのよ』


「あたしが……泥棒猫?」


 戸惑う望美。

 佳苗は酔いに任せて、容赦なく悪態を付きまくった。


『ええそうよ。母親のオトコに色目使ってベッドに連れ込む娘が、泥棒猫じゃなくてなんだっていうのよ。まったく、汚らわしいったらありゃしないわよ』


「あ……あたし……」


 ――あ、あたしがそんなことするわけないじゃない。どうして信じてくれないのよ。

 

 と喉まで出掛かったが、継父に脅迫された言葉が脳裏をよぎる。


【「ワイはな。本当はおまえの母親よりさ、ぶっちゃけ望美の方がオンナとして魅力的だって感じているんじゃ。そのことがバレたら、佳苗は、おまえの母親はどれだけ傷付くと思う?」】


「それは……」


『ほらごらん。後ろめたいから何も言えないんでしょ。そうやって何も言い返せないのが、あの時、あんたの方からあの人を誘惑したって何よりの証拠よ』

「…………」


『望美。もう、あんたなんか私の娘じゃないよ。二度と連絡してこないで』


 こうして、佳苗は望美と親子の縁を断ち切ったのであった。


 *


 望美が長い回想から現実に戻る。

 過去の辛い記憶、それは母との断絶。ふたりの間に生じた深い溝。


「ねえ……どうして……お見舞いに来てくれないの?」


 晩秋の寒い夕暮れ時に、自宅の前で佇む望美。

 生霊の状態と言えど、流石に敷居は跨ぎ難い。


「……最後にあんな大喧嘩したから……あたしのことなんて、もう実の娘とは思ってないってこと? それとも、あの人に『望美には会いに行くな』って引き止められているの? 死んじゃったおとうさんより、縁を切ったあたしなんかより。今を一緒に暮らすあの人の方が……新しい旦那さんの方が、やっぱり大切だってこと?」


 はああと深いため息。気持ちを吐き出すかのように、望美が呟く。


「あの時だって……どうして、あたしのことを信じてくれなかったの? どうして、あの人の嘘の方を信じちゃったのよ……」


 刹那、ガチャリと玄関の扉が動いた。


「あっ!」


 望美は反射的にその場を逃げ出した。

 すこし離れた電柱の影に大慌てで隠れる。


 現世の家族には自分の姿は見えていないのだから、逃げる必要もないのだが。

 どうしても面と向かって顔を合わせる勇気が出ない。

 

 電柱の影から、そっと覗き見る望美。

 

 玄関から母の佳苗が出てくる。スナック勤め用のきちんとセットされた髪にフルメイク。通勤服のコートを羽織っている。


「おかあさん……」


 佳苗は望美がいる場所とは反対方向の、繁華街のスナックへと向かう最寄の駅へと歩いて行った。


「なーんだ、全然普通に生活してるんだ」


 暮れなずむ夕日を背に呟く望美。


「もう縁を切った娘のことなんて。あたしのことなんて、死のうがどうしようが、どうでもいいんだ」


 見慣れた玄関がじわりと滲む。


「あたしのこと……汚い体の娘だと思ってるんだ……」


 生暖かい雫が望美の頬を伝う。


「あたしの人生なんて……ほんとゴミだ……」


 その悲しみの雫がぽたりぽたり滴り落ち、彼女の足元を濡らした。

 

「もういい……もう……どうだっていい……嫌い……大嫌い……おかあさんなんて大嫌いっ!」


 望美は嗚咽交じりで踵を返し、その場を駆け出した。


 ――おかあさんなんて……あたしなんて大嫌い……あたしの体なんて、この世から……消えてなくなっちゃえばいいんだ……。


 黄昏行く晩秋の寒い夕暮れ時。

 止め処なく流れる涙を拭いもせず、望美は生まれ育った町を後にした。

 

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