第二十一話 来てくれないんだ

「この中に、本当のあたしがいる……」


 望美は集中治療室の扉の前に立っていた。

 以前、まほろば堂の雪洞に映し出された立体映像を回想する。

 

【透明の雪洞の中に映し出された立体映像。そこは白い部屋だった。おそらく病院の集中治療室ICUだ。白いベッドの上には、誰かが横たわっている。それは全身を包帯で覆われた人間の姿だった。口もとには酸素ボンベ。全身には無数の管が付けられていて、複雑そうな機材に繋がっている。おそらく生命維持関係の機械だろう】

 

 ぶるぶると顔を横に振る望美。顔色の悪い顔が更に青ざめる。

 

「やっぱり怖くて……中に入れない……」

 

 幸か不幸か、望美は霊魂の状態であるにもかかわらず、瞬間移動したり壁を抜けれたりするわけではない。この病院にも電車とバスを乗り継いで来た。

 誰かが扉を開けた瞬間に忍び込むことは可能であろうが、自分の悲惨な姿を目の当たりにする勇気は流石に沸かない。


 

「……あたし、こんなこと確かめに来たわけじゃないのよね」


 *


 次に望美はナースセンターへと向かった。

 大勢の看護師たちが忙しそうに立ち振る舞う中、望美は彼女らの会話がよく聞こえそうな位置に陣取った。

 当然、生霊である望美の姿は、看護師たちの目には映っていない。


 娘が電車に引かれて瀕死の重体。

 いくら絶縁状態とはいえ、自分の家族は、母は、お見舞いに来てくれているのだろうか。

 すこしは娘の容態を心配してくれているのだろうか。

 ここに来れば、その情報が耳に入るかもしれない。

 そう考えて、望美は休日を偵察に費やすことにしたのだ。


 粘ること数時間。

 ようやく望美の事故が、看護師たちの話題に登った。

 

「ねえねえ、あのホームから落ちた子って――」


 若いナースが口火を切る。ピクリと望美の耳が動いた。

 

 ――きたっ!


 生唾を飲み込む望美。看護師たちの傍に寄り、聞き耳を立てる。


「あの子って、誰もお見舞いに来てくれてないみたいなのよね」

「だよねえ、本当に可哀相にねえ」

「あの子、家族とか親戚とか職場の方とか友達とかって、全然居ないのかな?」

「そうよねえ、でも困ったわね。もし、このままお亡くなりになったら、ご遺体の引き取り手が――」


 そこまで聞いた望美は踵を返し、ナースセンターを出て行った。


「やっぱり……そうなんだ……誰も来てくれてないんだ……」


 早足に病院を後にしながら、望美はこみ上げる胸の思いをぎゅっと堪えた。



 その日の夕暮れ時。

 望美はある家の前に立っていた。


「おかあさん……」


 表札には『逢沢』と書かれている。

 生まれ育った自分の家。高校卒業まで長年暮らした、ちいさな庭付き一軒家だ。

 望美が小学校六年生の時、名義人であった実父が死亡し住宅ローンの返済義務がなくなった。

 その後、中学校二年生の時に母親が継父を連れ込む形で収まったのだ。


 敷居の外から玄関に向かってつぶやく望美。


「ねえ、やっぱり来てくれないんだ」


 扉は硬く閉ざされたまま、何も答えてはくれない。


 もうすぐ冬を迎える夕暮れの中。はあと付いたため息が、白く濁って消えていく。

 望美は俯きながら顔をしかめた。


「おかあさん。昔はやさしかったのに……おとうさんが死んでから……ほんと変わっちゃったよね」


 冷たい風が頬や首筋に突き刺さる。

 

 「特に……あの人とあたしの間に……あのことがあって以来」


 望美はこれまでのことを思い返した。 


 *


 中学二年生の秋。ある日突然、望美は継父を紹介された。

 

「望美、今日からこの人が新しいおとうさんよ。仲良くなさいね」

 

 そう言って家の敷居を跨がせたのは、茶髪で遊び人風の中年男だった。


 顔は男前だけど、仕事にもろくに行かず、毎晩パチスロキャバクラ酒浸り。

 そんなタチの悪そうな男を目の当たりにして「仲良くなさいね」と言われても、正直困る中学生の望美だった。


 望美の母と再婚相手の男は入籍はしておらず、事実婚だった。


「その方が遺族年金や母子手当の絡みで都合がいいの」

 

 そう母は言っていた。逢沢の姓は、実の父親の苗字なのである。


 家計は父の保険金や家などの遺産と母の収入でまかなっていた。

 望美の母親は亭主の死後、夜のスナック勤めをしていた。継父とはそこで知り合ったらしい。

 

 望美の母親は美人だったので、店でも凄く人気があった。

 そのオンナをオレはものにしたんだ。そうやって継父はいつも、一升瓶片手に下世話な笑みを浮かべて豪語していた。


 仕事も行かず、毎晩飲んだくれては遊び呆けている継父。

 母はこんなヒモ男のどこがよかったのだろうと、望美は何時も疑問に感じていた。


 どうやら継父に甘い言葉で優しくされたのが、交際するきっかけだったそうである。

 きっと優しい亭主に先立たれた寂しい寡婦やもめの心の隙間に、要領よく付け込んだのだろう。

 男女の仲はよく分からない。思春期の望美はそう思った。

 

 望美はこの継父が、どうしても好きにはなれなかった。

 元々、大の父親っ子で多感な時期の少女であったのだから、ある意味当然の話である。


 会話は必要最小限。『父』とはおろか、一緒に暮らしていて殆ど名前で読んだことすらない。

 露骨に拒絶する態度を取り続けていた。


 望美は学校でも人を遠ざけるようになった。

 元々内気な性格とはいえ、中学時代までは仲の良い友達もすこしは存在していた望美だった。

 だけど後ろ暗い自分の家庭環境が恥ずかしくて、学校で知られたくなくて。

 そうやって次第に心を閉ざして行ったのだ。

 

 母も当初は継父と望美の板ばさみとなり、双方に気を使っていた。

 しかし『あのこと』がきっかけで、実の娘である望美の方を露骨に煙たがるようになったのだ。


 それは望美が高校二年生の時だった。


 母は水商売をしている。だから夜は飲んだくれの継父との二人となる。

 当時、母の外出中は何時も部屋に鍵を掛けて部屋に閉じ篭っていた望美であった。

 しかしその夜はうっかり鍵を閉め忘れて、制服姿のままベッドでうたた寝をしてしまったのだ。

 

「……ん?」


 なにやら胸や太もものあたりがむずむずするなと、望美はうっすら目を開けた。


「なあ、いいいだろ?」

「えっ!」

 

 なんと継父がベッドに潜り込んで来たのだ。


「なあ望美、ちょっとぐらいいいだろ?」


 ニヤニヤと下種びた笑みを浮かべる継父。


「や……やだ……やめて……」


 震える望美。怖くて体が動かない。


「なあ、いいだろ別に減るもんじゃなし。おまえの母ちゃんも美人だけどよ、おまえの方が若くてもっともーっと可愛いぜ。オレさあ、前からずっと密かにおまえのこと狙ってたんだよ。だからさ、いいだろ?」


 望美の制服シャツの胸元を強引に引っ張る継父。白いボタンが弾け飛ぶ。


「いやっ!」


 継父が望美の顔に、ぷんと酒臭い息を吐きかける。

 そして恐怖に怯える望美の唇を――。


「いやあっ!」

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