第二十話 世界征服スイッチ押してみませんか?

 余命十四日。

 

「ちゃらららっちゃら~♪」


 深夜、冥土の土産家としての夜間業務終了後。

 真幌に憑依し少年の姿へと化けた黒猫は、鼻歌で効果音を奏でた。


 満足げな表情。久々の契約成立に上機嫌のようだ。

 今日もぶかぶかの藍染着流し姿。ちいさな掌には、なにやら赤いボタンスイッチの付いた小箱が握られてある。

 

「ああもう、うるさいわねえ。ねえ黒猫くんってば、さっきからお掃除の邪魔しないでよ」


 店内を清掃中の望美が、茜色の和装メイド姿でほうき片手に苦言を呈す。

 浮かれた少年とは対照的に不機嫌そうだ。

 店長とのふたりの憩いの時間を邪魔されて、少々イラっとしている様子である。


「で、一体なんなのよ、そのスイッチは?」 

「むふふ、いいかいのび子ちゃん? 今週の秘密道具は『世界征服スイッチ~♪』だよー!」


 国民的人気漫画の青色猫型ロボットの声色を真似る黒猫少年。蒼い瞳がキラリと光る。

 

「さっき契約書にサインしたヤバ気なおっさんに、これを冥土の土産として渡すのさ。押せば、独裁者として世界中に保有されている核爆弾を一気に爆破させれるんだよ」

「えええっ!」


「それで地球は木っ端微塵。きれいさっぱり人類滅亡できるんだ。どう、のぞみちゃん? ヒューマンドラマとして最高の、素敵な最終回オチでしょ?」

「そっ、それのどこがヒューマンドラマなのよっ、どこが素敵な最終回なのよっ!」


 うふふと少年が笑う。

 望美は手にしていたほうきを投げ出し、少年の細い肩を掴んで揺らした。


「ねえ、黒猫くん。お願いだから止めて。あんな危険思想をお持ちのお客様の、暴走した夢を叶えて差し上げたら、本当に世界は終わっちゃ……」

「だから終わればいいじゃん。って、こないだも言ったよね?」


「だって……」

「ボクはこの冥土の土産屋のオーナーだよ? 上司になんども同じこと言わせないでよ。社会人の常識でしょ?」


「でも……だって……」


 少年が眉をひそめて答える。


「ねえ、のぞみちゃん。パラレルワールドって知ってるかい?」

「……ええ。様々な選択肢によって世界が分岐して、平行世界として無限に未来が広がるってあれよね? でも、だって……」


 いくら世界が無限に広がろうとも。それでも自分たちの『今、ここにいる世界』が滅ぶことには変わりはない。


 余命二週間の自分はともかく、真幌は、忍は、絶縁状態の母親はどうなるのだ。そんなブラックな結末ではこの世界の全人類、いや全生物があまりにも不憫ふびんすぎる。バッドエンドにも程がある。

 

「だから大丈夫なんだって。だって冥土の土産を渡すと同時に、おっさんをパラレルワールドに島流しさせるんだから」


「え? そんなこと……できちゃうの?」


「あったり前じゃん。ボクは神だよ。そんなのお茶の子さいさいさ」

「そっか、それなら安心――」


 ほっと胸を撫で下ろすも束の間。はっと気が付く望美。


「え、ちょ、ちょっと待って。でも……じゃあ、その平行世界の人類は、結局どうなっちゃうの?」


「そんなのボクの知ったこっちゃあないよ。だって、そこはボクの管轄じゃないし」


 ケロっとした表情で少年が言う。


「そんな無責任な! それじゃあ何の罪もない平行世界の人たちが可哀相じゃない!」


 激昂する望美。

 

「そんなのダメっ。絶対にダメだからねっ!」


 望美が少年の両肩を掴んで、ぐわんぐわんと振り回す。


 少年が「たくもう、だからあ」と望美の手を払い除け、呆れ顔で言い返す。


「あのさあ、ほっといても平行世界なんてもんはバンバン出来るんだよ? 独裁者が世界を滅亡させたパラレルワールドなんて、それこそ星の数ほど存在するのさ。各々の世界の住人は、単にそのことに気が付いていないだけなんだ。知らぬが仏だよ」


 したり顔で正論を述べる少年に、望美はジト目で返す。

 

「屁理屈なんて聞きたくない。あたしやっぱり、そんなの納得できません」


 絶対的権力者である店のオーナーに、バイトのメイドがしぶとく歯向かう。

 社会の常識からすればありえない。普通の職場なら一発で解雇クビだ。


「ていうかさ、のぞみちゃん最近たくましくなってきたというか。なんかキャラ変わってきたよね?」

「……そりゃあ流石に開き直るわよ」


 タチの悪い子供におちょくられ、思考をすべて読まれ心を丸裸にされて、しかも駅のホームから線路へ突き落とされて、おかげで余命はあと僅か。内気な望美も流石に黙っていられない。


「ふふっ、ていうか真幌に罪を被らせたくないんでしょ?」

「ええ、そうよ」


「おっ、否定しないねえニヤニヤ」

「そうよ。いくら平行世界のお話とはいえ、店長に人類滅亡の片棒を担がせるなんて、あたし絶対許さないから」


「フッ、どう許さないのさ?」


 鼻で笑う少年に対して、上目使いで舌を出す望美。指先を胸の前で下に向ける。


「ヒュードロドロ。死んでも成仏せずに悪霊になって、黒猫くんにずーっと付きまとってやるから。まほろば堂の地縛霊になって、ずーっとここに住み着いてやるんだからねっ!」


 よくあるベタな、おばけのポーズだ。


「えーっ? 冥土に行って成仏してくんないと、ボクの手柄になんないじゃん。それは困るよ。だから、とっとと契約書にサインしてよっ!」

「しーらない。そんなんだったら冥土の土産なんて、あたしいらない。契約書にサインなんて絶対しない。永久に恨んで化けて呪ってやる。ヒュードロドロ」


 生霊が幽霊の真似をする。実にシュールな光景だ。

 

「わ、わかったよ。じゃあさ、これでどうだい? ちゃらららっちゃら~♪『独裁者の星ツアーオプション付き世界征服スイッチ~♪』」


「独裁者の星?」


「その星ってのは、既に独裁者による核戦争で全生物が死滅した平行世界の地球なんだ。そこに昨夜のヤバいおっさんを単身送り込み、お望みどおり『地球上の最後の生物として生存する』新たな独裁者として世界征服させるってオチでどうよ?」


 望美は眉をひそめて答えた。


「……無人島へ島流しならぬ、無人星へ星流しってわけね」

「そういうこと。それでおっさんの『ワシの望みは世界征服からの人類滅亡』って夢も叶うし、ボクも魂を手に入れられる。どう?」


「なんか安っぽい三文SF小説のようなオチだけど……まあ、それなら誰にも迷惑掛からない……か……」


 渋々首を縦に振る望美。

 

「ていうか、全部冗談だよ」

「えっ?」


「ほら、前にも言ったじゃん。冥土の土産は人を殺すことはできないのさ。もう忘れちゃったの?」


「あ、そっか。そういえば」


「パラレルワールドってのも冗談さ。ああいうタチの悪い客は、めんどくさいから相手にしないことにしてんだよね。だから今回は契約不成立でお引き取り願ったのさ」


「なんだ、びっくりさせないでよ」


「ほんっと、のぞみちゃんってなにかとめんどくさい子だよね。でもまあ、そこが可愛いっていうか。おちょくりがいがあるんだけどね」


 イヒヒと笑う少年。

 また可愛いと子供扱いされた。しかも今度は可愛い子供に。

 望美はぶうと頬を膨らした。


「さてと、ボクはそろそろ夜遊び……おっと、深夜の外回り営業に出かけるから。んじゃあねん♪」


 嬉々と踵を返す少年を望美が引き止める。


「あ、ちょっと待って黒猫くん」

「なにさ?」


「ねえ、ひとつ教えて欲しいことがあるんだけど」


 *


 余命十三日。


 朝イチのまほろば堂にて。

 

「店長、おはようございます」

「おはよう望美さん。あ、そうそう。明日の望美さんの休日なんだけど。絶対にこの店の周辺に寄り付かないでくださいね」


「え、どうしてですか? だって、あたし休日出勤……」


 ぼっちの部屋で残り僅かな余生を過ごしても切ないだけ。ここで働いていたほうが遥かに気が紛れる。

 なので望美は明日、休日出勤をしようと考えていた矢先のことである。


「気持ちは嬉しいけど、ごめんね。明日は冥界監査の日なんだ」

「冥界監査の日? それってどういうことですか店長?」


「従来はお客様である方を不当に雇用していることが神様にバレてしまうからね。そうなると色々と面倒なんだ」


 ――あたしがここで働けるのも、残りあと僅か。だから明日も店長の傍で仕事してたかったんだけど……そういう事情なら仕方がないか。


「だから望美さん。明日は絶対に、ここに来てはだめですよ」

「……はい、分かりました」


 望美は渋々承諾した。


 *


 余命十二日。


 望美の休日だ。

 今日は曇天。冷たい季節風が、望美の頬に突き刺さる。

 温暖な気候の晴れの国おかやまも、もうすぐ師走を迎えようとしている。


 起床後、早々に外出した彼女は、ひとりで岡山市内中心部にある大きな建物の前に立っていた。

 一昨日の夜、少年から聞き出した場所だ。

 そこは余命僅かの望美の実体が、意識不明の重体患者として入院している――。

 

「ここよね」


 総合病院だった。

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