第十九話 あたし、お役に立てますか?

 余命十九日。


 翌日の午後八時。店の表には『本日閉店』の札が掛けられてある。つまりは冥土の土産屋の営業時間だ。


「……望美さん、本当にいいんですか?」


 薄暗い店内の中、不安そうな表情で真幌が問う。

 

「はい、改めてよろしくお願いします。店長、あたしがんばります!」


 何時になく積極的な望美。まるで人が変わったようだ。

 そんな彼女を目の当たりにして、真幌が面を食らった表情を浮かべている。

 

 しばらくして誰かが表の扉をがらりと開ける。

 そこには顔色の悪い老婆の姿が。今晩、最初の客だ。

 

「いらっしゃいませ!」


 昼間と同じく茜色の和装メイド姿の望美は、老婆に向かって元気よく挨拶をした。

 続けて深くお辞儀をする。


「ようこそ、冥土の土産屋まほろば堂へ。表は寒かったでしょう? では、ご案内致します」


 望美は老婆の手をそっと引き、店の奥のテーブル席へと導いた。


 *

 

 余命十五日。


 こうして望美は、冥土の土産屋『まほろば堂』の夜のメイドとしても勤務することになった。

 倉敷駅から出る最終電車に、間に合う時間までのサービス残業。その分、朝はすこし遅めの出勤とさせてもらった。

 

 余命僅か二週間ばかしだというのに、自分は一体何をやっているのだろう。

 望美はそう思わなくもない。だけどひとりぼっちのアパートで何もすることなく、ただ死を待つだけの無職で孤独なニート生活よりは、遥かに気が紛れる。

 

 業務内容は、言うまでもなく接客だ。

 来客と面談する店長真幌の横で、共に話を聞いてあげたり、お茶とお菓子を差し出したり。


 生死の狭間で彷徨える魂を、店長のサポートをしながら心を込めておもてなしをする。

 それがメイドである彼女の仕事だ。


 今現在もこうやって、テーブル席で面談する店主と客の話を、望美はすこし離れた位置から聞いている。

 店主と客の間には雪洞の和風ペンダントライト。ふたりの顔に仄かなオレンジの光彩を灯している。


 今日の来客は四十代半ばの婦人である。

 文字通り命を掛けた商談だ。望美の背筋がしゃんと伸びる。


 お盆を抱える両手にも、自然と力が篭る。

 

「私、夫に不倫されたんです。冥土の土産に、主人とあの若い浮気相手の泥棒猫を、完全犯罪で容赦なく殺してくださいっ!」


 我を忘れ取り乱し、真幌にすがりつくように泣いて懇願している中年女性(の霊魂)。

 その悲痛な魂の叫びが、望美のちいさな胸を締め付ける。


「殺してっ! 殺してよおっ! ふたりを殺して私も死んでやるー!」


 客に失礼にならぬよう心の中で、はああと深くため息を付く望美。

 

 ――ふう、思ってた以上に……精神的にしんどい仕事だなあ……。

 

 店長の真幌をちらとみる。彼は真摯な表情で、女性の顔をじっと見ている。

 反論や説得などといった余計な口は一切挟まずに。魂の声にそっと耳を傾けているのだ。


 ――店長さん、毎晩こんなきつい業務をこなしてるんだ……しかも、たったひとりで。


 悲痛な心の叫び。死にたがっている人々の思念が、こうやって生霊となり店に訪れる。


 その数は一晩で概ね二~三組だ。面談時間はひとり約ー~二時間。面談は一夜では終わらず、客が納得するまで何度も繰り返し行うそうである。

 

 僅か数日間のことではあるが、望美はこの夜のメイド業務で、様々な人間模様を見てきた。


 多額の借金やリストラなどの問題を抱えて、切羽詰って自殺を考えている魂が大半だ。

 

 中には学校でいじめられて、校舎の屋上から飛び降りようと思案している未成年の男子中学生もいた。

 冥土の土産として「僕をいじめた奴らが、永久に生き地獄を味わう呪いを掛けて欲しい」と生気のない淡々とした口調で語っていた。


 そんな彼に真幌は「結論は急がなくても良いんですよ。心が苦しくなったら、またいつでもお気軽にお話を聞かせてくださいね。またのお越しをお待ちしております」と優しく諭して、やんわりと答えを先延ばしにした。


 二時間後。


「いっぱい泣いていっぱい喋ったら、なんだかすっきりしちゃったわ」


 女性は満足げな顔をして、ようやくテーブル席から立ち上がった。


「よくよく考えたら、自分が死んじゃうのはやっぱり怖いし。浮気した主人やあの泥棒猫に対してもシャクだしさ。悪いけど今回は、冥土のお土産を買うのは止めておくわ」


「にゃあお」


 頭上の梁から猫の鳴き声がする。どうやら黒猫が何時の間にやら屋敷に戻っていたようだ。

 心なしか残念そうな声色である。


「承知致しました」と真幌が丁寧に受け答える。


「ご来店、まことにありがとうございました。また、いつでもお越しくださいませ」


「ええ、また店長さんに会いに来るわ。若くて親切で優しくてハンサムな店長さんの顔見てたら、なんだかこの世に未練が沸いてきちゃったのよね。こんなおばちゃんの私にも、素敵な若い男性との出会いのワンチャンあるのかもってね。うふふ」


 このご婦人、まほろば堂をホストクラブかなにかと勘違いしているのだろうか。望美はそう思いながらも、店長に習い営業スマイルを浮かべてお辞儀をした。


「ご来店、まことにありがとうございました」


「可愛いメイドのお嬢ちゃんもありがとね」


 女性客は店長真幌の目を盗み、望美にこっそり耳打ちをした。


「ねえねえ、あなたって店長さんの若奥様? それともカノジョ?」


「いっ、いえ、あたしはそっそっそんな!」


 顔を真っ赤にして慌てふためく。


「照れなくていいのよ。ほんと可愛い。あーあ、私にもこんな頃があったなあ。とにかく男なんて浮気する生き物なんだから。しっかりイケメン店長さんの手綱たずなを握っとかなきゃだめよ」


 女性客はそう言い残し、ケロリとした顔で店を立ち去って行った。

 

 *


 ぼおんぼおんと十回鳴る古時計。


「望美さん、休憩にしましょうか?」


 時刻は午後十時。コーヒータイムだ。


「あ、店長。たまにはあたしにお茶の用意させてください」

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」


 望美は店の奥へと繋がる暖簾をくぐった。奥は手狭な厨房になっているのだ。

 

 しばらくして戻った望美は、差し入れの自家製クッキーと共に、備前焼のカップをふたつテーブルに置いた。


「へえ、望美さんが作られたんですか?」


「はい、どうぞ召し上がれ。お口に合うといいんですけど」


 ひとくち摘んで口に入れる真幌。


「やあ、このクッキーとてもおいしいです!」


 その台詞を聞いて、すぐさま望美の顔がほころぶ。


「コーヒーもすごく香りがいい、上手に淹れられていますよ」


 元々料理は得意な望美。店長の喜んだ顔が見たくて、密かに自宅アパートで色々と研究しているのだ。

 

「ちょっと店長の味を研究して真似てみたんですよ」


「へえ。これからはお客様にお出しする飲み物は、望美さんに用意してもらおうかな? それに望美さんの手料理で、地元の食材を使った郷土ランチとかも出せたら良いなと考えているんですよ」


「えへへ、店長にそう言って頂けて嬉しいです」


 ――でも、あたしにそれがそれができるのも、あと二週間。もうすぐこの世から消えて居なくなるんだけど……ね。

 

 ひと息付いた後で、真幌がカップ片手にしみじみと言う。

 

「実はこの仕事って、ごらんの通り契約にまで至らないケースが大半なんですよ」


 誰かにたっぷりと自分の話を、親身になって聞いてもらう。

 それで大半の『悩める心』というものは、自ら命を絶つことを思い直す。


 結果、案外すっきり解決してしまうそうなのだ。


 たったそれだけのことなのに、古今東西この世の中には、自ら命を絶つ人間が後を絶たない。

 孤独と自殺というのは、密接なものなのだなと望美は思った。


 真幌が新米メイドの望美に問い質す。


「人の心の裏側を見てしまう仕事だから、横で聞いていてキツいでしょう?」


 店長は、超過勤務をさせてしまっている新人のバイト店員を気遣い、身を案じている模様だ。


「望美さん、本当に無理しなくていいんですよ」


「いえ大丈夫です。それに、始めたばかりの新米メイドですけど。あたし、この仕事に意外とやりがいを感じているんですよ」


「やりがい、ですか?」


「ええ。だって夜のお客様は、昼間と違ってあたしの存在を……あたしがここに居ることを、ちゃんと認めてくれるじゃないですか?」


 精一杯の笑顔を作って望美が言葉を続ける。


「それがなにより嬉しいんです。なんか生きてるなって実感が沸くんです。って、余命二週間のあたしが言うのも変ですけどね」


 自虐ネタを言う望美。えへへと笑う。


「それに、みなさんのお話を聞いていたら、自分の冥土の土産選びの参考にもなりますし」


 半分は本当で半分は嘘だ。

 

 たしかに、人間の心の底の欲望を目の当たりにするのは正直きつい。生死に関わる悲しみや憎しみがそこにはあるからだ。

 

 だけど、こうやって真幌の仕事を傍で見ていたら。優しい彼が何故、死神の片棒を担いでいるかのヒントが見えるかもしれない。


 すこしは店長の気持ちに近づけるかもしれない。彼の心の痛みを分かち合うことができるかもしれない。


 そんな思いで、望美は夜のサービス残業を自ら志願したのだ。


「やりがいのある仕事。そう言って頂けると救われます。望美さんの冥土の土産選び、よいものが見つかるといいですね」


 そう言った後、ふああとあくびをする真幌。「あ、ごめんなさい」と、すぐさま謝る。


「店長、疲れてらっしゃるんですよ。飛び込みのお客様がいらっしゃったら、あたし対応しておきますので。店長は奥で仮眠を取ってください」


 精一杯の笑顔を振舞う望美。


「うん、ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて、すこしだけ――」


 暖簾を掻き分け、真幌は店の奥へと姿を消す。望美は、その場にひとりぽつんと残った。


 ――あたしの寿命はたったのあと二週間。だけど……それでも、すこしは役に立ちたい。


 倉敷帆布の藍染暖簾に視線を向けて、ぽそりと呟く。


「店長。あたし、お役に立てますか?」


 望美は、茜色をした和装メイド服の帯をぎゅっと締めなおした。


 *

 

 余命十四日。


 翌晩。今宵のまほろば堂の客は、少々ヤバげだ。

 

 蟷螂カマキリのように手足が長く痩せた肢体。三十代なかばの男性だ。目元は落ち窪み、双眸はぎらぎらとしている。


 頭には日の丸の鉢巻。顔色だけではなく人相もかなり悪い。


 何か危険そうな思想にかぶれているのは、世間擦れしてない望美の目で見ても分かる。


 離れた場所から面談場所のテーブル席を恐々と伺う望美。


 彼女の足元では、あやかし死神の黒猫が頬を摺り寄せ「ごろにゃあ」と甘えている。


 怠惰な姿勢で腕組をしながら、対面に座る真幌に向かって慇懃な口調で男が言う。


「ワシの望みは世界征服」


 ――えっ!

 

 望美が心の中で叫ぶ。足元では黒猫が「にゃあああご」と声に出して鳴いている。

 

「だから冥土の土産として、ワシにこの腐敗に満ちた地球上のすべてを焼き尽くす……」


 ギロリと真幌を睨みながら、男が言葉を続ける。


「核爆弾のスイッチを押させろ!」


 ――ええっ!

 

 真幌が掴めない表情で返答する。


「承知致しました」


 ――ええええええええっ!


「ごろにゃあご♪」


 足元の黒猫が上機嫌な声を出す。

 恐怖に慄く望美。膝ががくがくと震えている。


 ――て、店長っ? そこって何時もみたいに、優しく諭して考え直させるパターンじゃないんですかっ!


 真幌がゆっくりと和紙のテーブルクロスを裏返す。例の契約書だ。次に着流し和装の袖から万年筆を取り出し、そっと差し出す。

 

「ここにご署名頂ければ、お客様のお望み通りの手土産を差し上げます」


「ごろごろごろにゃあおん」


 男が鼻息を荒げながら、殴り書きで契約書にサインをする。それを確認した真幌は、茫洋とした目で静かに唱えた。


「冥土の土産にひとつだけ、あなたの望みを叶えます」

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