第十八話 店長、あたしに夜の……

 余命二十二日。


 数日後の昼下がり。晴天だ。

 茜色の和装メイド服姿をした望美は今日も、店頭で接客する店主の姿をじっと眺めていた。


 藍染着流し姿の真幌。客である若いOL風の女性に、店の商品である倉敷帆布の手提げバッグについて説明をしている最中だ。

 

「倉敷の児島地区では古くから木綿が栽培され、木綿の織りや縫製技術が長期に渡り盛んでした。これを基盤に近代以降発展したのが、倉敷の帆布産業なんです。今では国内生産の約七十パーセントを占めているんですよ」


「へー」と相槌を打つ女性客。


「使い続けるほどに味わいが出て、強度、耐久性、通気性にも優れている倉敷の帆布は、『倉敷帆布』のブランドとして注目されています。シンプルかつ丈夫でバラエティー豊かなラインナップが人気を集めているんです」


 説明を聞いていた女性客が、自分のハンドバッグからスマートフォンを取り出す。


「あの、写真撮らせてもらっていいですか? SNSに載せたいんですけど」


 爽やかな笑顔で答える真幌。


「ええ、もちろんいいですよ。うちの店としても商品の宣伝になりますし」


 真幌が商品のバッグを客に差し出す。


「あ、いえいえ、そっちじゃなくって。こっち!」


 女性客は真幌の顔にスマホのカメラレンズを向け、パシャリと撮影した。


「え?」


 にやっと笑って女性客が言う。

 

「私、ちゃんと許可取りましたよね? 店長さんって、ちょーインスタ栄えしそうなんで。だからアップさせてくださいね」

「は、はあ……」


「うふふ、お店の宣伝の方もしっかりしておきますから」


 どうやら女性客がSNSに投稿したい画像は、商品ではなくイケメン店長の方だったようである。

 そんな真幌の仕事ぶりを目の当たりにしながら、望美は心の中で呟いた。


 ――店長さんすごい。女の人に写真撮られたの、これで今日三人目だ。


 結局、女性は倉敷帆布の手提げバッグを色違いでふたつ購入した。

 

「ありがとうございました」


 丁寧にお見送りをする真幌。

 望美もそれに習って「ありがとうございました」とお辞儀をする。

 

 倉敷美観地区の土産屋『まほろば堂』の、昼間のメイドとして勤務し始めて三日日。ようやく人前で大きな声を出すことにも慣れてきた望美である。


 自分は魂だけの存在。だから客には自分の存在は認知されていない。

 ある意味そんな気楽な状況が、人見知りな彼女のプレッシャーを柔らげていたりもする。だけど――。


 ――あたしってどう考えても、全然お店の役に立ってないよね?


 今日は土曜日で天気もよい。

 なので倉敷美観地区は観光客で賑わっている。朝から客足も途絶えない。


 ひとり目まぐるしく働く店長を尻目に、ただ挨拶とお辞儀をして店頭に立っているだけの自分。

 そんな無力な自分の存在がもどかしくて、やるせない望美だった。


 掃除や商品の陳列も頼まれたが、既に綺麗に整理整頓されていて手を付けるところが見当たらない。

 

 ちらと店長を見る。目と目が合う。

 真幌が客に気付かれないよう、アイコンタクトを返してくれる。


 長いまつげに包まれた、彼の鳶色の瞳の優しい眼差し。茜色の和装メイド服姿をした望美の頬が、紅色に染まる。


「あ、えっと……」


 彼女は慌てて視線を外し、新たな来客を迎えた店頭に向かってお辞儀をした。

 

「い、いらっしゃいませ!」


 *


 閉店後、望美はテーブル席でミルクたっぷりのマンデリンコーヒーをたしなんでいた。対面席の真幌が入れてくれたものだ。


 ぼおんとなる古時計。歴史情緒溢れる古民家に、まったりと流れる優しい時間。望美はこのひと時が大好きだ。


 薄暗い店内に仄かな灯りを照らす雪洞の和風ペンダントライト。その灯りの向こうには、優しい店長の笑顔がある。

 

「望美さん、和装のメイド姿もすっかり板に付いて来ましたね。声もしっかり出るようになったし。いい感じですよ」

「あ、ありがとうございます。でも、ずっとお客様にスルーされるのも……なかなか虚しいものがありますね」


 ぽろりと愚痴をこぼす望美。

 みんなから無視されるのは慣れっ子とはいえ、自分が生霊なのは重々承知しているとはいえ。

 まるで自分が空気か路傍の石ころのように扱われるのは、正直虚しい。

 

 人間は他人を通して自分を認識する。自分ひとりでは自分が誰だかわからない。

 他人が自分というひとりの人間を認識することによって、初めて自分自身が存在していることを認識することができる生き物なのだ。

 

「気にしなくていいですよ。お客様の心にはきっと届いていますから」

「ですかねえ……だといいんですけど……」


「それに、少なくとも僕の耳や目には、望美さんの真面目な働きぶりはしっかりと届いているから」

「店長……」


「僕、昼間はこの店でいつもひとりで仕事してましたから。職場に仲間が居るってのは、気持ちがいいものですね」


 ――職場に……仲間が……。


「でも望美さんにとって、もし接客のお仕事が気持ち的に負担でしたら。その時は別の業務を考えますから。遠慮なく言ってくださいね」


 真幌の優しい気遣いが胸に沁みる。ほろりと涙が溢れそうになる。

 望美は彼に表情を悟られまいと、俯きセミロングの髪で顔を隠した。


 *


 余命二十一日。


 翌日。今日は日曜日で晴天だった。

 その為、客足はほとんど途絶えることはなく、まほろば堂の昼の営業は繁盛していた。


 ふうと目をしばたかせる真幌。

 顔色も悪い。見るからに睡眠が充分に取れていない様子だ。

 

 閉店時間の間際になり、ようやく客足が途絶えた。

 メイドの望美は店長の真幌に話し掛けた。

 

「店長。昨夜ってもしかして、あの後……」

「ん、ああ、夜の業務ですか? ええ、まあ二件ほど……」


 ――夜の『冥土の土産屋』も忙しいのに。あたしの話し相手をしてくれてたんだ……。


 望美は、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。


 *


 その日の深夜。 

 望美は自室で布団に潜っていた。


 築五十年をゆうに超える木造二階建て。若い女性がひとりで暮らすには不似合いな、狭く薄汚れたおんぼろアパートだ。

 日当たりが悪く駅からも遠い。家賃の安さ以外に賃貸物件としての魅力はない。


 くすんだ天井をぼんやりと見つめる。

 所々が雨漏りの染みになっていて小汚い。


 疲れている筈なのだが、なかなか寝付けない彼女。

 とはいえ、余命僅かな状態で気楽に安眠できる方が、おかしな話なのかも知れない。


「店長さん、あんなこと言って気を使ってくれたけど……あたしなんて、ただの給料泥棒だし」


 望美が不甲斐ない自分に対して、唇をとがらせる。


「生霊のあたしなんて雇っても、仕事の役になんて立たないのに。そんなの最初から分かっている筈なのに。なのに店長さん、こんな使えないあたしをバイトで雇ってくれて。職場の仲間だって言ってくれて」


 望美は昔、職場の先輩に「新人に仕事を教えながら業務するのは、普通に仕事をこなすよりしんどいのよ」と嫌味を言われたことがある。


 しかも今回の場合、仕事を覚えさせ未来の人材として育てたからといって。望美は約二十日後には死亡する。この世から消えてしまう存在なのだ。

 店にとっても、今後の利益にはまったくならない筈である。


「なのに、あたしったら。あんな困らせるようなグチ言って」


 じわりと視界が滲む。本当に自分が嫌になる。


「あたしって本当にめんどくさい……」


 望美は思う。どうしてこの店長は、こんなにも人に優しくできるのだろうか。


「あたしが無職のぼっちで寂しいって、めそめそ泣いてたから……あたしの気晴らしになればと気遣って、店に置いてくれているのよね、きっと」


 これからひとり寂しく惨めに死んで行く自分に、同情をしてくれているのだろう。

 あるいは、自分を殺して冥土に行かせようとする死神の片棒を担いでいることに、責任を感じているのかもしれない。


 だけど同情や責任感だけで、他人にここまで親切にできるものなのだろうか。

 それ以上に、どうして――。

 

「あんなにも優しくて思いやりのある人が、どうして夜な夜な、死神のお手伝いなんて悪魔なお仕事をしているんだろう?」


 以前、忍に言われた台詞を思い出す。


【「あの子の髪の色を見れば、ある程度察しは付くとは思うけどさ――」】


 それは真幌の抱える心の奥の闇なのだろうか。誰にも触れられたくない暗い過去。

 何時もは爽やかで穏やかな人柄の真幌ではあるが、きっと深い悩みを抱えている筈。


 それが真幌の秘めたる事情。密かに彼の総白髪が、如実にそうだと物語っているではないか。

 

「食事の用意以外で、あたしにできることって……なんだろう」


 店員として、同じ職場の一員として、役に立ちたい。どうにか店長の力になりたい。

 昼に夜に身を粉にして働く多忙な店長のことを、すこしでも楽にしてあげたい。


 店長の抱える重い宿命。その悩みをすこしは理解して、彼の心の闇をすこしでも和らげてあげたい。

 そのために、今の自分に出来ることはなんだろうか。望美は自問自答した。


 アパートのおんぼろな天井を、寝付けず冴えてしまった目で穴の空くほど見つめる。

 

「先ずは、あたし自身が変わらなくっちゃ」


 *

 

 余命二十日。


 翌日の夕方、店じまいの時間だ。

 望美は表に『本日閉店』の札を掛け、内側に戻り開放していた引き戸をがらりと閉めた。


 一日の業務を終え、いつものテーブル席に座っている真幌。

 そんな彼に、メイドの望美がまかない飯を差し出す。


「店長。今日も一日、お疲れ様でした。どうぞ召し上がってください」


 備前焼のどんぶりの上には、濃厚そうなソースが掛かっている。

 香ばしい揚げたてのカツと甘いソースの香りが入り混じり、真幌の鼻先をくすぐった。

 

「あ、デミカツ丼ですね!」


 地元民から観光客にまで人気の岡山名物『デミカツ丼』。

 その名の通り、とんかつにデミグラスソースをかけた個性的なご当地どんぶりだ。

 真幌のお腹がぐるると鳴る。

 

「あ、ごめんなさい……」


 彼は赤面した。


「今日は休日でお客さんも多かったので、疲れてお腹空いたでしょう。しっかり食べてくださいね、店長」


「ええ、いただきます」


 真幌は箸に手を付けた。不思議なことに生霊といえど、働けばお腹は空くものなのだ。


「おいしい、おいしい」


 何度も言いながら、口にほおばる真幌。

 カツとご飯の間に敷かれた茹でキャベツもポイントだ。

 甘みがソースと相性よく、軟らかさがカツのサクサク感と絶妙な食感を生み出す。


「こうやって食事を作って頂けると、本当に助かります。望美さんって本当に料理上手ですね」


 真幌は丁寧に礼を言った。


「いえ、そんな……」


 本当にこんなことでしか役に立てなくて、いつも申し訳ない望美だった。


 食後。真幌はテーブル席に腰掛けたまま、帳簿に目を通しながら備前焼のカップ片手にコーヒーを啜っている。

 まほろば堂の昼のメイドとして本日の業務を終えた望美は、意を決した表情で真幌に詰め寄った。


「店長、折り入ってお願いがあります」

「はい、冥土の土産がとうとう決まったのですね?」


「あ、いえ、それはまだ……」

「……でしたら?」


 真幌の総白髪の奥の瞳を、じっと見つめながら望美は言った。


「店長、あたしに夜のサービスをさせてください」


 ぶはっと真幌がコーヒーを吐く。「えええっ?」と目を点にして驚いている。


 ――あ、しまった! 言葉が足りなかった! や、やだ、店長さんってば、えっちな誤解しちゃってる……。


 自分のおもわぬ失言に対して、耳たぶまで真っ赤になる望美。

 彼女はコホンと咳払いし、改めて言い直した。


「店長、あたしに夜のサービス残業をさせてください」

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