第二章 めいどをお試ししてみませんか?

第十七話 お客様の前では店長と呼んで下さい

 余命二十四日。


「へー、結構似合うじゃない」


 黒いバイクにまたがった中邑なかむらしのぶは、和装メイド姿の逢沢あいさわ望美のぞみをまじまじと見つめた。


「え、そ、そうですか?」


 望美は照れ笑いを浮かべた。

 

 時刻は午前九時半。まほろば堂の開店三十分前である。

 晴れの国と呼ばれる岡山らしい晴天だ。風が冷たいが、晩秋の朝の日差しがきらきらと眩しい。


 今朝の望美は、店の出入り口前の歩道に立っている。

 服装は茜色をした倉敷帆布の染物着物。その上に白いレースのエプロンとカチューシャをまとっている。


 昨夜、望美はまほろば堂の店員として、店主である蒼月真幌により採用された。

 冥土の土産が決まるまで。あの世へと旅立つ心の整理が付くまで。

 そんな短期間のアルバイトではあるが、みじめで孤独な無職の引き篭もり生活から開放されたのだ。


 それにしても、男ひとりで営んでいる店によくメイド服があったものだなと望美は思う。

 見たところ使い古しのようだ。以前は女性の店員を雇っていたのだろうか。


 メタリックブラックのフルフェイスヘルメットを被ったままの忍。何時もの全身黒ずくめだ。

 持ち上げたシールドの奥で、鋭い目元が笑っている。


「いやいやマジで可愛いよ。こりゃあ、真幌目当ての女性客がヤキモチ焼いちゃうかもね。店の売り上げに支障をきたしたりして」

「そんな……」


「って、まあ大丈夫か。だってアンタの姿は客には見えていないからね」

「……ですよね。あたし幽霊ですもんね」


「顔色の悪さを隠す厚化粧がちょっとアレだけど。まあそれもしゃあないわね、生霊なんだからさ」

「…………」


 がらりと出入り口の引き戸が開く。


「おはよう」 


 店主の真幌がいつもの藍染着流しで現れた。

 一点の曇りもない純白の髪には、すこし寝癖が付いている。


「やあ、忍さん。朝から登場とは珍しいね。完全無欠の夜型人間なのにさ」

「まあね、ウブな可愛いお嬢ちゃんの初出勤姿をひと目見ておこうと思ってね」


 やはり忍の『可愛い』は子供を見るような年上目線だなと望美は思った。

 それにしても忍は普段、昼間は何をしているのだろうと疑問に思う。


 夜の仕事なのだろうか。それとも、やはり彼女の存在は幽霊や神様の類なのだろうか。

 

「望美さん、メイド姿とっても似合ってますよ」


 望美が頬を真っ赤にして照れる。


「あ、いや、その……きょ、今日からよろしくお願いします、店長さん」


 照れ隠しに、慌ててぺこりとお辞儀をする。


「お客様の前では店長と呼んで下さいね。一応、職場ですから。ご覧の通りのちいさな店ですけど」


 真幌は微笑みながら言った。


「それに、もう望美さんは職場の仲間ですから」


 職場の仲間。その言葉に、望美の胸がほろりと綻ぶ。


「は、はい、店長!」


 朝の光に輝く彼の笑顔が、一際眩しいと彼女は思った。


 *


「まほろば堂のメイドさんとして、お客様におもてなしのごあいさつ。それが主な業務内容です。あと、お掃除とか商品の陳列などの作業をして頂けると助かります」


 望美は店頭で真幌から業務内容の説明を受けている。

 時刻は午前十時前。もうすぐ開店だ。


「あの、店長さん……いえ、店長」

「なんですか?」


「えっと。素朴な疑問なんですけど……魂だけの存在のあたしが、掃除とか陳列とかで物を動かしても、効果って現れるものなんでしょうか?」

「ちゃんと現れますよ。思念で動かしているんです」


「思念?」

「ええ、物体が動くさまは現世の人間の目にも映っている筈なのですが。あの子曰く、見ている人の脳が現象として認識しないらしいんです。結果、気が付かぬ間に物が動いているという感じだそうです」


 あの子。例の死神の黒猫少年マホのことだ。


「ですので、ご遠慮なく作業の手を動かしてくださいね」

「は、はい。あ、あとそれと……」


 望美が質問を続ける。


「あたし具体的に、どうやって接客したらいいんですか?」

「お客様に『いらっしゃいませ』『ありがとうございました』ってお辞儀をしながら、心を込めてお声掛けをしてください」


「でも、あたしは生霊で……お客さんに声は届かない筈じゃあ?」

「お客様の目や耳には直接届かなくても、きっとおもてなしの心は届きますよ」


「おもてなしの……心……」


 不安になる望美。

 そんな曖昧な接客で本当に大丈夫なのだろうか。

 こんな調子で、自分はこの店の従業員として役に立てるのだろうか。


 あと、なによりも強烈な不安要素が彼女の頭をもたげる。

 望美は恐々と聞いた。

 

「あの……例の黒猫の……マホくん……は?」

「ああ、あの子は昼間はほとんど屋敷にいませんから」


「あ、そうなんですか」

「本人曰く『外回りの営業ノルマで忙しくてたまんない』そうです」


 自分のように死にたがっている人間を捜し歩いているのだろうかと望美は思った。

 

「でもまあ、あの子のことですから。どこかでサボって遊び歩いているのかもしれませんけど」

「はあ……」


「だから、あの子のことは心配しなくていいですよ。それに昼間の営業中の店内では、僕に憑依してきませんから」

「そうなんですか?」


「ええ。店主の目の色や人格が急に変わって、しかも背が縮んだりしたら。お客様がびっくりしてしまいますからね。その辺は流石にあの子もわきまえていますよ」


 望美は、ほっと胸を撫で下ろす。


「もし万が一、業務中に僕の目の色が変わったら。遠慮なく逃げ出して職場放棄してくださいね」


 真幌はくすりと笑って、すこしおどけた口調で言った。


 *

 

 午前十時半。開店して三十分。

 いつも夜間に『本日閉店』の札の掛かっている引き戸は開放されてある。


 店頭で直立不動の望美。慣れない接客業にカチコチになっている様子だ。


「望美さん、リラックス。今日は平日なんで、客足はそんなに多くはありませんから」

「は、はい」


 改めて店内を見渡す望美。

 最近通い慣れてきた場所ではあるが、夜の店内は薄暗い。


 こうやって明るい時間に訪れて、まじまじと凝視するのは始めてだ。


 まほろば堂は古民家を再生した土産屋である。

 見せ梁の高い吹き抜け天井。白い漆喰と黒い木板の腰壁と古時計。それらのコントラストが歴史情緒を醸し出している。


 和の佇まいにアンティークさがほどよく調和した、お洒落な空間だ。 

 商品棚には『倉敷硝子』をはじめ焼き物などの工芸品や、はりこ、だるま、手まりなどの民芸品が飾られている。


 またレジカウンター近くのガラスケースには『きびだんご』『藤戸饅頭』『むらすずめ』『良寛てまり』など郷土の銘菓を陳列している。

 他には倉敷帆布のバッグやジーンズなどの布製品も目に付く。まさに『繊維のまち倉敷』の風情を感じさせる品揃えだ。


「いろんな商品を取り扱ってるんですね」

「ええ、わりと広く浅くで。地元の名産品というのが共通項です」


 ――浅くっていうわりには薀蓄は凄まじいけど……。


「だた狭い店舗なので、品揃えの数自体は多くはないですけどね」


 そう言われて、店の奥に視線を配る望美。

 奥に進むに連れ、それらの商品に混じりなにやら怪しげな骨董品の姿も目に入る。独特な異彩を放っている。


 最奥部さいおうぶはカフェスペース。

 ひと組しかないテーブル席。いつも望美が真幌に話を聞いてもらっている場所だ。


 その他は、ちいさなカウンター席。椅子は四つしかない。

 カウンターの脇には倉敷の銘酒『燦然さんぜん』の一升瓶や、地元ワイナリーで生産される『マスカットワイン』などのボトルが陳列されてある。


 ――あれって『夜のお客様』用なのかな?

 

 そうこうしている間に、最初の客がぶらりと店内に現れた。

 五十代ぐらいの熟年夫婦らしきふたり組だ。


「いらっしゃいませ」


 真幌が慣れた口調で声を出す。

 それに続けて望美が、見よう見まねでぎこちなくお辞儀をする。


「いいいらっしゃいませ!」

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