第十六話 居場所が欲しいだけなのに
数日後の夜。
「望美さん、あれ以来よく眠れていますか?」
望美は、まほろば堂に来店していた。
店の奥のいつものカフェスペース。その薄暗いテーブル席で、店長の真幌と対面している。
真幌の髪は白色、瞳は鳶色だ。身長も百八十センチを越えている。
今宵は女ライダー忍や例のやんちゃな黒猫の姿はない。ふたりきりの空間だ。
「えっと……明け方に少しだけは」
不思議なことに、生霊でも睡眠を取るものなんだな。
望美はそんな風に自分の行動に対して妙な感心を覚えた。
魂だけの存在になったからといって、壁を抜けれるわけでも、空を飛べるわけでも、ましてや瞬間移動が出来るわけでもない。
お腹も空くし、トイレにも行く。自分の姿が他人に見えていないことを覗けば、普段の生活とまるで変わり無い。
アパートからまほろば堂へは電車で来た。乗り越し料金はどうしようかと悩んだが、結局自動改札機で支払った。彼女は変なところで律儀で生真面目なのだ。
「望美さん、お顔の色がすぐれませんね」
「まあ、あたしってば幽霊ですから……」
望美はすこし口をゆがめ、自虐的な口調で言い返した。
「あ、ごめんなさい。別にそういう意味では……」
真幌が慌てて謝罪する。
「いえ、心配してくれてありがとうございます。それより店長さんこそ、顔色けっこう悪いですよ。昼に夜に、働きすぎで疲れているんじゃないですか?」
「ええ、まあ……正直、スタッフを雇いたいところではあるんですけど。あまりにも夜の業務内容が特殊すぎるので『店員さん募集』と表に貼り出すわけには」
苦笑する真幌。
「まあ、僕のことはともかく――」
真幌がテーブルの上で掌を差し出す。和紙のテーブルクロスの上には、いつもの備前焼きコーヒーカップと小皿が乗ってある。
「とりあえず、甘いものでも召し上がれ」
小皿には黒地に白い模様の入った薄皮の和菓子が。酒饅頭のようであるが、小ぶりに丸めた餡を包む皮が極薄で、饅頭の表面随所で餡の黒色が透けて見える独特の外見だ。
「あ、
岡山市の銘菓・土産菓子として有名な大手饅頭。福島県柏屋の薄皮饅頭、東京都の塩瀬本家の志ほせ饅頭と並び、百年以上の歴史がある『日本三大饅頭』として数えられている。
岡山市民が県外にこの味を伝えたく『自慢の土産品』として持って行くことが多い。なので土産品売り場において吉備団子を買う者は他地区の者、大手饅頭を買う者は地元の者と明確に分かれる傾向にあるのだ。
「いえ、これは
真幌が説明を続ける。
「岡山市の大手饅頭に対し、倉敷市にはほぼ同じ形態をした藤戸饅頭があるんです。包み紙を外せば両者の見分けは付きにくいため、この状態でどちらと呼ぶかで、岡山市の者か倉敷市の者かが分かるんですよ」
なるほどと望美は思う。確かに彼女は岡山市民だ。
「百年以上の歴史がある大手饅頭よりも、密かに更に長い歴史があるとされています。なんでも有名な『藤戸の戦い』における佐々木盛綱の故事を由来としているそうなんですよ」
「藤戸の……戦い?」
「ええ。昔、倉敷市藤戸周辺は小さな島が点在する海だったんです。 八百年ほど前、藤戸の地で源平合戦として知られている源氏と平家の戦いが――」
店長真幌の郷土ネタ薀蓄がひたすら続く。たしかに理屈っぽくて話が長いが、元々勉強は嫌いではなく、知的好奇心もどちらかといえば旺盛な望美だ。
しかも店長の癒し系の低音ボイスでそれを聞かされると、妙に気持ちが落ち着くのだった。
ふむふむと薀蓄を聞きながら、望美が藤戸饅頭をぱくりとほおばる。こしあんの上品な甘みが口の中に広がった。
「おいしーい」
備前焼のカップに入った、店長特製のミルクたっぷり砂糖控えめコーヒーを飲み干す。
「ふーっ」
甘い和菓子と暖かい飲み物、そして店長の郷土話を交えたおもてなし。辛辣な状況下に身を置きながらも、すこしだけほっこり気持ちが落ち着いた望美だった。
今日は平日ではあるが、流石にもう仕事には行っていない。契約終了目前の派遣先。自分の空席がどうなっているか気になるところではあるが、怖くて覗きに行けないのだ。
雇用契約が終了する月末を待たずして、事実上無職になった。心配してくれる家族も居ない。薄暗い安アパートでカーテンを閉め切り、毎日家に引き篭もっている。
孤独で寂しいぼっち生活に、益々拍車の掛かった状態だ。
「望美さん。どうですか、気持ちの整理は付きましたか?」
真幌が優しい声で問いかける。結局『冥土の土産』を何にするのか。どんな願いが叶ったら成仏できそうなのか。それを遠回しに問い質しているのだ。
「…………」
無言の返答をする望美。
「了解です。もうしばらく、ゆっくり考えてくださいね。ただ……」
「ただ?」
「ただ、僕は普通の人間なんで。あの子と違って人の心が読めません。だから、思いを言葉にして頂かないと伝わりませんよ」
「え……あたしの借金のこと知っていたのは、心を読んだんじゃないんですか?」
「あれは、事前に知らされていたんです。顧客名簿にそう書かれていました」
顧客名簿。望美は真幌と初めて出会った時のことを思い出した。
【店舗奥の片隅にはテーブル席。そこには藍染和装に着流し姿の男の姿が。なにやら書類を広げて目を配っている】
「あの子は黒猫の姿では言葉を喋れませんし、文字も書けません。ですので、僕に物事を伝達するときは、僕自身に憑依して書面で残したり、忍さんに
「そうだったんですか」
「ええ、そうやって僕らは意思の疎通を図っています」
真幌が言葉を続ける。
「ともあれ、書面や言伝では何かと事実や真意が
「……思いを……言葉に……」
先日、死神の少年に言われた言葉が脳裏を掠める。
【「うふふ、それでいいのさ。大人なら自分の意見はちゃんと口に出さなきゃね、お・ね・え・さん」】
「なんでもいいんです。思っていることを口に出すと、すこしは心が軽くなりますよ」
真幌が微笑む。
「ご迷惑……じゃないんですか?」
「大丈夫ですよ。お客様の心の声に耳を傾けるのが、僕の仕事ですから」
そう促されて、望美は重い口を開いた。
心に鬱積した想いを吐き出す。
「……ひとりで部屋に居ると……不安なことばっかり考えちゃって」
不安の色に染まる望美の目。真幌はそれを長いまつげの瞳で、じっと見つめている。
「ねえ、店長さん。教えてください。冥土って本当に、まほろばなんですか? あの子が言ってたみたいに、本当に争いや憎しみや汚れのない、清らかな幸せの国なんですか?」
「それは……」
「もし冥土が俗に言う天国なんだって保証があるのなら、あたし安心して成仏できるんですけど」
真幌が困惑の表情で視線を逸らす。
「ごめんなさい。正直、僕にも分からないんです。こればっかりは、一度死んで自分の目で確かめてみないことには……」
「ですよね。店長さんは人間ですものね……わがまま言って困らせたりして、ごめんなさい」
「いえ……こちらこそ、お客様のご期待に添った返答ができなくて……」
「…………」
しばしの沈黙。その後、望美がふっと鼻を鳴らして口を開く。
「冥土の土産なんて……叶えたい欲望なんて、正直思いつかないですよ。願いがなんでも叶うって、急にそんなこと言われても……巨万の富だの絶世の美貌だの世界征服だの。そんな大それたことなんて、小市民のあたしにはとても考えられないし……どうせ死んじゃうんだから、失業や借金のことなんて、もう悩まなくていいし……」
真幌が頷く。
「命を懸けて守りたい、幸せにしてあげたいって願う仲間や友達や恋人や……家族も……あたしにはいないし……」
聞きながら、切なそうな顔をする真幌。
「仮に今から、魔法の力で速攻で素敵な男性と出会って。超スピード入籍して、超スピード出産して。そうやって暖かい家庭を性急に手に入れたところで。一ヵ月後にはお別れなんですよね? そんなの余計に虚しいだけです。それに、仮に暖かい家族に見守られて、あたしが息を引き取ったとして――」
望美が視線を落としながら言葉を続ける。
「そうやって僅かな間でも、あたしのことを愛してくれた旦那さんと子供のことを考えると……彼らはきっと、家族に先立たれて辛いと思うんです。残された家族が傷つくところなんて、あたし想像したくない。それこそ、死んでも死に切れませんよ」
残された架空の家族。そのことを父親と死別した自分の境遇と、どうしても重ねてしまう望美だった。
それまで黙って耳を傾けていた真幌が、ゆっくりと口を開く。
「望美さんって、とても優しい方なんですね」
ふいに誉められて、望美の頬がぽっと紅色に染まる。
「い、いえ、あたしなんて……優柔不断でうじうじしてて泣き虫で、何のとりえも無いダメ人間なんです。お世辞なんてやめてください」
「お世辞じゃないです。今のお話、本当に感動しました。目から鱗でした」
真摯なまなざしで、真幌が望美を見つめる。
「そんな考え方が出来るなんて凄いです。望美さんって、本当に思いやりが合って心が綺麗で、純粋な方なんだなって。素直にそう思いました」
「や、やめてください。あたしなんて、友達も職場の仲間も恋人も家族も居ない、死んでも誰も悲しんでくれる人の居ない、ぼっちでネクラで負け組みの、本当につまらない人間なんです。この世に生きてる価値なんてないんです」
「望美さん、そんな風に自分を
「慰めてくれなくてもいいんです。こんな暗い性格だから、死神に取り憑かれて背中を押されちゃうんでしょうね、きっと」
真幌の顔が、切なそうな表情に変わる。
「ごめんなさい、取り乱したりして。こんなうじうじした、あたしなんかの相談に乗ってもらって。店長さんにも、いっぱいご迷惑かけちゃって」
「望美さん……」
「だけど仕事もなくって、ひとりぼっちで部屋に閉じこもっているのが不安で……」
望美の視界が、じわりと滲む。
何もすることのない、誰にも求められていない自分の存在。
無職の自分が惨めで、苦しくて。誰も居ないアパートの部屋が寂しくて、切なくて。
裏に『契約書』と書かれた和紙のテーブルクロス。
孤独な彼女の、心の闇の奥からあふれ出す悲しみの雫が、その上にぽたぽたと零れ落ちる。
――あたしは……居場所が欲しいだけなのに。
「ひとりぼっちで……」
――ここに居てもいいよって言ってくれる、職場の仲間や友達や……家族が欲しいだけなのに。
「……寂しくて…………」
望美はテーブルにうつ伏せ、声を殺して泣いた。
*
どれぐらいそうしていただろうか。
ずっと、うつ伏せで涙を流していた望美。
彼女の嗚咽が収まった頃、店長の真幌は彼女に優しく声を掛けた。
「望美さん」
「…………はい?」
「望美さんって、めいどにはご興味ありますか?」
「冥土……死後の世界……ですか?」
きょとんと首を傾げる望美。
散々冥土の話をしておいて。今更、何を聞くのだろうかと疑問に思う。
「いえ、そのめいどではありませんよ」
望美の涙の後だらけの呆けた顔を見て、真幌がくすりと微笑む。
「ごらんの通りの零細個人商店なんで、そんなに良い時給は出せないんですけど。ちょうど、人手も欲しかったところでもありますし」
「……は?」
「もしよかったら、冥土の土産が決まるまで。望美さんの気持ちの整理が付くまで――」
真幌はにこりと笑って言った。
「うちの店で、メイドとして働いてみませんか?」
(次章へ)
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