第十五話 黒猫にゃあご

「まったく、このガキんちょが。いっつも悪さばっかりして!」


 忍が左手に抱えていたヘルメットをテーブルにデンと置く。

 頬を抓っていた手を離し、少年を小脇に抱え押さえ付ける。


「なっ、なにすんだよーっ!」


 忍は空いた手で、少年の着流しの裾をまくった。下着はぶかぶかなので、足元に落ちている。

 少年の可愛いお尻が、ぺろりとむき出しになった。


「きゃっ!」


 望美は赤くなった顔を両掌で覆い隠した。


「ほーら、お仕置きよ。悪い子はお尻ペンペンだかんねっ!」

「しのぶちゃーん、もうカンベンしてよぅ」


 涙目で少年が懇願する。


「うっさい、お見舞いしてやるよ。覚悟おしっ!」

「……くっ、こうなったら――」


 少年はマリオネットの糸が切れたように、がくりと首を落とした。

 どうやら気を失った様子だ。


「チッ」


 忍が舌打ちして少年から手を離す。

 白いお尻を出したまま、ぱたりと床にうつ伏せとなる少年。

 すぐさま、彼のぶかぶか着流し姿の背中から蒼白い閃光が放たれた。


「きゃっ、眩しい!」


 掌で目を覆っていた望美は、指の隙間からチラ見した。


「あっ!」


 すると蒼白い光の中で、少年の体が見る見るうちに膨らんで行った。

 同時に、髪の色も次第に黒から白へと変化する。


「あっあっあっあっ!」


 やがて光の消失と共に、元のサイズに戻った真幌が姿が現れた。

 しかし依然、気を失ったままのようだ。


「あっ、店長さん!」


 望美は、うつ伏せで倒れている真幌の傍に駆け寄った。だが。


「店長さん、しっかりしてくださ……きゃっ!」


 真幌の白いお尻は未だ、ぺろりと露出したままだ。しかも今度は成人の姿で。

 望美の顔のやかんが、かああっと沸点を越える。慌てて望美は、ささっと裾を戻した。


「逃がすかあっ!」


 忍が叫ぶ。真幌と望美の傍に詰め寄る――。

 かと思いきや、忍はカウンター席へと向かった。


「にゃあああああご!」


 黒猫の鳴き声だ。

 先程まで気絶していた黒猫は、どうやら意識を回復した模様だ。

 まるで真幌と入れ替わるように――。


「ヒュッ!」


 忍が目にも留まらぬ速さで飛び上がる。

 大開脚で旋回。忍のすらりと長い脚が空を切る。電光石火の後ろ回し蹴りだ。

 黒猫はそれをひらりとかわした。


「にゃっ♪」


 望美の方を向く黒猫。視線が合う。


「あっ!」


 よく見ると少年と同じ瞳の色だ。その蒼い双眸がキラリと輝く。

 黒猫が踵を返す。漆喰の壁を伝って、軽やかに駆け上がる。


「こらー待てー!」


 そのまま黒猫は天井の梁の上に飛び乗り、尻尾を巻いて闇の中へと消えて行った。

 

「チッ。まったくあの子ったら。ああやって、すぐ弱いものいじめをして泣かす。そんなんじゃあ、いくら顔が可愛いくっても女の子にモテないわよっ!」

「あの……これは一体……」


 忍は振り向きざまに言った。


「ごらんの通りよ。真幌はね、化け猫に取り憑かれてるの」


 ◇


「どうぞ、インスタントだけど」


 十数分後。テーブルに腰かけている望美に、忍は備前焼のカップを差し出した。


「たしか、真幌から聞いた話だとミルクたっぷりだったわよね?」

「あ、ありがとうございます」


 望美がぺこりと頭を下げる。

 忍は自分のカップをテーブルに置き、望美の対面に腰掛けた。


 望美が、ちびちびとカップのコーヒーをすする。


 ――にがっ!


 忍はどうやらコーヒーを入れるのは苦手のようだ。

 望美は僅かに顔をしかめながら、ちらと脇の床に視線を落とした。

 真幌は未だ、床にうつ伏せたまま眠っている状態だ。


 ――店長さん……。


 忍がズズっと音を立てブラックコーヒーをすすっている。

 望美は視線を前に戻して、忍に問い掛けた。

 

「……あ、あの。忍さん、一体いつから店に来られて、どこから話を聴いていらしたんですか?」

「そうねえ、『そろそろ本題に入りましょうか』ってとこぐらいかしら」

「なっ。それって、ほとんど全部じゃないですか!」


 望美は赤面した。

 ふっと鼻を鳴らす忍。続けて口を開き、説明する。

 

「まあ、もう凡そ察しは付いてるかとは思うけど。例の生意気なガキんちょの正体は真幌じゃない。あの、あやかしの化け猫よ」

「あの黒猫マホくんが……あやかし……ですか?」


「そう。あいつは、この屋敷に古くから住み着いている座敷わらしでね。職業は死神なのよ」

「座敷わらし……」


 なるほど、それで子供の姿に化けるのかと妙に納得する望美。

 更にあやかしの座敷わらしにも職業があるものなんだなと、変な所でも感心する。


「死者の魂を冥土に送り届けるのが、座敷わらしの死神である黒猫の業務内容。クロネコなんちゃらの宅急便ってやつね」

「はあ……」


 そこ笑っていいところなんだろうかと、望美は微妙に悩む。


「なんでも冥土では魂が慢性的に不足しているらしくて。けっこう営業ノルマがキツいんだってさ」


 どこの世界でも、楽な仕事ってないものなんだなと、また納得する望美。


「それで、現世の人間である『まほろば堂』の店主に代々取り憑いては、俗に言う『死神との契約』の片棒を担がせているってワケなのよ」

「そうだったんですか」


「昼間は自分が経営する普通の土産屋の店主として働き、夜は死神が経営する『冥土の土産屋』の雇われ店長として、ドSな悪徳オーナーにコキ使われてるの。まったく真幌も働きものよね」

 

 ノルマにうるさい意地悪なオーナーと、生真面目で働きものの雇われ店長。さしずめ忍はお局様だろうか。

 普通によくありそうな職場環境だなと、またまた妙に納得する望美だった。

 

「真幌は根が優しくて人がいいから。ついつい死神の言いなりになって、夜のオシゴトも頑張っちゃうのよね」

「人がいい……じゃ、じゃあ店長さんは、真幌さんは人なんですね?」


「そうよ。だから本人も言っていたでしょ。『僕は幽霊ではありません。正真正銘、生身の人間です』って」


 ――そっか、店長さんは人間だったんだ。幽霊でもお化けでも死神でも、ましてや女たらしの結婚詐欺師でもなかったんだ。


 望美は、ほっと胸を撫で下ろした。

 同時に、そんなに働いて過労死してしまわないだろうかと、多忙な店長の身を案じた。


「死神との契約には『顧客契約』と『雇用契約』ってあってね。顧客契約は、さっき散々説明受けたから分かるわよね?」

「はい、それが冥土の土産ですよね?」


「そう。で、真幌は死神と雇用契約の方を結んでいるの。だから生身の人間でありながら幽霊が見えるってわけなのよ」

「なるほど、それで生霊であるあたしや、他の幽霊たちと会話ができるんですね」


「そういうこと。だって、そうじゃないと仕事になんないからね」


 死神といえど、自らは手を下さず現世の人材と雇用契約を結んで仕事をさせる。

 ようするに派遣社員みたいなものかしらと望美は思った。

 

 はあ、と一息付く忍。彼女は遠い視線で続きを語った。


「いっそ店を畳んでしまえば、こんな因縁の呪縛からは解放されるんだろうけどね。だけど、あの子はそれをしない」


 真幌を『あの子』と呼ぶ忍。やはり古くからの親密な関係なのだろうかと望美は勘ぐる。

 

「……それって、店長さんの育ての親であるおじいさまから受け継いだ、大切なお店だからですか?」


 祖父との思い出のいっぱい詰まっている、生まれ育った家。自分の居場所だからだろうか。


「まあ、それももちろんだけど。もっとワケアリな事情があんのよ」

「事情って、なんですか?」


「まあ、話すとメチャ長くなるからね。そこは省略するわ」


 ――そこ、全然省略してほしいとこじゃないんですけど……。


「あの子の髪の色を見れば、ある程度察しは付くとは思うけどさ。真幌には、人に言い難い辛い過去があんのよ。だから悪魔に魂を売り渡してでも、店を続けなくてはならない宿命ってやつがある。とだけ言っておくわ」


「辛い過去……悪魔に……魂を売り渡してでも……宿命?」


 ――もうっ、忍さんの意地悪っ。そんな言い方されると、余計に気になるんですけどっ!


 ようやく様々な謎が解けた。

 しかし、それも束の間。望美の前に新たな謎がふたつ浮上した。


 ひとつは『まほろば堂』の店長、蒼月真幌。

 普通の人間である筈の彼が何故、死神と雇用契約を交わしているのか。そのワケアリの事情とは。


 真幌は総白髪だが、縮んだ少年の姿の時の髪の色は黒かった。

 もしあれが幼い頃の真幌の姿なのだとしたら、白髪は生まれつきではないということになる。

 ならば何故、真幌は若くして、どのタイミングで総白髪になったのだろうか。


 王妃マリーアントワネットが死刑を宣告された時、 ショックのあまり一夜で白髪になったという有名な逸話がある。 また、江戸川乱歩の小説『白髪鬼』にも、一夜にして白髪になった男が登場する。

 真幌の髪の色も、その辛い過去や宿命とやらが絡んでいるのだろうか。


 もうひとつは黒ずくめ女ライダー、中邑忍。

 彼女の存在はある意味、真幌以上に謎である。

 

 忍は何者なのだろうか。色黒だが顔色は良く健康そのもの。だから幽霊ではなさそうである。

 彼女は真幌と同じく霊魂と会話ができる。彼のように死神と雇用契約を交わした人間なのだろうか。


 しかし忍は、死神の少年に、あれだけ強気な態度を取っていた。


 普通、職場で雇用主に対して契約社員が楯突くことなど、どう考えてもありえない。

 それどころか魔術的な報復を一切受けず、逆に少年の方が脅えて尻尾を巻いて逃げ出した。


 ――まさか……まさかの……女神さまとか?


「あ……あの……」

 

 その謎の答えを本人に問い質そうかと望美が口を開いた、矢先――。

 

「で、アンタさ。結局、これからどうすんの?」


 逆に質問される望美。忍に先を越されてしまった。


「……え、どうする……って……」

「別に死神の肩持つワケじゃないけどさ。どうせアンタもうすぐ死んじゃうんだから。とっとと冥土の土産決めちゃって、欲望がっつり叶えて余生を過ごした方が身の為よ」


「……って言われても……」

「もう余命一ヶ月ってタイムリミット切られているんでしょ?」


「それは……そうなんですけど……」


 もじもじうじうじと俯く望美。

 顔を伏せ、セミロングの髪をだらりとテーブルに落とす。


 ――色々なことがありすぎて……気持ちの整理が、全然付かないんですけど……。


 どんなに謎が解けたところで、彼女の優柔不断な性格は変わらないようだ。

 そして、余命一ヶ月の生霊であることも変わらない。

 余程の奇跡が起こらぬ限り、この崖っぷちな状況は覆せない。


「まったく、しゃあない子ね」


 忍が徐にヘルメットをつかんで立ち上がる。


「アタシそろそろ帰るから。これからどうするか、後は彼に相談したら?」

「え?」


「そう、優しい店長さんにね」


 空いた方の手で、床に向かって指を刺す忍。

 望美は床を見た。


 ずっと気絶していた真幌が動き出している。

 頭を抱えながら、ゆっくりと上体を起こす彼。


「うう……」

「て、店長さん!」

「ん……望美……さんに、忍……さん?」


 ようやく真幌が目を覚ました。

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