第十四話 そんなの屁理屈じゃない!

 透明の雪洞の中に映し出された立体映像。

 そこは白い部屋だった。おそらく病院の集中治療室ICUだ。

 

 白いベッドの上には、誰かが横たわっている。

 それは全身を包帯で覆われた人間の姿だった。


 口もとには酸素ボンベ。全身には無数の管が付けられていて、複雑そうな機材に繋がっている。おそらく生命維持関係の機械だろう。


 顔も包帯で覆われている。肌が露出している箇所は殆ど見当たらない。

 鏡で見慣れたセミロングの黒髪だけが、辛うじて確認できる。


「こっ、これが……?」


 望美は愕然とした。これが自分だというのだろうか。

 誰がどう見ても虫の息。意識不明のこん睡状態で絶命寸前の重体患者だ。


「そうだよ、のぞみちゃんの実体さ」

「どうしてこんなことに……ハッ、まさか、あの時!」

「イエス」


 口元を下弦の月のように歪めながら、少年が蒼い瞳をきらりと光らせる。


「のぞみちゃん。あの時、キミは線路に落ちて電車に引かれたんだよ。このボクにポーンと背中を押されてね」

「……な、なんてことを」


「フツーは即死だけどさ。ちょー奇跡的に一命を取り留めたんだよね」


 諤々がくがくと望美の膝が笑っている。

 

「ってまあ、その奇跡ってヤツも、ボクが仕込んだんだけどさ。だって即死だと、肝心の契約交渉ができないからね」


 さあっと全身の血の気が引いて行くのが分かる。

 そもそも霊魂である自分の体に血が流れているものだろうかと、妙な疑問を浮かべる望美だった。

 

「まあでも、一ヵ月後には晴れてめでたくご臨終だけどね♪」

「なにが晴れてめでたくよっ!」


 無邪気な表情で笑う少年。まさに小悪魔だ。

 

「だって……だって店長さん、さっきは『不治のご病気ではありませんし』って言ってたのに……」


 その疑問に少年が答える。

 

「だから病気じゃなくて怪我。不治のご病気じゃなくて不治の怪我なのさ」

「そんなの屁理屈じゃない!」

「だからさ、ボクも嘘は言わないよ。冥土よいとこ、一度はおいで~だよ~う♪」


 少年がおどけて踊り出す。鼻歌交じりにひらひらと手を振る。

 ぶかぶかの着流し和装から白い素肌がちらちら見え隠れしている。


「……そんなの、全然信用できないわよ。どうせ行き先は地獄に決まってるんでしょ?」

「嘘だと思うなら試しに死んでごらんよ。この世に死後の世界が本当に存在するかどうか、身を持って明白になるからさ。自明の理ってやつだよ」


「そ、そう言われればそうね。じゃあ試しに死んでみようかな……って、悪いけどその手には乗らないわよ!」

「ふふっ。まあ、とにかくさあ」


 少年がしたり顔で言葉を続ける。


「この契約の交渉って、フツーはこれから死のうかどうしようか迷ってる人間に対して行うもんなんだけどさ。のぞみちゃんは大人のくせに優柔不断だから、ボクが後押ししてあげたんだ。ねっ、ありがたいでしょ?」

「単なるありがた迷惑なんですけど……」


「神さまボクさまからの、出血大サービスだよ。そう文字通り、血も線路にどばあっと流れちゃったしね。あの後の駅のホームさ、けっこうな大騒ぎだったんだよ」

「…………」


 若い女性が線路へ転落して意識不明の重体。

 望美は疑問に思う。これだけの大事故だ。新聞の地方欄やローカルニュースなどで報道されなかったのだろうかと。


 思えば昨日の金曜日。出勤した職場でも、なんの話題にもなっていなかった。

 契約満了寸前の派遣社員の存在なんて、所詮そんなものなのだろうかと望美は思う。


 それ以上に、母はどうなのだろうか。

 いくら絶縁状態とはいえ、当然親族の耳には連絡が入っている筈。


 誰も心配してお見舞いに来てくれていないのだろうか。

 継父はともかく、唯一の肉親である母親さえも――。

 

「……ねえ店長さん。いえ、死神くん」

「なんだい、のぞみちゃん?」


「願いをひとつだけ叶えてくれるんでしょ? じゃあ、奇跡を起こしてよ。あたしの大怪我、きれいさっぱり元通りに治してよ」

「まあ、そんなのお安い御用だけどさ。でもさ、それでいいの?」


「いいに決まってるでしょ。勝手に殺さないでよ。こんなんじゃ、惨めすぎて死んでも死にきれないわよ」

「願いを叶えるんだから、のぞみちゃんの魂は頂くよ」


「……え?」

「そういう契約だからね。手に入れた魂は当然、冥土に送りつける。つまり怪我は治すけど、今度は別の方法で死んでもらうから」


 望美は顔をしかめた。たしかに少年の仰る通りだ。


「それこそ奇跡の無駄遣いじゃん。そういうの元の木阿弥、本末転倒っていうんだよ、知ってる?」

「ば、馬鹿にしないでよ。し、知ってるわよ……言葉の意味は……」


「ねえ、もっと頭を使おうよ、大人なんだからさ。毎日PC使ってオシゴトしてるインテリさんなんでしょ?」

「…………」


「高校は進学校で成績もそこそこ良かったんでしょ? 本当は大学に行きたかったんでしょ?」


 駅のホームで後ろに居た、母校の後輩である女子高生たちを思い出す望美。


【聞き耳を立てる望美。大学受験の話題だ。――一生のことだし、か。いいなぁ、あたしも大学行きたかったな】


「だけど、あの家族のせいで夢をあきらめたんでしょ? 邪魔者あつかいされて。やってもないことでゲスな濡れ衣を着せられて。おまけに借金の連帯保証人にまでさせられてさ。ほんとクズな身内だよね。そりゃあ逃げ出したくなるのも無理ないよ」


 ふいに黒歴史を突かれて、望美の胸がどきりとする。

 真幌に嫌われたくなくて黙っていた秘密。しかし完全に、心の中を読まれていた模様だ。


「さっき真幌から『あるいは、誰かを殺したいとか』って尋ねられて、一瞬考えたでしょ?」

「それは……」


 子供の姿に化けてしまう前の真幌の顔が、望美の脳裏をよぎる。


【顔が強張る望美。誰かを殺したい。唐突にそう尋ねられ、一瞬『あの人』の顔を思い描いたが――】


「……もうやだ……やめてよ……」


 望美の視界がじわりと滲む。


「……だめ、そんなこと……人として考えちゃいけないのに……お願いだから……これ以上……意地悪しないで……」


 急に優しい声を出す少年。


「無理しなくていいんだよ。ボクは、なんでもお見通しなんだからさ」


 猫なで声だ。円らな蒼い瞳で、望美をまっすぐに見つめる。


「なんならボクが冥土の土産に、そいつらまとめてぶっ殺してあげようか?」


 悪魔の囁き。望美の心が脆くも崩れ堕ちそうになる。


「やめて……お願いだから……もう許して…………」


 彼女の頬につらりと雫が伝う。刹那――。


「そこまでよ」


 望美の背後から誰かの声が聴こえた。

 薄暗い店内に響き渡るハスキーボイス。


 涙目の望美が振り返る。

 

「……えっ?」


 望美と少年の傍に、黒い影がすばやく忍び寄る。疾風怒涛。まるで忍者だ。

 少年が「ん?」と脇を見る。

 その影は徐に、少年の頬をむぎゅっと摘んだ。

 

「イテテテテっ!」


 頬を根限りひねり上げる黒い影。あっけに取られる望美。


「ちょちょちょちょ、やめてよ、いたったったっ、痛い、だから痛いって!」


 頬をつねられ悶絶する少年。望美は黒い影をじっと見た。


「こらっ、このやんちゃ坊主が!」


 どうやら女性のようだ。全身ブラックのライダースジャケットにレザーパンツ。背も高い。身長は一七〇センチぐらいだろうか。


「いいかげんにおしっ! おいたが過ぎるわよ。か弱いウブな女の子を苛めてんじゃないわよ!」

「分かった、わーがった離してよ。イッテテテテテ!」


 黒髪のストレートヘアー。前髪ぱっつんで腰まである。まるで日本人形だ。

 年齢はアラサーぐらいだろうか。かなりの美人だが、鋭い目付きで妙に凄みがある。


「イデデデデデデッ!」

「あ、あなたは!」


 望美が驚いて声を上げる。その見覚えのある女は――。


「そう、アタシよ」


 黒ずくめの女ライダー、中邑忍だった。

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