第十話 いえ、冗談などではありません
「ええええええっ!」
真幌が述べた驚愕の発言。そのあまりの突拍子なさに、内気な望美が大声を張り上げた。その声が仄暗い店内に響き渡る。
「あ、ああ、あたしが生霊ですって? 店長さんっ、冗談にも程がありますよ!」
「いえ、冗談などではありません。その証拠に――」
「その証拠に?」
「望美さん。ここ数日間で、どなたかと会話なされました?」
「え? えっと……」
言われるがままに指折り数える望美。
「えっと……駅のホームの蒼い瞳の少年、黒ずくめ女ライダー忍さん、そして目の前の藍染着流し店長さん……」
「他には?」
「えーっと……倉敷駅の車掌さんと……あたしをナンパしてきた不良のふたり組……」
「それって、すべてこの店の周辺で、ですよね」
「ええ、ホームの少年以外は……」
「車掌さんと不良たち。彼らって、やたらと顔色が悪くなかったですか?」
【それにしても、やたらと顔色の悪い車掌である】
【そこにはタチの悪そうなふたり組の男の姿が~ついでに顔色もドス黒く不健康そうだ】
「そう言われてみれば……」
「実は彼らは幽霊なんです」
「ええっ? まじですか?」
「はい、まじです。彼らは、この倉敷駅周辺に住み着いている地縛霊と浮遊霊です」
「そ、そんな馬鹿なことが……信じられない……」
「本当なんです。この辺りは観光地で一見品がよさげだけど、夜は案外タチの悪い
どこかで聞いたような台詞だ。この店のスタッフである女ライダー忍との会話を望美は回想した。
「……はっ、そういえば。あたしと入れ違いで店から出て来た男の人も?」
「あの方は店の先客様で、望美さんと同じく生霊のお客様なんです。こちらの提示する条件と折り合わず、契約不成立となりましたが」
「契約……不成立?」
テーブルの上の契約書に望美はちらと目を配った。
「はい。あと女性の方に対して申し上げ難いのですが。望美さんご自身も、随分と顔色がすぐれないのはお気付きですか?」
「ええ、まあ……一応、鏡は毎日見てますし……」
望美は恐々と言った。
「……ようするに店長さんは、こう仰りたいんですよね? 地縛霊に浮遊霊に生霊。みんな幽霊だから、顔色が死人のようにすぐれない」
真幌がこくりと頷き、続きを説明する。
「ともあれ、話を戻しますと。ここ数日で望美さんと接触し、会話をしたのは幽霊ばかり。逆に言えば、普通の人間には現在ここに居る望美さんの姿は目に映っていないし、声も耳には届いていないのです」
「はあ……」
「その証拠に、望美さん。実際ここ数日は、職場の方やご近所さんと、まったく会話をしていないでしょう?」
「うっ……まあ、確かに……」
「その事実こそが、今ここに居る望美さんが現在、魂だけの存在であるという決定的な証拠なんです」
言われれば確かに思い当たる節が多々とある。望美は過去の不可解な現象を続けざまに回想した。
【涙目で精一杯睨み付けながら、小声で抗議をする望美。~しかし、ある種異様なまでに周囲はそ知らぬ顔で無反応だ】
【「お先に失礼します……」誰も返事をしてくれない。朝もそうだ】
【ピンクの事務服を着た連中に、勝手にどんどん横入りされてしまう】
【修学旅行客らしきJKの集団がやって来た。望美の存在が目に入らないのか、ずかずかと遠慮せずに脇を陣取る】
――あれはガン無視されてたんじゃなくて、実際にあたしの姿が見えてなかったのか……。
「あと望美さん、最近足取りが軽くなかったですか?」
「え、まあ……」
「それも今の望美さんが、魂だけの存在である証拠なんですよ」
「……幽霊だから、地に足が付いていないってことですか?」
「ご明察です」
――あたしてっきり、イケメン店長さんとの出会いに浮かれちゃってただけと思ってたんだけど……。
「望美さん。試しに週明けにでも顔見知りの方々に、こちらから愛想よく積極的に話し掛けてみては如何でしょう?」
「こちらから愛想よく積極的に……ですか?」
周囲の人々に愛想よく積極的に話し掛ける。それはぼっちの彼女にとって、あまりにもハードルの高過ぎる苦行だ。
「はい。それで冷たく無視されれば、自ずと事実を証明できますよ」
「はあ……」
――冷たく
「はあーっ……」
望美は、臓腑の底から深いため息を付いた。
――あたし、いつもぼっちで。職場でも、ご近所でも、誰とも会話しないから……自分の姿が誰の目にも映っていないって、全然気付かなかったんだ。それって我ながら、めちゃ恥ずかしい話だよね……。
ぶるぶると顔を大きく振る望美。ぴしゃぴしゃと音を立てて、掌で両頬を張る。
――しっかりしなさい望美。クールダウンよ。こうなったら、店長さんにすべてを説明してもらって、冷静に対処しなくちゃ!
「あの……店長さん? 今までのお話。あまりにも突拍子なさ過ぎて、とても信じ難い話ですけど……仮に百歩譲って、今のあたしが生霊つまり魂だけの存在なのだとしたら、あたしの肉体は別の場所で存在しているってことなんですか」
「はい」
「それって、ようするに幽体離脱をしているってことになるんですか?」
「概ねその通りですが、正確にはドッペルゲンガー現象です」
「ドッペルゲンガー?」
「いわゆる幽体離脱の一種ですが、幽体離脱は自分が離脱している自覚があるのに対して、ドッペルゲンガーは自分が生霊として離脱している自覚が無いということが、一番の違いなんです」
「なるほど。で、その抜け殻になっている実体が、余命一ヶ月ってわけなんですね?」
「ええ」
「それって一体、何時から? あたしって何時からドッペルゲンガーなんですか?」
「望美さん、記憶にタイムラグがあったりしませんか? 最近の記憶が、丸一日程抜け落ちていたりしませんか?」
【――あれ、今日って金曜日だっけ? 確か昨日は水曜日だった筈だけど……】
「確かに……」
「そこで離脱が起こったんです」
ということは水曜日。駅のホームで少年と出会い、忍に連れられてまほろば堂に初めて訪れた日だ。
「そこで、あたしに一体何があったんですか? あたしの身体は今どこにあるんですか?」
「それは……」
言い辛いのだろうか。言葉を濁す店長。
「意地悪しないで教えてくださいよ。それに店長さんの正体は何者なんですか? まほろば堂の『夜のお仕事』って、『因果な夜の家業』って一体なんなんですか?」
矢継ぎ早に問い掛ける望美。とにかく分からない事だらけだ。浴びせかけるように質問攻めをする。
「生霊である筈のあたしの姿が見えて、こうやって会話をしているってことは。忍さんや店長さんも幽霊なんですよね?」
「違います。僕は幽霊ではありません。正真正銘、生身の人間です」
「じゃあ、どうして幽霊のあたしが見えるんですか? どうしてお化けと会話が出来るんですか?」
「それは……つまり――ウッ……」
真幌が急に苦しがり出した。
「……て、店長さん?」
着流しの襟元からはだけた胸を押さえる。
額には脂汗、苦悶の表情を浮かべている。
「て、店長さん。一体どうしたんですか!」
真幌はパタリとテーブルに伏せた。
どうやら悶絶し、気を失った模様だ。
「大丈夫ですか、店長さん!」
「にゃああああおう」
次に語尾を延ばして黒猫が苦しそうな鳴き声を上げた。刹那、黒猫もパタリと倒れる。
「えっ、マホくんまでどうしたのよ?」
黒猫マホも気を失ったみたいだ。入れ替わるように、今度は真幌がテーブルに伏せていた顔をゆっくりともたげる。
「――クックックックッ」
悪魔のように不敵な笑みを浮かべながら。
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