第九話 店長さんのこと、信じてたのに……
「ええええっ!」
望美はテーブルをバンと激しく叩いた。
「どうして、あたしが一ヶ月後に死亡するんですか。あ、あたしどこか悪い病気なんですか?」
「望美さん、落ち着いてください」
唐突に余命一ヶ月と宣告されて、これが落ち着いていられるわけが無い。望美は慌てふためきながら問い質した。
「実は末期がんとかの病気なんですか? ていうか店長さんってお医者さんなんですか? どうしてそんなことが分かるんですか?」
「いえ、望美さんは不治のご病気ではありませんし、自分も医師ではありません。ただの土産屋の店主です」
「じゃあ、余命一ヶ月ってどういうことですか?」
「それは――いわゆる神の定めた運命によって、確定されつつある事実なのです」
言葉をぼかす真幌。怪しい、怪しいにも程がある。神の定めた運命。完全にインチキ占い師か怪しげなセミナーや宗教の代表などの、いわゆるペテン師の常套句だと望美は感じだ。
――ひどい。許せない、もう許せない!
望美の心の底で、店長に対する失望と怒りが沸々と湧き上がり、とぐろを巻いて混ざり合う。
「もうっ、いいかげんにしてください店長さんっ!」
望美は遂に激昂した。沸騰したやかんのように顔が真っ赤だ。
「や、やっぱり店長さんって悪徳詐欺師だったんですね!」
「僕が……詐欺師……ですか?」
「だって……じゃってそうじゃない。そんな根拠のないデタラメの予言で脅して災厄から逃れるには幸福の水だの壺だのネックレスだの掛け軸などを買えだの言って闇金の法外な高額ローンを組ませて返済無理って泣き付いたらグヘヘ体で払ってもらおうかって脅して抵抗するとうるせえアマってほっぺビシバシしてあたしを傷物にしてえっちなお店に売り飛ばしてボロ雑巾のようになるまで不眠不休で働かせた挙句にクスリ漬けにして骨の髄までむしゃぶりつくして最期は闇医者の手で体中をバラバラにさせて臓器を闇ルートで海外に売り飛ばして残りカスをドラム缶に入れてコンクリート詰めにして瀬戸内海の底へ沈めようって魂胆なんでしょぉ?」
堰を切ったようにまくし立てる望美。ぜいぜいと息を切らす。
「望美さん……」
――あたしは馬鹿だ。
「……あたし、信じてたのに」
――あたしは馬鹿だ、本当に大馬鹿者だ。甘いお菓子やおいしい食べ物で誘惑されて、身の上話を親身になって聞いてもらって。すっかり気を許して騙されるところだった。
ふいに望美の瞳から感情の雫が溢れ出す。
「店長さんのこと、信じてたのに……」
生暖かい雫がつらりと頬に伝う。
「あたし、信じてたのに。出会ってまだ間もないけれど、店長さんのこと本当に親切で優しくて素敵な人だなあって、信頼し始めてたのに……」
ひっくひっくと声を押し殺して、彼女は泣きじゃくった。それまで真幌は彼女の言い分に対して黙って耳を傾けていた。
望美が一呼吸付いた後、そんな真幌がようやく口を挟んだ。
「あの、望美さん……もしかしてなんですけど……」
「ひっく……ひっく……」
「あの……もしかして、気が付いていらっしゃらないんですか?」
望美は涙を腕でぬぐい、ぐしゃぐしゃの顔で答えた。
「……え? 何がですか?」
今朝、気合を入れて厚化粧を施した筈の、ばっちりメイクが台無しだ。
「ですから、望美さんの現状。つまり、あなたが今置かれている状況に、です」
真幌のまわりくどい言い方に苛立ちを覚える。望美は不貞腐れた顔で彼を睨んだ。
「だから目の前の詐欺師さんに騙されて脅迫されているのが、あたしの現状なんじゃないんですか?」
「僕が望美さんを脅迫……ですか?」
椅子に座ったまま腰を屈める真幌。伏せた顔には心外そうな表情を浮かべている。
「望美さん……もしかして、もしかしてですけど。うちのスタッフから伺っていないのですか?」
「だから、なにをですか」
「ですから、望美さんがこの『まほろば堂』に『夜のお客様』として招かれた理由について、うちのスタッフから事前に説明を受けていないのですか?」
「だから、なんの説明ですか? 忍さんからは、まったく何も聞いていないですけど?」
「……そうか、やっぱり」
真幌は「はあーっ」と深いため息を付いた。額に手をやり、首を傾げる。
「そうか、さっきからどうも話が噛み合わないと思ったら。なんだ、そういうことか……」
――だから、なにがそういうことなのよ?
「まったく、あいつったら……一番肝心なことを、当のお客様ご本人に伝えてないとは。ほんと気まぐれで何時も困るよ」
――気まぐれなスタッフ? それって、あたしをまほろば堂に連れて来た忍さんのことよね?
「にゃあお」
ぼやく真幌の側面から、不意に猫の鳴き声が聴こえた。
まほろば堂に住み着いている黒猫だ。カウンター席に飾られた白いハナミズキを活けた倉敷硝子の花瓶。その横で優雅に寝そべっている。
「ふしゃあああ」
のん気な声であくびをする黒猫。何時の間に陣取っていたのだろうか。
「まったく、やれやれだよ……」
真幌が気を取り直して、ぶつぶつと独り言を続ける。
「なるほど。望美さんご自身は『一番肝心なこと』を認識していない。それなら『自分が今、置かれている状況』を理解できなくて当然だ。だから『まほろば堂に連れてこられた理由』も、ましてや『この店の秘めたる夜の業務内容』も分からない。結果、困惑して取り乱し疑心暗鬼になるのも無理もない」
――店長さんっ、話が回りくどくて理屈っぽいにも程があるわよ。いつも忍さんに怒られているんでしょう? そんなんじゃ、いくら色男でも女の子にモテませんよっ! 物事は簡潔に結論を先に述べてよ。ビジネスマンの常識でしょ?
しびれを切らした望美は真幌に問い詰めた。
「だから……一番肝心なことって、あたしが今、置かれている状況って一体なんなんですか?」
「分かりました、今から詳しくご説明します。よろしいですか?」
望美は背筋を伸ばした。ごくりと生唾を飲み込む。
「にゃあご」
花瓶の横の黒猫が、またひと鳴きした。
黒くて長い尻尾をにゅるりとくねらせる。
「望美さん。どうやら、本当に気が付いていらっしゃらないようですね。今、ここにいるあなたが冥界と現世の狭間で揺らめく――」
真幌は悲哀を込めた表情で言った。
「魂だけの存在。生死の境を彷徨う生霊であるということに」
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