第八話 契約書

「ええっ!」


 和紙のペーパークロス。その裏は怪しげな『契約書』だった。

 最下部には署名欄。その上には、ぎっしりと黒い文字が刻まれている。


 真幌が藍染着流しの袖から何やら取り出す。

 万年筆だ。重厚に黒光りするそれを、彼は契約書の脇に添えた。


「望美さん。では、ご署名を――」


 動転した望美は、勢いよく席を立った。


「なっ!」


 ――なによ契約書って! じょ、冗談じゃないわよ!


 望美はペーパークロスを最初に見たときの印象を回想した。


【「雪洞もペーパークロスも和紙なんですね」ちらとクロスを見る望美。薄っすらと何か黒いものが浮かんでいる。裏に文字が書かれているみたいだ。美観地区の観光案内文でも綴られているのだろうか】


「か、観光案内文じゃなかったんだ……」


 危険だ。危険すぎる。

 何の契約書かはよく分からないが、このままでは悪い男に騙されて身包み丸ごと剥がされてしまう。


 望美は激しく危機感を覚えた。

 これは流石に何時もの調子で、おどおどと尻込みしている場合ではない。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 あわてふためく望美。意を決し、身振り手振りを交えながら声を張り上げる。


「あ、あ、あたし超貧乏なんで。お金ないんで。だから幸福の水も壺もお札もネックレスも買えませんよ!」

「存じております。お金の類は一切頂きませんので。大丈夫ですよ、ご心配なく」


「て、て、ていうか。怪しげな宗教に入れとか、えっちなお店で働けとか、そういうのも無理ですからっ!」

「もちろん、そんな無体なことは誰も望んでおりません」


「でしたら店長さんは、あたしに一体なにを契約しろって仰るんですか?」


 店長の真幌が説明する。


「ここに来店される『夜のお客様』には、様々なケースがあるのですが。望美さんの場合は、契約されないと大変な損失になってしまいますよ」

「…………?」


「なぜなら、望美さんの場合は既に確定しているからです。この状況は、ご自分でもご承知の筈ですよね?」


 ――だから、だからぁ。主語は? 何が大損するの? 何が既に確定しているの? この状況って何? 何がご承知の筈なの? 意味不明にも程があるんですけどっ!


「ともあれ、望美さんに残された時間は約一ヶ月。正確な日時は、二十八日後の午後十時三十七分五十八秒となっております」


 あくまで言葉をぼかす真幌。


「ですので、それまでに。望美さんのご意向をお伝えくださいませ」

「だから一体何が確定しているんですか? 正確な日時って?」


「ですから――」


 掴めない表情で、真幌は静かに言った。


「余命一ヶ月。望美さんの死亡が確定する日時です」

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