第七話 幸せな結婚生活、でしたよね?
「えっ?」
警戒する望美を前に、真幌にっこりと笑って語り掛ける。
「望美さん、あなたの夢は?」
「え?」
「はい、夢。あなたの叶えたい望みです」
「夢……ですか?」
求人サイトの見出し文句が望美の脳裏を掠める。
【『あなたの望みを叶えます~フロアレディ募集中~』】
例のキャバクラの謳い文句だ。俯き軽く首を振る望美。ゆっくりと口を開く。
「――居場所が欲しいです」
「居場所、ですか?」
「ええ、暖かい家族と暮らす自分の居場所。将来は、平凡でいいから結婚して家庭を築きたいです」
「なるほど、堅実な夢ですね。素敵です」
素敵といわれて照れる望美。
――なんかお見合いみたい。って……だめ、なにのん気に構えてるのよ。相手は詐欺師かもしれないのよ。だから気を許してちゃいけないのに……。
自嘲しながら、望美は言葉を続けた。
「当面の夢というか望みは……お仕事が欲しいです。それも高収入の」
「高収入のお仕事、ですか」
「ええ。実は……店長さんには今まで黙っていましたけど……あたし実は……」
実は借金があるんです。だから貧乏なんで高価なものなんて買えませんよ。押し売りでしたら他を当って下さい。
勇気を出して言葉を続け、望美は予防線を張ろうとした。ところが――。
「存じ上げております」
「え?」
「望美さん、借金を抱えておられるのですよね?」
――え、なんで借金のこと知ってるの? あたし、うっかり喋っちゃったかしら……。
真幌が両肘をテーブルに付け、掌を組む。無表情の真幌。まるで掴めない。
「平凡で幸せな家庭を築くこと。あるいは借金返済ですね。むろん、どちらを選ばれても問題ございません。ですが――」
「ですが?」
「国の経済を動かすほどの巨万の富を得たいとか。女性でしたら、世界中の男性がひれ伏す絶対的な美貌が欲しいとか」
――な、なによそれ?
「あるいは、誰かを殺したいとか」
望美の顔が強張る。誰かを殺したい。唐突にそう尋ねられ、一瞬『あの人』の顔を思い描いたが――。
――だめ、そんなこと……人として考えちゃいけない。だめ……。
心の闇から沸き起こる邪念。それを脳裏からかき消そうと、望美はぶんぶんと大きく首を振った。
「お客様に『夢はなにか?』とお尋ねるすると、そういった大きな欲望を満たしたいと仰られる方が大半なのですが。望美さんの場合、随分と謙虚でいらっしゃるもので」
「は、はあ……」
「その気になれば世界征服だって、人類を滅ぼす事だって可能なんですよ?」
「そ、そんな大それたことは……別に……」
返答に困る望美を見て、真幌は口元を緩めた。
「だって夢ですから。妄想するのは個人の自由じゃないですか?」
店長真幌のアルカイックスマイルに、表情をすこし和らげる望美。
「……確かに、そ、そうですよね」
――残念だけど……この店長さん、やっぱり詐欺師の類で間違いなさそう。でも……。
話の具体的な内容が、未だ見えてこない。やきもきする望美。警戒心を緩めない。
「望美さん?」
「は、はい?」
「いかが致しましょう、望美さんのご希望。もうすこし熟考されてから、再度ご検討致しますか?」
「そう言われても……」
困惑する望美。備前焼のカップと皿の置かれた和紙のペーパークロス。そこに彼女は掌を添えた。
望美のちいさな手の甲に、真幌はそっと自らの掌を乗せる。
――えっ?
ひんやり冷たい真幌の掌。望美は動転した。胸がどきりと高鳴る。
真幌の鳶色の瞳に自分が移る。神秘的な眼差し。じっと見つめられて、吸い込まれそうになる。
「それとも、当初の願いに帰結しますか?」
包み込むような低音ボイスで真幌が囁く。
「幸せな結婚生活、でしたよね?」
――もしかして、これまでの意味不明な話は『だから僕が君を幸せにするよ』って回りくどい口説き文句?
右往左往する望美の思考。
――そんなオチなの? 店長さんって案外チャラ男? ていうか結婚詐欺師?
自分は騙されているのだろうか、それとも口説かれているのだろうかと狼狽する。どちらにせよ、弄ばれていることに間違いはなさそうだ。
「え、あ、その、あの……」
思考がまるで定まらない望美。顔色も赤くなったり青くなったり、くるくると目まぐるしく変化する。
挙動不審な彼女に対して、真幌は言葉を続けた。
「このような不測の事態に陥ってしまって、精神的に不安定になられるのは当然です。胸中お察し致します、ですが――」
「ですが?」
「望美さん、あなたの望みは必ず叶えます。お約束します。ですので、ご安心くださいね」
「はあ……」
「望美さんの望み。無理に即答しなくても大丈夫ですよ。時間はもう少しありますので、しばらく考えてみてくださいね」
「時間はもう少し……あるって?」
「そうですね、凡そ一ヶ月」
「え?」
「つきましては、取り急ぎご署名を先に頂きたく存じます」
営業口調の真幌。彼は自分の掌で添えた望美の手を、彼女の胸元へ押し返した。
「え?」
次にカップと皿を脇に退かす。どうやら真幌が望美の手に触れたは、その手を退かして欲しかったからのようだ。
残されたテーブル上の和紙のクロス。それを真幌は徐に裏返した。
「えっ!」
そこには黒い文字で――。
『契約書』
と記されていた。
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