第六話 因果な夜の家業です

 古時計がぼおんぼおんと鐘を鳴らす。


 時刻は午後九時だ。まほろば堂に望美が訪れて二時間ばかりになる。

 

 店舗奥の一組しかないテーブル席。対面には、雪洞の和風ペンダントライトを挟んで真幌が座っている。


 望美は店主の真幌が入れたミルクたっぷりのコーヒーを啜っていた。


「このコーヒー、本当においしいですね。豆は何を使っているんですか?」


「そうおっしゃって頂けて嬉しいです。前回同様、マンデリンを使用しています」


 マンデリンは世界屈指のコーヒー産出国であるインドネシアの、高級アラビカ種豆の銘柄だ。


 酸味は控えめで、深いコクとほろ苦さのバランスが絶妙。個性的なテイストと独特な後味が楽しめるエキゾチックな味わいが女性に人気なのである。


「インドネシアスマトラ島のマンデリン族がコーヒーを栽培し始めたことが、マンデリンコーヒーの呼び名の由来とされているんですよ」

「へえ」


「その豊かな香味は『スマトラ式』という精製方法によって引き出されます。酸味が少なく、苦味成分が強いことからミルクと愛称がよく、カフェオレなどにも向いているんです」


 ――ミルク多めって言ったから、この豆をチョイスしてくれてるんだ。


 機転の利いた店長のおもてなし。心身共に温まる望美だった。


「こちらも召し上がれ」


 飲み終わった頃合を見て、店長がテーブル上の備前焼の器に掌を差し出す。


「あっ、これ陸乃りくの宝珠ほうじゅ! 一度食べてみたかったんです!」


 思わず上ずる望美の声。店長がにこりと笑う。


 果実の女王と呼ばれる高級マスカット『マスカット・オブ・アレキサンドリア』。


 陸乃宝珠の主役は、翡翠のようにあざやかなこの果実だ。その九割が岡山で生産されている。それを贅沢にも丸ごとひとつぶ使った、地元の銘菓だ。


「甘ーい、おいしーい!」

 

 口に入れた時にひろがる気品溢れる風味と、上品な甘さ。望美は零れ落ちそうになる頬に両掌を当てた。


「マスカット・オブ・アレキサンドリアはエジプト原産で、クレオパトラが好んだことから『果実の女王』と呼ばれているんですよ」

「へえ、なるほど。そうなんですね」


 ミルクたっぷり甘さ控えめのコーヒー。そして地元名産の和菓子で優しくもてなされ、ほっこりとする。


 夢のようなひと時だ。癒しの時間。日頃の喧騒を忘れさせてくれる。


 今日も沢山の身の上話を聞いてもらった。かねてから望美は人との会話やふれあいに心底、渇望していた。だから、なによりも彼女の心を和ませたのだ。


 ――もしかしたら前回よりも、色々としゃべり過ぎちゃったかも……。

 

 自嘲気味に苦笑する望美。


 ――いくら相手が優しくて年上のイケメンだからって。ちょっと安易に気を許しすぎかも……気をつけなくっちゃ。


 ふと我に返り、彼女はある疑問を浮かべた。

 

 ――そもそも、どうして店長さんは……あたしをこんなにも親切に、もてなしてくれるんだろう?

 

 望美は午前中の真幌の台詞を思い浮かべた。

 

『望美さんは、夜の大事なお客様ですから』


 勘繰る望美。

 

 ――もしかして、あのすこしキザな台詞は、プライベートの口説き文句?


 つまりは、自分に少しは気があるのだろうかと。


 対面に座る真幌。その端正な顔を望美はちらと見た。白い髪と肌。整った顔立ち。憂いを帯びた、まつげの長い優しい瞳。


 彼女はすぐに目を逸らした。前言撤回。思わず赤面する。


 ――やだ、あたしったら……なに自惚れてるのよ。


 望美は思う。そもそも、これだけのイケメン。しかも手練の客商売だ。人当たりが良く、性格も穏やかで優しい。


 自分だけではなく、きっと誰にでも優しいのだろう。恋人だって居ないわけが無い。


 彼は自分で「来年で三十になります」って言っていた。つまりはアラサーだ。


 聞かれていないから言わないだけで、もしかしたら既婚者で子供だっているかもしれない。相手は自営業で客商売のアラサーイケメン。年齢や容姿的にも、そう考える方が妥当だ。


 例の黒ずくめ女ライダー、中邑忍の颯爽とした姿が脳裏を掠める。


 ――あのおねえさん、かっこよかったな。忍さん、あの人が店長さんの恋人?


「望美さん顔が赤いですよ。暖房効きすぎですかね?」

「あ、いえ、大丈夫です」

 

 男の人なんて信用できない。へたに心を許して本気になってしまえば、きっと傷付くのは自分に決まっている。


 人に裏切られてばかりの人生。猜疑心を抱きがちな癖が望美にはある。彼女の中で、もやもやとした暗雲が立ち込め始めた。


 ――ていうか……そもそも、話が出来すぎているかも。

 

 美形のイケメンに甘い言葉でもてなされて、甘いお菓子やコーヒーで魅了されてきたけれど。冷静に考えてみれば、この展開は怪しさ一二〇パーセントだ。危険フラグが立ちまくっている。


 望美はこれまでの不可解な謎を脳内で整理してみた。


 駅のホームで謎の少年と、夜の美観地区で謎の女性と出会った。そして、ここ『まほろば堂』に連れて来られ、謎の青年が待っていた。


 先ほど図書館で読んだミステリー小説の影響だろうか。望美は自分なりに一連の流れを考察し、この状況を考察してみた。


 その内容はこうだ。


 先ず、駅のホームで出会った生意気な蒼い瞳の少年。


 少年は夜の仕事を探している望美に目を付け、ターゲットとした。どさくさ紛れに背中を押すことで、望美に催眠術を掛けた。


 一旦、望美を電車の中で眠らせ、目覚めた後は倉敷駅から美観地区に向かうよう暗示を掛けた。

 

 次に、黒ずくめ女ライダー中邑忍。


 美観地区でタチの悪い連中から颯爽と助けてくれた彼女。しかしあれは茶番で、ふたりのチンピラも実はグル。


 望美と偶然の出会いを装い、ターゲットをアジトであるこの店まで誘導した。

 

 最後に、白髪に藍染着流し店長の蒼月真幌。


 優しく親身になってもてなし、望美の身の上話や悩みごとを洗いざらい聞き出した。


 ――つまりは、みんな……グル?


 そうやって巧みに警戒心を解き、隙を見てターゲットの望美を陥れようとしているのかもしれない。つまりイケメン店長の正体は――。

 

 ――詐欺師?


 観光地の土産屋である筈の、この店の夜の業務。つまり裏の実態はおそらく――。


 ――悪徳商法の密売組織?

 

 悩みを抱える人を言葉巧みに誘導し、幸福の水や壺などを不当な金額で売り付けるつもりかもしれない。あるいは――。


 ――宗教勧誘や人身売買?


 金銭的に困っている女性を街で見つけては、甘い言葉や態度で誘惑。心身ともに弄び、骨抜きにした挙句、宗教団体や風俗店などに人材(カモ)を横流ししているのかもしれない。


「――望美さん、大丈夫ですか?」


 真幌が心配そうに望美の顔を覗き込む。


「えっ?」

「さっきから、ぼーっとして視線も虚ろですが。お加減でも悪いんですか?」


 望美は慌てて手を振り、我に返った。


「あ、いえ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたもので。だ、大丈夫です」


 ――まさか考えすぎよね。だって、この親切な店長さんが……。


 望美は椅子の脇に置いたショルダーバッグをちらと見る。渡せなかった弁当箱に向かって、心の中で呟いた。


 ――考えすぎ、考えすぎ。だって店長さん、こんなにも優しくて良い人なんだし。悪い人には絶対見えないし。


 望美の不振な挙動を察してだろうか。店長の真幌は唐突に、自分の身の上を語り始めた。


「望美さん、実は自分も早くに両親を亡くしまして」

「え?」


「幼い頃から、この店の創業者である祖父に育てられました。この店舗、奥が住居になっているんですよ」

「そうなんですか」


「厳格でしたが、孫思いのとても優しい祖父でした。その祖父も、自分が十八歳の時に他界しました。その後、色々あって……今はひとり、ここで寂しく生活をしています」


 望美は思う。身寄りの無い独り暮らし。もしそれが本当だとしたら、自分の境遇とすこし似ているかもしれない。それで波長が合い、お互いに心を許し合って、身の上を語ってしまったのかもと。

 

 ――『今はひとり、ここで寂しく』ということは、彼女さんとか居ないのかな?


 例の忍とは、そういう関係ではないということだろうか。しかし『その後、色々あって……今は』が気になる。が特に気になる。悶々とする望美だった。


「そうですか。それでお爺様の後を継いでお店を?」


「はい、祖父からの遺言で受け継ぎました。もうひとつの『夜の商売』の方も、ね」

「夜の商売?」


 眉をひそめる真幌。彼の端正な顔が切なげに歪む。


「ええ、因果な夜の家業です」

「因果な……夜の……家業……?」


 望美の背中に悪寒が走る。ぞわぞわと身の毛がよだつ。


 やはり怪しい壺でも売り付けられるのだろうか。それともタチの悪い宗教に勧誘されるのか。


 あるいは卑猥な風俗店に身売りされるのだろうかと警戒する。それとも――。


「さて、望美さん。残された時間も惜しいことでしょうし」

「残された……時間?」


 ――それとも……薬を飲まされて……解剖とかされて……臓器とか……海外に売られちゃったり……とか?


「望美さん」


 真幌はまっすぐな眼差しで望美に言った。


「はっ、はい!」


 びくりとする望美。声が上ずっている。

 

「随分と前置きが長くなりましたが」

 

 足が震える、鼓動が高鳴る。白い花柄ワンピースを纏った望美の背中に、だらだらと嫌な汗が流れ出す。


「そろそろ本題に移りましょうか」

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