第五話 大事な夜のお客様ですから

 翌日の午前中。


 JR倉敷駅の改札を出た望美は、歩道橋を渡り歩いていた。今日は土曜日で休日。行き先は職場ではなく、まほろば堂だ。


 商店街を通り抜け美観地区へと向かう望美。空を見上げる。肌寒いが晴天だ。うろこ雲が風になびいている。


 服装はお気に入りの白い花柄ワンピースにピンクの薄手カーディガン。久々にクローゼットから引っ張り出してきた。晩秋にしては薄手だが、お出かけ用で華やかなのは、これしか持っていない。


 反面、首から上は重装備。心なしか厚化粧だ。鏡の中の顔色が優れなかったせいもあるが、気合が少々入りすぎたのかもしれない。


 細い肩にはベージュのショルダーバッグ。中には手作りの弁当が入っている。失業寸前、しかも借金があるので外食は避けたい。


「ふたつだと、ちょっと重いな」


 歩きながら呟く望美。実は弁当をふたり分作ってきた。先日のお礼を兼ねて店長の真幌に、それを渡そうという算段だ。


 密かに料理の腕には自信がある。夜の仕事を抱えた母の代わりに、中学生の頃から一切の家事を請け負っていたからだ。


 その為に昨夜の仕事帰りではなく、早起きして午前中に足を運ぶことを選んだのだ。心なしか、ここまでの足取りが軽かったのは気のせいだろうか。

 

 美観地区の河川敷沿いを歩く。歴史情緒あふれる町並み。晩秋の低い日差しと倉敷川のせせらぎが一際眩しい。


 休日だからか、大勢の観光客相手に様々な店舗が賑わっている。川沿いには似顔絵描きやアクセサリー屋も、ちらほらと。


  人力車が望美の脇を通る。背中に『倉敷』と書かれた衣装の俥夫しゃふが老夫婦を乗せ、情緒あふれる街路を走っている。


  川面には観光客を乗せた高瀬舟。こちらは笑顔の耐えぬ家族連れだ。


 江戸天領の時代から物資の集積地として栄えた倉敷。川沿いの柳並木や白壁の屋敷、古くからの町屋が並ぶ江戸時代さながらの風情、世界的な西洋絵画を集めた大原美術館など。訪れる人の郷愁をくすぐるノスタルジックな街並みだ。


 望美は、まほろば堂の手前まで辿り着いた。木製の玄関枠にすりガラスの引き戸は、『本日閉店』の札の掛かった夜とは違い、開放されてある。


 遠目にそっと、店の様子を伺う。


「いた、店長さんだ」


 店頭では白髪の店長真幌が、藍染着流し姿で接客している。


 客はOL風の女性ふたり連れ。真幌は民芸品である倉敷くらしき硝子がらすの小鉢を手に、商品の解説をしている様子だ。

 

「倉敷ガラスというは、創設者である小谷真三氏と長男の栄次氏の親子二人の手でのみ作られる、口吹きガラス製品の総称なんです」

「へえ、それにしても綺麗な青色 。眺めているだけでも素敵だわ」


 少し厚みのあるぽってりした柔らかいフォルムの小鉢。冷たく輝くガラスだが、どこか暖かなぬくもりを感じる。


「この独特の美しい色合いは『小谷ブルー』とも呼ばれ、倉敷ガラスの大きな特徴なんです」

「へー」


「倉敷市は『民藝みんげいの町』と知られ、世界各地から集めた民藝品を展示する倉敷民藝館などの文化施設が充実しているんですよ」

「ふうん、そうなんだ」


「民藝とは明治生まれの思想家であり美学者の柳宗悦氏が称えた『無名の職人が作った機能的で美しく、廉価で丈夫な日用品を使って、日々の生活を充実させよう』という考え方のこと。その民藝のひとつとして生まれたのが、倉敷ガラスです」

「ふむふむ」


「小谷氏は手探りの状態から試行錯誤を繰り返し、独自の技法でコップを完成させました。その後、日用品としての使いやすさが認められ、後に倉敷ガラスと倉敷民藝館初代館長であった外村吉之介氏により命名。その後、小谷氏は大学の教授を務めるなど多くのガラス作家を育て、その伝統を受け継いでもらうよう努めています」


 ――確かに、ちょっと話が長くて理屈っぽいかも。


 遠目でこっそり見ている望美は、くすりと笑った。


「一方、民藝館館長の外村氏は、倉敷ガラスや備中和紙などをはじめとした様々な手仕事を指導し、作り手が製作に専念できるように尽力――」


 観光名所の土産屋店主である真幌が、郷土文化を熱弁する。しかしOL風の二人組は肝心の内容にはうわの空。さっきから店長の顔ばかりを凝視している。


 きっと目の形はハートマークなのだろう。周囲にもハートを飛ばしまくっているのが、遠目に見ても分かる。


 そうやって離れて様子を見ている望美のすぐ脇に、修学旅行客らしきJKの集団がやって来た。


 望美の存在が目に入らないのか、ずかずかと遠慮せずに脇を陣取る。JK集団が黄色い声を上げながら、まほろば堂を指差した。


「ねえ、あのお店の人。まじかっこよくない?」

「うっそ、まじイケメンじゃん!」


「あの白髪、めっちゃキレイだけど。地毛かな? 逆にオシャレで染めてるのかな?」


「藍染の着流し姿もかっこいいよね。逆にビジュアル和楽器系のミュージシャンみたい」


「ねえねえ、逆に写真撮らせてもらようよ」


 ――すごい。店長さん、めちゃモテモテだ。


 OLふたり組が立ち去った直後。待ってましたと言わんばかりに、今度はJK軍団がまほろば堂へと押し掛ける。


 凄まじい勢いだ。はじける女子たちの猛攻を目の当たりにして、望美の腰が引ける。


 もみくちゃにされながら、苦笑いで接客する店長の真幌。そんな姿が遠目に見える。


 まるで近づくことができない。引っ込み思案な性格が、自分でも恨めしく感じてしまう望美だった。


 一連のラッシュがようやく落ち着いた後、店長はちらと望美の方を見た。

 

 ――あ、ようやく気が付いてくれた。


 店頭を出た真幌が腕組みをしながら、ゆっくりと望美に歩み寄る。


 その背後を、ちょこちょこと小さな黒い影が付いて来る。まほろば堂に住み着いている黒猫だ。


「こんにちは、望美さん」

「あ、店長さん。お言葉に甘えて、また来ちゃいました」


 望美はぎこちない笑顔で返した。優しい声の店長。しかし、心なしか苦い顔をしている。


 ――え、あ、ご迷惑だった……かな……。


 黒猫がごろごろと喉を鳴らす。望美の足元をじゃれて付き纏っている。


 戸惑う望美。長身の店長は腰を畳む様に屈め、彼女にそっと耳打ちをした。

 

「望美さん、昼間はいけませんよ」

「……え?」

「ですから、日中はちょっと……」


 ――え? なんで?


 ふたりの足元で、黒猫が「にゃお」とひと鳴きした。


「だって、望美さんは夜のお客様ですから」


 *


 倉敷中央図書館前の遊歩道プロムナードでの昼下がり。


 アンティークなデザインの古いベンチに腰掛けて、望美は持参した弁当箱を広げていた。


「夜までどこで時間を潰そうかな……」

 

 左脇に置いているショルダーバッグ。中には店長に渡せなかった、もうひとつの弁当箱が納められている。


「せっかく早起きして作ったのに。なんかハズしちゃったな」


 箸でちいさな唐揚げを突く。望美は午前中のやり取りを、ぼんやりと回想した。


 *


「……夜の……お客様?」

「ええ、夜の大事なお客様です」


 そう言われれば、確か以前も「『夜になったら』、いつでもご遠慮なさらず店に~」と言っていた。


「つきましては望美さん、今晩のご予定は?」


 望美の胸がとくんと高鳴る。年上のイケメンに「今晩のご予定は?」と聴かれて、ときめかないわけが無い。


 明日も日曜で休日だ。しかも望美は独り暮らし。すこしばかし遅くなっても一向にかまわない。


「え、あ、大丈夫です」

「では、ご足労かと思われますが。予約を取っておきますので――」


 店長はにこりと笑った。


「本日改めて、午後七時にご来店頂けませんでしょうか?」


 *


 望美は結局、中央図書館で時間を潰した。


 彼女は読書が趣味で、恋愛ものやミステリーなどを好んでいる。ここでも、お気に入りのミステリー作家の古い短編集を読み耽った。

 

 閉館の間際に退出。そして日が暮れるまで、美観地区周辺を徘徊した。


 望美は自分の服装に目を配る。薄手のワンピースとカーディガン。その中を冷たい風が通り抜ける。背を丸め、そっと肩を抱く。

 

「……寒いなあ。こんなことなら、厚着をしてくればよかった」

 

 茜色に染まっていた白壁の建物も、ぼんやりと蒼色へと移ろい行く。幻想的な深い藍色の空。父親との思い出の絵本『しあわせのくに、まほろば』の表紙のように。


 父はそれをブルーモーメントと呼んでいた。望美はふと、父の言葉の続きを思い出す。


『空の色が時間とともに深い闇に包まれていく。その様子はとても幻想的だけど、ちょっぴり怖くて胸騒ぎがするよね。儚い蒼の時間帯。だから、この時間は「逢魔おうまが時」と呼ばれたりもするんだよ』


 逢魔が時。夕方の薄暗くなる、昼と夜の移り変わる時刻。黄昏時。魔物に遭遇する、あるいは大きな災禍を蒙ると信じられたことから、このように表記されるのだ。


「儚い蒼の時間……逢魔が時……」


 呟く望美。ふと見上げれば、上弦の蒼い月が藍色の空に浮かんでいた。


 *


 午後六時五十五分。

 約束の時間の五分前だ。望美は再び、まほろば堂に辿り着いた。店長、蒼月真幌の待つ店に。


『本日閉店』


 引き戸に掛けられた札には、やはりそう記されてある。


「やっぱり。本日閉店って書いてあるのに……」


 昼間の通常営業は本日閉店。そういう意味だろうか。

 

 では一体、夜は何の営業をしているのだろうか。疑問に思う望美を前に、店の扉ががらりと開いた。


 ――あ、店長さん? それともあのかっこいいおねえさん、忍さんかな? 

 

 そう期待したが、残念ながら見当は外れた。出てきたのは中年男性だった。顔色はすぐれず、痩せこけた頬をしている。


 うつろな目つき。まほろば堂の暖簾を掻き分け、ふらふらと店を出て行く男。望美の脇をすれ違い様、互いに一瞬、目が合う。


「…………」


 気まずそうに中年男は、すぐさま視線を逸らす。そのまま茫洋とした表情で闇の中へと消え行った。

 

「……あの人も、この店の夜のお客さんなの?」


 望美の背中にぞくりと悪寒が走る。刹那、出て行った客を見送るかのように店内から人影が。

 

「いらっしゃいませ、望美さん」

 

 店長の真幌だ。店頭の暖簾と同じ素材の、倉敷帆布の着流し姿。はたけた白い胸元には黒猫を抱いている。猫の長い尻尾が真幌の端正な鼻先で、にゅるりと蠢く。

 

「にゃあお」

 

 レトロモダンな街灯が、真幌の白い顔と猫の黒い毛を照らす。藍染暖簾が妖艶に揺らめく。まるで、先ほどまで見ていた藍色の空――逢魔が時の色彩のように。

 

 望美はごくりと喉を鳴らし、生唾を飲み込んだ。

 

「お待ちしておりました。改めまして、ようこそ『まほろば堂』へ」

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