第四話 また行ってみようかな?
翌日。
少し肌寒い正午過ぎ。望美は駅前ビジネス街の中層ビルの屋上で、何時もように昼食を取っていた。
一人用の腰掛シートの上、目立たぬよう日当たりの悪い片隅で。いわゆるぼっち飯だ。コンクリートの冷気が、足元やお尻から伝わる。
「ハア、底冷えするなあ……」
誰にも見られていないのに、望は視線を気にしながらスカートの裾を整え直した。
会社から支給された地味なグレーの事務服。白いストッキングの下には、すこし鳥肌が立っている。その上で弁当箱を包む白いハンカチが、小刻みに踊っている。
背を丸め、周囲を見渡す望美。ピンクやグレーの事務服を纏った数名の女性社員が、間隔を空けながらちらほらと。
ピンクは正社員でグレーは派遣社員。この職場の女性事務員は、そうやって制服の色で分類されているのだ。
全国展開をしている物流会社の駅前営業所。十数名居るフロアのPCブースが望美の持ち場だ。業務時間内は、ピンクとグレーは混ざり合っている。
ランチタイムは、きっちりと応接スペースや近所の外食先など各々の色同士で輪になって固まる。その色に染まれない者たちが、ここ屋上へと追い遣られるのだ。
ぼっちは慣れっこだ。だけど冬も近づき、屋上ランチはしんどくなってきた。冬場は、どこに陣取ればよいのだろうか。
そう悩んでいた望美であったが、どうやら杞憂に終わりそうだ。派遣切りに合った彼女は、来月からはこの職場には居ない。
食事を終え、脇のスマートフォンを手に取る。画面を写真アプリに切り替える。
白いハナミズキの活けられた藍色の倉敷硝子の写真。昨夜、まほろば堂で撮影した画像だ。脇には、店主の真幌の姿が写っている。
「昨夜は、いろんなことがあったなあ」
駅で蒼い瞳の不思議な少年と出会った。
何時の間にか電車で寝てしまい、倉敷駅まで乗り過ごした。駅前の美観地区でチンピラに絡まれ、かっこいい女性に助けられた。
『まほろば堂』という老舗の土産屋に案内され、イケメンの店長に出会った。店長から手厚いおもてなしを受け、色々と話を聞いてもらった。
望美は昨夜の出来事を思い浮かべながら、自らが店長に語った身の上話を回想した。
元々は父親と母親の三人暮らしだったこと。小学校六年生の時に優しかった父が他界したこと。
中学校二年生の時に母親が再婚をし、新しい父ができたこと。高校を卒業してからは、家を出てアパートでひとり住まいをしていること。
最初の就職先で上司の陰湿なセクハラ被害に合い、僅か三ヶ月で辞めたこと。それ以来、ひとつの所に長く続かず、職場を転々としていること。
そんな内容を、望美は淡々と語った。
引っ込み思案な自分が、初対面の相手に身の上を吐露してしまった。そのことに、自分でも驚く望美だった。
店長の真幌は、望美の話にじっと耳を傾けてくれた。ほとんど意見は挟まずに、優しく包み込むような声で「うん、うん」と相槌を打ちながら。
この店長。
そんなギャップや物腰の柔らかい人柄が、亡くなった実の父の面影と重なってしまう望美だった。
新しい家族とは、継父とは上手くいかなかった。毎日がぎくしゃくしていた。
しかも望美が高校二年生の時、継父がらみで『ある
母は再婚当初は板ばさみになり、双方に気を使っていた。しかしその出来事がきっかけで、実の娘である望美の方を露骨に煙たがるようになったのだ。
継父から受けた出来事。その具体的な内容は流石に店長には語らなかった。また、継父により連帯保証人として不当な借金を背負わされていることも言えなかった。
そのため困窮していて、夜の仕事に手を染めないと生活して行けそうにないことも。
勉強は嫌いではなかったが、大学には進学させてもらえなかった。それどころか、当時十八歳の望美は、強引に継父の借金の連帯保証人にもさせられた。
未成年でも親の同意があれば連帯保証人になるのは可能なのである。
高校卒業と同時に逃げ出すように家を飛び出した。それ以来、実家には一度も足を踏み入れていない。
唯一の肉親である母親の声を電話で最後に聴いたのは、もう二年以上も前のことである。もちろん、そういった家庭の暗い事情も言える筈が無い。
家族との断絶、押し付けられた多額の借金、そして継父から受けたある出来事。それが望美の抱える闇だ。
もっと親密になれば、悩みの具体的な内容を、心の闇を吐き出してしまうのかもしれない。その時、店長は自分の話を受け止めてくれるだろうか。
『よかったら、またお話聞かせてくださいね。夜になったら、いつでもご遠慮なさらず店にいらして下さい。またのお越しをお待ちしています』
帰り際に店長は、にこりと笑って優しく言ってくれた。望美は思う。その言葉に甘えていいのだろうか。きっと単なる社交辞令だろう。
「それはわかってる。でも……」
まほろば堂の古時計の音。どこか懐かしい風情。日頃の憎しみや争いを、忘れさせてくれる居心地のよい空間。
ほっこりと静かに流れる優しい時間。そして優しい店長の澄んだ瞳が、望美の脳裏から離れない。
「話し過ぎてしまったら、きっと店長さんに嫌われちゃうよね……」
望美は深いため息と共にスマートフォンをポケットに終い、弁当箱を包み始めた。
◇
午後六時過ぎ。望美はPCをシャットダウンさせて席を立った。蚊の鳴くような声で挨拶をしながら、出入り口の扉へと向かう。
「お先に失礼します……」
誰も返事をしてくれない。朝もそうだ。職場で女子社員にハブにされている望美にとっては何時もの事である。
時々は外回りの男性社員が声を掛けてくれたりもするのだが。思えばここ数日は、誰とも会話をしていない。
今の職場は元よりこれまでも。比較的、年上男性に好まれる容姿と雰囲気を兼ね備えた望美を前に、気のある素振りを見せる男は少なくは無かった。
しかし当の望美は、気が弱くて自虐的で引っ込み思案。それにも増して最初の就職でのセクハラ被害や、例の継父がらみ過去の出来事をきっかけに男性恐怖症となってしまった。その為、彼らの誘いを素直に受け入れられなかったのだ。
そんな望美の存在が鼻に付くのか。他の女性社員の嫉妬や反感を買ってしまい、疎外されがちになってしまう要因の大きなひとつとなっていた。
タイムカードの順番待ち。望美は最後尾だ。ピンクの事務服を着た連中に、勝手にどんどん横入りされてしまう。
だが契約満了間際の派遣社員という弱い立場と、引っ込み思案な性格が邪魔をして文句を言えない。
前の正社員同士の、楽しそうな会話が否が応でも耳に入る。
「ねえ、今夜はどこに飲みに行く?」
「明日は休みだし、パーッと羽を広げようよ」
――あれ、今日って金曜日だっけ? 確か昨日は水曜日だった筈だけど……。
同じことの繰り返しの単調な毎日。だから曜日の感覚が麻痺しているのだろうかと望美は思った。
何にせよ今日は木曜と思い込んでいたので、すこし得をした気分だ。帰り際に言われた店長の台詞を思い出す。
『夜になったら、いつでもご遠慮なさらず店にいらして下さい』
エレベーターを降りて足早に出口へと向かう望美。頬を緩ませながら彼女は呟いた。
「明日はせっかくのお休みだし、また行ってみようかな?」
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