第三話 ようこそ、まほろば堂へ ~藍染着流し店主のおもてなし
望美は店内を見回した。
仄暗い間接照明の落ち着いた雰囲気。店舗としては、あまり広くはなさそうだ。
元は古い蔵なのだろうか。大きな梁が縱橫に通った天井が、どこか懐かしい佇まいを醸し出している。
白い漆喰の壁に、随分と年季の入った木製の腰壁や商品棚。焦げ茶色と壁の白色とのツートーンカラーが印象的だ。
純和風の内装にレトロモダンなテイストを織り交ぜてある。
壁に掛けられた黒塗りの古時計が、静かに時を刻む。店舗奥の片隅にはテーブル席。そこには藍染和装に着流し姿の男の姿が。なにやら書類を広げて目を配っている。
髪は総白髪だ。一点の濁りも無く、プラチナブロンドのようにも見える。髪型はストレートで男性にしては長髪。肩先まである。
男は来客に気付いた。玄関の方を向いて問い掛ける。
「おや、忍さん。忘れ物ですか?」
ここの主人だろうか。若そうな声。包み込むような優しい響きだ。
髪の色からして高齢者かと思いきや、どうやらそうではなさそう。白い肌と白い髪。藍色の和装に黒い腰帯がアクセントとなっている。
藍染着物は店舗の暖簾と同じ素材。『倉敷帆布』だろうか。
国産ジーンズ発祥の地として全国に知れ渡る繊維の街、倉敷。中でも倉敷帆布は、昔ながらのシャトル織機を使って、職人の手で丁寧に織りあげられた一級品だ。
天然の綿が醸し出す風合いと色合い、しかも丈夫で使い続けるほどに味わいが生まれる。
「いいえ。客を連れてきたわよ、
忍は望美の背中を軽く押した。
「そこの出先で偶然拾ったの」
――拾った……って猫じゃないんだから。
望美は心の中でぼやいた。
「どうせ、行き付く先はここだろうと思って連れてきたのよ。働き者の店長さんの為にね」
「へえ」
真幌と呼ばれた店長が、望美をちらと見る。重なる視線。望美の胸がとくりと高鳴った。
長いまつ毛に包まれた、深い
店長が腰を上げる。テーブルの書類を整えながら、望美ににこりと会釈をする。
「いらっしゃいませ」
かなり背が高い。推定一七〇センチの忍より十センチ以上はある。
年齢は二十代後半だろうか。会話のやりとりからして、推定三十代の忍より年下っぽい。繊細な肢体に透き通るような白い肌。藍染和装がよく映える。
この店長。よく見るとかなりの美形だ。女の自分でも見惚れてしまうと望美は思った。
そういえばホームで出会った謎の蒼い瞳の坊やも美少年だった。
こちらはアラサー、あちらは少年。髪の色も白黒真逆。瞳の色だって異なる。されど美形という点では共通項だ。顔立ちもよく似ている。
「こんばんは。ようこそ『まほろば堂』へ」
「え、あ、その……こんばんは」
望美は照れ隠しに頭を深く下げた。まほろば。望美が好きだった絵本の表題と同じ名称だ。争いや憎しみや汚れのない、幸せの国。偶然だろうが、懐かしい響きに心が躍る。
緊張しながらも、すこし頬を緩ませる望美。そんな様子を見て、忍が小声で耳打ちする。
「顔が赤いわよ。どうやら店長に見惚れちゃったみたいね」
「なっ……別にそんなことは……」
そんなことはあるのだが、本音とは逆の答えを返してしまう。首を振る望美。慌てて頬に手を当てる。忍がうふふと笑う。
「じゃあ真幌、アタシはこれで」
「うん。夜道は危ないから気を付けてね、忍さん」
「ハッ、誰に向かって言ってんのよ?」
「ふふっ、確かに」
なるほど。先ほどの様子を見ると、ヘタに夜道で忍に手を出すと、暴漢の方が逆に震え上がりそうだ。
踵を返す忍。メタリックブラックのヘルメットを颯爽と肩に担いで、出入り口の引き戸へと向かう。ちらと振り向きざまに、忍は望美に言い放った。
「うふふ。浮き足立ってるわよ、子猫ちゃん?」
意味深な台詞を残し、忍は店を立ち去った。
◇
店長と望美のふたりきりとなった。
もじもじと居心地悪そうにする望美。
白髪の着流し店長が柔らかい口調で話し掛ける。
「さっきの女性は
「そうなんですか」
「見ての通り、うちは土産屋なんです。昼間は観光客の方々をお相手に、郷土の民芸品や銘菓の販売を扱っているんです」
ふと、望美は疑問に思う。
『夜の間だけ』『昼間は』と言ったのが妙に気に掛かる。観光地の土産屋が、夜間も営業しているものなのだろうか。
――夜はBARとか? でも扉には『本日閉店』とあったし……。
ともあれ、初対面の年上男性と薄暗くて狭い空間にふたりきり。しかも相手は
そこに――。
「にゃあ」
頭上から猫の鳴き声が聴こえて来た。
「えっ?」
見上げる望美。大梁の上でちいさな黒い影がちろりと動く。黒猫だ。
「あっ、可愛い!」
密かに動物が大好きな望美である。
「おいで、おいで」
声を掛けると黒猫は、ぷいっとそっぽを向いて物陰へと消えた。天井の梁を見上げながら店長が言う。
「あの子はマホと言って、この店に古くから住み着いている雄猫なんです」
「そうなんですか。マホくん、可愛い猫ちゃんですね」
「いえ、やんちゃの気まぐれで手を焼いています」
「あたしも話し相手にペット飼いたいんですけど、アパート暮らしで……」
黒猫のおかげで、すこし会話が弾んだ。内心、安堵する望美だった。
「どうぞ、こちらへ」
店舗の奥へと促す店長。片隅に小さなカウンター席と一組だけのテーブル席。さっきまで店長が書類を広げていたレトロなテーブル。カフェスペースだ。
椅子を引き、店主が手を差し伸べる。望美は従い着座した。
ふと傍のカウンター席を見る。片隅には、鮮や且つ深みのある
「わぁ、すごくきれいな瓶。これって倉敷ガラスですか?」
「ええ、そうですよ。よくご存知で」
にこりと頷く店長。『
藍色の硝子と白い花とのコントラスト。なんて艶やかで美しいんだろうと、望美の琴線に触れた。白髪に藍色和装の店長の、凛とした立ち姿と妙に重なる。
「店長の
「じゃあ『まほろば堂』ってお店の名前はそこから?」
「ええ、祖父の代から受け継いだ老舗なんですよ。正確には祖父が自分の店の屋号を引用して、初孫に命名したんですけどね」
なるほど、それで若いのに店長さんなんだなと望美は思った。
「素敵な名称ですね。あたしは逢沢といいます。逢沢望美です」
「望美さんですね。よろしくお願い致します」
名前を呼ばれて、すこし照れる望美。
「え、あ、はい。よろしくおねが……」
言い終えるや否や、望美のお腹が再びぐるると鳴った。
「や、やだ……」と口ごもりながら、俯き赤面を隠す。
商店街で焼き鳥の香ばしい匂いを嗅いでからというもの、密かに空腹が限界に達している望美である。
「ちょっと待っててね」と席を立つ店長。そのまま奥部屋へ続く暖簾をくぐり、奥へと消えた。
しばらくして店長は、お盆を掌に乗せて戻って来た。
「外は寒かったでしょう。よかったらどうぞ」
店長は和紙のテーブルクロスを敷き、ナプキンと茶褐色の皿を差し出した。
備前焼だ。岡山県備前市周辺を産地とする炻器で、日本六古窯の一つに数えられている地元の名産品だ。茶褐色の地肌は味わい深く、派手さはないが飽きがこないのが魅力である。
「ちいさなカフェスペースだから、簡単なものしか出せなくてごめんね。お口に合えばいいんだけど」
備前焼の皿に乗っているのは白いバンズのハンバーガー。手掴み用の包み紙はクロスと同じく和紙というのが洒落ている。
「冷めないうちに召し上がれ」
「でも……」
望美は節約中だ。失業間際なので外食などの出費は控えたい。
「もちろんサービスですよ。ご遠慮なく」
「あ、ありがとうございます。じゃあ、せっかくですので。いただきます」
肉とソースの絡み合う甘い香り。やはり空腹には勝てない。望美は会釈をしながらナプキンで手を拭き、ひとくちかじった。
「おいしい!」
反射的に声が漏れる望美。
「店長さん、このハンバーガー、すごくおいしいですね!」
「倉敷バーガーって言ってね、天然酵母の白パンが倉敷の白壁をイメージしてるんですよ」
溢れ出す肉汁が口いっぱいに広がる。直後に爽やかなにトマトの酸味が弾ける。
もうひとくち、更にひとくちとかぶり付く。はしたないとは思いつつも、おもわず口いっぱいに頬張ってしまう。
「トマトは桃太郎トマト、備中豚のベーコン、ビーフのパテは新見産の千屋牛。すべて地元県内産の食材を使っているんです」
「へえ。あ、このピクルス、シャキシャキしてる!」
「独特の歯ごたえでしょう。それレンコンなんですよ」
「へえ、珍しいですね」
「ええ、倉敷市連島産のレンコンを酢漬けにしたものなんです」
確かに、このピクルスが絶妙な酸味と歯ごたえを与えてくれる。望美はこの味わいを隅々まで、文字通り噛締めるように咀嚼した。
頬が落ちそうになるとは、まさにこのことだ。しかも出来たてのほっかほか。秋の夜風で芯まで冷えた体に、暖かなぬくもりが蘇る。
「千屋牛は日本最古の
「蔓牛、ってなんですか?」
「日本最古の血統を受け継ぐ黒毛和種で、優良な系統の和牛の呼称なんです。ここ岡山県の新見市が発祥とされているんですよ」
「へえ、そうなんですか」
「ええ。全国的にはあまり知られていないけれど、豊かな自然と天候に恵まれた岡山県は、肉用牛の盛んな地域。中でも千屋牛は優良肉質和牛の代表格です。ほどよい霜降りと赤身が特徴で、美味しさと柔らかさを兼ね備えたこだわりの和牛なんです」
店長の饒舌な説明を聞き終えた望美は、くすりと笑った。
「あれ? 僕、おかしなこと言ったかな?」
すこし頬を赤らめる店長。
「いえ、さすがは観光名所のお土産屋さんの店長さんだなと思って。説明がお上手ですね」
――へえ、店長さんって自分のこと僕って言うんだ。
余計なとこでも関心する望美だった。
「いやあ」と苦笑する店長。
「我ながら職業病ですよね。何時も『理屈っぽくて話が長い。そんなんじゃあ女の子にモテないよ』って怒られてます」
白い頭を掻きながら、照れくさそうに店長は言った。
――それって、さっきの忍さんに……よね?
「いえ、わたしおしゃべりが苦手なんで。素直に凄いと思いました」
「恐縮です。では、食後のお飲み物は?」
「え、あ、ありがとうございます。じゃあコーヒーで」
「ミルクと砂糖は?」
「ミルク多め、砂糖少なめでお願いします」
「承りました」
店長が再び暖簾の向こうへと去り行く。それを確認すると、望美は包み紙に付いたソースをぺろりとなめた。
何時の間にやら、店内にゆったりと流れるスロージャズ。和の空間とJAZZって意外と合うものだなと、望美は感心した。
店長が備前焼のコーヒーカップを両手に戻ってきた。片方は店長自身のものだ。
右手のカップを望美の前のペーパークロスの上に置くと、店長は対面に座った。
テーブルの上の
「雪洞もペーパークロスも和紙なんですね」
ちらとクロスを見る望美。薄っすらと何か黒いものが浮かんでいる。裏に文字が書かれているみたいだ。
美観地区の観光案内文でも綴られているのだろうか。後で目を通してみようかなと望美は思った。
コーヒーをひとくち啜る。
「おいしい!」
たっぷりミルクの中に仄かな苦味。口の中のソースを流し込みながら、胸の奥が温まる。
「お仕事帰りのようですけど、OLさんですか?」
「いえ、ってまあそうなんですけど。派遣でデータ入力の仕事をしています」
「コンピューターを扱われるんですね。自分はそちら方面に疎いので尊敬します」
「いえ、そんな大した業務はしていないんですよ。ひたすら議事録や手書き伝票をExcelやWordに打ち込むだけですから。取得にお金の掛かる上級の資格も持ってませんし。それに……」
「それに?」
「今月で契約打ち切りなんです。実は派遣切りに合ってしまって……」
「そうなんですか。契約打ち切り、それは大変ですね」
「次のお仕事を探しているんですけど。条件に見合うものが見つからなくって」
「そうですか」
こんなに人とおしゃべりをするのは、一体どれぐらいぶりだろう。何気ない会話のやりとりに心がほころぶ望美だった。
古時計がぼおんと鳴る。静かな音楽、仄かな照明、緩やかなに流れる時間が心地よい。
そんな癒しのひとときに身を委ねながら。気が付けば望美は店長に、ぽつりぽつりと身の上を語り始めていた。
「あたし……」
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