第二話 店長、連れて来たわよ ~黒い女忍者(くのいち)ライダー
「お客さん、終点ですよ」
車掌にポンと肩を叩かれて、望美は眼を覚ました。頬を摩る望美。何時の間に車内で眠ってしまったのだろう。どうやら終点の倉敷駅まで乗り過ごしたらしい。
――そっか、あたしうっかり電車の中で居眠りしてたんだ。
「すみません。すぐ降ります」
他の乗客はすでに降りている。それにしても、やたらと顔色の悪い車掌だ。
過労だろうかと心配しながら、ぺこりと会釈をする。望美は慌てて、電車のドアを潜り抜けた。
◇
階段を登る望美。改札口の前で立ち竦む。
「引き返さないと」
踵を返し、三番ホーム岡山方面の階段へと向かう。
「でも……さっきのあれは……夢?」
足が止まる。望美は呆然としながら口ごもった。
電車がホームへと入って来た時、望美は蒼色の瞳の少年に背中を押された。肩の力が抜け、心なしか体がふわりと軽くなった。そんな記憶が確かにある。
後が支えているんだからさ、うじうじ足踏みしてないで早く乗りなよ。きっと少年は、そう言わんばかりに彼女を車内に押し込めたのだろう。しかし――。
「その後の記憶が……まるでないんだけど」
◇
望美は通勤用の乗り越し料金を自動精算機で支払った。改札を抜け南口へと出る。辺りは薄暗い。すっかり夕日も沈んでいる。
バスターミナル周辺のJR倉敷駅前大通りには、華やかなネオンライトが彩り始めている。
望美は思う。派遣切りの通達を受けたばかりだし、駅のホームでは妙な出来事もあった。なんとなく、このままアパートに戻りたい気分ではない。
どうせ「おかえり」と出迎えてくれる人は誰も居ない。
彼女は県庁所在地岡山市の西側在住。最寄りはJR庭瀬駅だ。隣の倉敷市には立ち寄る縁がなかった。
「どうせならついでに」
駅周辺を散策してから帰るのも悪くないかなと、望美は思い直した。
◇
歩道橋を渡り、倉敷商店街の出入り口へと足を進める。
きょろきょろと辺りを見回す望美。昔ながらの古い商店や居酒屋が立ち並ぶ。どことなく昭和の香りが漂う風情だ。
シャッターを閉め始める商店。相反して居酒屋の看板が灯り始めた。香ばしい焼き鳥の匂いが鼻腔をほのかにくすぐり、食欲をそそる。
望美のお腹がぐるると鳴る。彼女は赤面しながら腹部を押さえた。
「おなかすいたな、でも……」
ネクタイを緩めたサラリーマンたちが、肩を並べ暖簾を潜っている。その様子を横目に見ながら、望美は思う。
きっとあの人たちは同僚で、職場のグチでも言い合いながらストレス発散するんだろうなと。
でも自分には職場の仲間はいないし、おひとりさまで飲み屋に入る勇気もない。そもそも貧乏なので外食自体をほとんどしていない。
「節約しなくちゃ。アパートに帰るまで我慢、我慢」
次第に居酒屋の数も減り、辺りはシャッターの降りた店舗ばかりだ。
吹きすさぶ風に背中を丸める。震える肩を抱きながら、望美は薄暗くて侘しい商店街をとぼとぼと歩き進めた。
「あそこにいってみようかな」
◇
倉敷美観地区。
駅から徒歩で五分程南下した場所にある、歴史情緒あふれる市内の有名観光スポットだ。
周囲には大原美術館をはじめ、ギャラリーや雑貨店や飲食店など様々な古民家風の店舗が立ち並んでいる。
傍に流れる倉敷川の河川敷沿いを、レトロな外灯が照らし出している。
辺りを見渡す望美。連なる白壁や格子窓の町並。
「へえ、なんて素敵な町並みなんだろう。あの頃は、そこまで思わなかったのに」
地元の名所なのに、ここに来るのは十年ぶりぐらいだろうか。子供の頃以来だと望美は思った。
倉敷川のほとりの木製ベンチに望美は腰を掛けた。川面をぼんやりと眺める。深い青――
ほとりの脇を見ると、休日は観光客を乗せるのであろう川舟流しの小舟が止められてある。
「高瀬舟。たしか昔、家族みんなで乗ったなあ……」
幻想的な藍色の空の下、ひとりぼっちの望美を深い闇の中に包み込む。
藍色の空。夕暮れ後の三十分間、乾燥した冬場などの雲のないすっきりと晴れわたった日の日没後に、このような色の空が現れることがある。
日没の時には夕焼けがあり、日が沈むと地平線が茜色に染まる。更に時が進む炉間が立つと、空が深い藍色に変わる。
「きれい。まるで、まほろばの空みたい」
父親との思い出の絵本『しあわせのくに、まほろば』。表紙の幻想的な深い藍色の空を思い出す。
「ブルーモーメント。そういえばおとうさんが教えてくれたっけ」
『まほろばの空ってすごくきれいだろ。こんな色の空のことを「ブルーモーメント」と呼ぶんだ。ここ日本では日没後約三十分間だけ見られる現象なんだよ』
優しかった父との思い出。博識で色々なことを教えてくれた。
「おかあさんも、あの頃は優しかったのにな。なのに……」
父が死んでから、高校卒業するまでの毎日。その辛く汚れた記憶を、脳裏に駆け巡らせながら俯く望美。次第に胸が熱くなる。じわりと瞳に涙が浮ぶ。
「ねえカノジョ、こんなとこでなにしよん?」
背後から声を掛けられ、望美は振り返った。そこにはタチの悪そうなふたり組の男がいた。
ポマードで固めたリーゼントにスカジャン。年は二十歳前後だが、随分と時代遅れな昭和の不良っぽいファッションをしている。顔色もドス黒くて不健康そうだ。
「いえ、別に」
「おっ、よぉ見たらこの子ぼっけえ可愛ええのお」
「ラッキー、当りじゃが。のお、ワイらとどっか遊びにいこぉや」
――ちょっと、やめてよ。
おもわず顔を横に逸らす望美。抵抗したいが恐怖で言葉が出ない。その顔を白い閃光が眩く照らした。
「えっ!?」
望美は目を細めた。逆光のヘッドライト。バイクだ。
Ninja400。ライトウェイトとハイパワーを兼ね備えたカワサキのスポーツバイクである。カラーリングはメタリックスパークブラック。水冷DOHC 4バルブエンジンのアグレッシブな排気音が唸りを上げて咆哮する。
ドライバーは、バイクを止めて歩み寄った。髪が長い。女性だ。ブラックのフルフェイス・ヘルメット越しに、ハスキーボイスで凄む。
「ちょっとアンタら、アタシのツレにナニちょっかい出してんのよ」
――アタシの……ツレ? 誰が!?
あっけに取られる望美。じっとドライバーを見る。
全身ブラックのライダースジャケットにレザーパンツ。背も高い。身長は一七〇センチぐらいだろうか。引き締まった肢体だ。モデルのように手足が長くスレンダー。しかも胸は大きい。
「あーん? なんじゃと、てめ」
その瞬間、「ヒュッ」という吐息と共に女が宙を飛んだ。
華麗に舞い上がる。大股開きの後ろ回し蹴り、プロレス技のローリング・ソバットだ。ロングのライダースブーツが風を切り裂く。そのまま男の鼻先を鋭くかすめた。
「ひっ!」
男のくわえ煙草が闇へと弾き飛ぶ。
「なななっ?」
狼狽する男。目をぱちくりさせている。一体何が起こったのか。彼女の動作が速すぎて、理解が追いつかない模様だ。
「次はその小汚い
「――ハッ。て、てめえナニしやがんだ」
我に返った男がバイクの女の向かって粋がる。しかし声が上ずっている。腰も完全に引けてしまっている。
「ちょ、お前、ちょい待てよ。まさか、そのバイクって……」
男の仲間が制止する。語尾を待たず、バイクの女は徐にメットを脱いだ。
「そう、アタシよ」
髪をかき上げ、夜風になびかせる女。
黒髪のストレートヘアー。前髪ぱっつんで腰まである。まるで日本人形だ。年齢はアラサーぐらいだろうか。かなりの美人だが、鋭い目付きで妙に凄みがある。
「しっ、
「ごっ、ごめんなさい。忍さんのツレだったなんて、俺ら知らなかったんっす!」
忍と呼ばれたバイクの女が、ひらひらと手を振る。
「いいから、とっとと失せなクズども。散れ」
「すっ、すみませんでしたっ」
「しっ、失礼します!」
ふたり組は尻尾を巻いて、河川敷の闇の中へと消えて行った。
「ねえ、アンタ大丈夫?」
震えてベンチから動けない望美に、ゆっくりと歩み寄る忍。咄嗟に「アタシのツレ」と嘘を付いてかばってくれたんだと、ようやく望美は気付いた。
「見たところ、デートの待ち合わせってわけでもなさそうだし。この辺りは観光地で一見品がよさげだけど、夜は案外タチの悪い連中が多い。アンタみたいなウブな子が、ひとりでウロチョロする場所じゃないのよ」
「は、はあ……」
「分かったらとっととおウチにお帰り、お嬢ちゃん?」
また子供扱いだ。望美はホームの生意気な少年とのやりとりを思い出す。でも今度は一回り程年上のアラサー女性。なので素直に受け入れられる。
「あ、はい。とにかく、助けて頂いてありがとうございました。では……」
会釈をして立ち去ろうとする望美。刹那――。
「――ちょっと待って」
忍は望美を引き止めた。望美の顔を、まじまじと見る忍。彼女の顔色が急に変わった。
「ふうん、そうかアンタ。さっきのみたいな輩が絡んできたってことは……そっか」
――だから何が『そっか』で、何が『アンタ』なのよ?
「そっか、分かった。なんだ、そういうことか」
――だから、何が分かったのよ。何がそういうことなのよ?
「いいから付いておいで」
◇
美観地区の河川敷。忍は夜道の中、Ninja400を押しながら前方を歩む。望美は、その後を言われるがままに追った。
忍の黒いバイクと黒ずくめの様相が、歴史情緒あふれる和の景観と妙に溶け込んでいる。
――まるで
数分後。ふたりは美観地区の河川敷片隅の在る店舗に辿り着いた。
「着いたわ」
「こ……ここは?」
『まほろば堂』
濃い焦げ茶色の木製看板には、白い毛書体でそう記されていた。
どうやら古民家を再生した店舗のようである。外観は白壁に黒い格子模様。なまこ壁と呼ばれる塗り壁の仕上げの一種だ。
平らな瓦を壁に張りつけ、
「入って」
引き戸は木製の玄関枠にすりガラス。なので店内の明かりが付いているのは確認できる。だが――。
『本日閉店』
引き戸に掛けられた札には、白い毛書体でそう記されてある。看板と同じく濃い焦げ茶色の木製板だ。
「え、でも……」
「いいから、お入り」
躊躇する望美を店内へうながす忍。瞳や佇まいに凄みがあって逆らえない。
「客を連れて来たわよ」
恐々とした物腰で、望美は店内を覗き込んだ。
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