冥土の土産屋『まほろば堂』1 ~倉敷美観地区店へようこそ
祭人
第一章 望みの居場所はどこですか?
第一話 あなたの望みを叶えます ~蒼い瞳の少年
『あなたの望みを叶えます~フロアレディ募集中~』
スマートフォンの画面を見つめながら、
地元有名キャバクラ店の求人サイトだ。今の勤務先から、ほんの目と鼻の先にある。望美は物憂げな表情でスマホの画面から視線を外す。
――ハァ、やっぱ夜のお仕事するしかない……のかな?
JR岡山駅のプラットホーム。夕暮れ時の傾きかけた日差しが、彼女のローヒールの黒いパンプスに無数の長い影を落としている。
『晴れの国』と称される岡山らしい穏やかな気候ではあるが、季節柄か少し肌寒い。
かさつく細い首筋を空いた片手で撫でる。くたびれかけたグレーの通勤着。すこし身をすぼめながら望美は襟元を抑えた。
ぼんやりとホームの向かいに視線を投げると、帰宅途中のサラリーマンや学生でごった返している。最前列だから見通しは良い。
冷たい秋風にセミロングの黒髪がはらりとなびく。望美はスカートの裾を整え直した。白いストッキングの下には、すこし鳥肌が立っている。
望美は人材派遣サービスからの出向で、三ヶ月前から駅前の中層雑居ビル内のオフィスでデータ入力などの事務を承っている。
全国展開をしている物流会社の駅前営業所なのだそうだ。実際のところ詳しくは知らないし興味もない。
スマホの画面をメールアプリに切り替える。
『逢沢 望美 様 お疲れ様です。急な伝達で申し訳ございませんが、現在の勤務地は今月末日を持ちまして満了となります』
実は先日、所属する派遣会社から契約打ち切りとのメール通達を受けたばかりだ。来月からしばらく無収入。次の派遣先は決まっていない。
高校卒業と同時に社会人として独り暮らしを始めて四年。二十二歳という年齢ながら、移った職場の数は両手では数え足りない。
人付き合いが苦手なので、ひとつの職場に留まらない仕事が向いているかもしれない。
望美はそう考えて一年前から人材派遣サービスに登録した。だけど、このように生活が不安定になりがちなのがネックである。
しかも望美は、ある事情で不当な借金を抱えている。月々の返済が薄給の彼女の肩に重く圧し掛かる。頼れる身寄りもない。
――結局、ハケンじゃ食べていけない……か。
正社員は元より他の派遣社員たちとも、望美はどうにもなじめない。業務上最小限のやり取り以外に、誰とも会話をすることがない。
肩身の狭い生い立ちのせいだろうか、”ここに居てはいけない感”がいつも彼女の胸を締め付ける。それにも増して、望美は安アパートの独り暮らし。自宅に戻ればまったくの無言である。
「ちょっとやだー、押さないでよ」
後列でふざけながら、じゃれ合う女子高生たちの声。望美はちらと振り返った。数年前まで自分が着ていた制服だ。
「ねえ、結局第一志望どこにするん」
「あたしね、県立大にしようかと思ってるんよ」
「へえ、難関じゃない」
「背伸びかもしれないけど、一生のことだからね」
――一生のことだし、か。いいなぁ、あたしも大学行きたかったな。
PCのデータ入力業務で疲れた目をしばたかせ、遠い空を見つめる望美。背後には高層とは言い難いビルの街並みが穏やかに広がる。
いつもの見慣れた景観だ。政令指定都市のターミナル駅周辺でありながら、比較的地味な方ではなかろうか。彼方に垣間見えるやまなみが、艶やかな茜色に染まっている。
――きれい。
見慣れた景色が綺麗に見えると、望美は冬の訪れを感じる。
空気、いわゆる大気は季節が冬に近づくにつれて乾燥する。乾燥すると、光や遠くの景色を妨げる不純物である大気中の水分が減少する。その為、空がはっきりと綺麗に見えるのだ。
『「天高く馬肥ゆる秋」ということわざがあってね。ほかの季節に比べて、秋の空は高く澄み渡っているんだ。だから過ごし易くって、馬もすくすくと育つって意味なんだよ』
そう教えてくれたのは望美の父親だった。
ふと幼い頃、父が何時も読んでくれた絵本を思い出す。たしか『しあわせのくに、まほろば』という表題だった。
『あらそいやにくしみ。よのなかは、いろいろなことでよごれています。だけど、このくにはよごれていない。だから「まほろば」は、くうきがすんでいてうつくしいのです』
おぼろげな記憶では、そんな内容だっただろうか。だけど表紙に描かれていた、幻想的な深い藍色の空だけは今でも鮮明に覚えている。
その絵本は残念ながら、望美の手元には残っていない。何より確認しようにも、いつも読み聞かせをしてくれた優しい父は、もうこの世には居ない。
――どこにあるんだろう……あたしの
深いため息と共に、再びスマートフォンの画面に視線を落とす。
――とにかく仕事を見つけなきゃ。
『時給:二千五百円 プラス報奨金(※月収五十万以上可能)』
――これだけ稼げたら、借金なんてすぐ返せそうだけど……。
ぶんぶんと首を振る望美。眉間に皺が寄っている。
――やっぱキャバ嬢なんて無理。ていうか接客業自体が自信ない。人とわいわい賑やかに楽しく会話するのとか超苦手だし。
遠い目をする望美。茫洋とした表情で沈む夕日を見詰めている。
――でも、このままじゃ生活できない。昼の仕事だけじゃ、お金返せない。しかも来月からは無職……。
「終わった……」
ぽそりと呟く望美。おもわず声が漏れてしまった。心の中で続きを吐き出す。
――思えば、おとうさんが死んで以来、あたしの人生いいことなんて無かった。こうやって残されて、『例のこと』があって……家も追い出されて、借金も背負わされて、無職になって。ぼっちで生きてたって、楽しいことなんか何も無い。
最前列なので表情は誰にも見られない筈。その安堵感からか、望美は次第に鬱蒼とした自分の内側へと入り込んで行く。
――ここから線路へ飛び降りたら、楽になれるのかな。幸せの国まほろばへ、天国へ行けるのかな。ってそんな勇気なんて、これっぽっちもないんだけどね。
望美は苦笑した。
――天国、そこがあたしの
胸が熱くなる。
――でも天国や地獄なんて……あの世なんて、きっと人間が作り出したもの。本当にあるかどうかなんて、実際に死んで見ないと分からないし。それが誰にも分からないから、みんなきっと踏み出せない。中には本当に自殺しちゃう人もいるけど……。
望美は心の中で呟き続けた。
――生きていたってつまらない、だからと言って死んじゃう勇気なんてない。そんな人って多いんだろうな。あたしみたいな……。
「ふーん」
望美の右横から、誰かが割り込んで来る。小学校高学年生ぐらいの児童だろうか。おそらく十二歳前後だ。
黒いパーカーを羽織ったファンキーファッション。フードとサングラスを頭に被せ、ヘッドフォンを首にぶら下げている。子供にしては洒落た様相だ。
――ちょっとボク、横入りはマナー違反……。
そんな台詞を顔に書きながら、望美は怪訝そうに少年を見た。
少年と目が合う。微笑む少年。澄んだ蒼色の瞳をしている。肌の色も白い。ハーフかクォーターだろうか。まつげが長くて円らな瞳。幼いながらに、なかなか将来有望な美少年である。
そんな少年が、お構いなしに肩を寄せてくる。
「ふーん『あなたの望みを叶えます』だってさ。胡散臭いや」
望美のスマホの画面を、爪先立ちで覗き込んで来る。身長は158センチの望美よりも僅かに高い。児童にしては高身長だ。
――ていうかボク、胡散臭いのはどっちよっ!?
そう怒鳴り付けたいたいところだが、人ごみの中で大きな声を出すのは恥ずかしい。無言で睨みつけるのが、ささやかな抵抗だ。
スマートフォンを胸元に隠そうとする望美。彼女の細い指先から、少年はひょいとスマホを奪い摘み上げた。
「あっ!」
スマホと望美の顔をジロジロと交互に見る。
「夜のオシゴト探してるんだ? おねえさん、見掛けによらずけっこうな美少女だから。ソッコー稼げるよ」
見掛けによらず美少女、とは日本語になっていない。
そもそも望美は少女ではない。年齢より幼く見られがちだが、れっきとした二十過ぎの成人女性である。子供に少女と呼ばれる筋合いも無い。
「ちょい地味子ちゃんだけど、顔立ちは整ってるからさ。きっと化粧栄えするだろうね」
相手はませた子供とはいえ、誉められて内心悪い気はしない。
「その儚げな雰囲気と横顔が、エロいオヤジゴコロをくすぐるよ、きっと」
「え……でも、あたしおしゃべりとか苦手だし……ん?」
不覚にも、つい反応してしまった。望美の顔が茜色に染まる。
「ボクが保証するから大丈夫だよ」
少年はニヤニヤしながら勝手にスマホを操作して、彼女に手渡した。
「ていうかさ、どうせならこっちの方が稼げるんじゃない?」
画面を見る望美。
「……なっ!?」
デリバリーヘルス、風俗店の求人サイトだ。
「ふふっ、月収百万円も夢じゃないってさ」
望美は赤面しながら、ぶんぶんと首を横に振った。
「……ちょっとボク、いいかげんにしなさいよ」
流石にキレた。涙目で精一杯睨み付けながら、小声で抗議をする望美。羞恥心がハンパない。しかし、ある種異様なまでに周囲はそ知らぬ顔で無反応だ。
「うふふ、それでいいのさ。大人なら自分の意見はちゃんと口に出さなきゃね、お・ね・え・さん」
少年が爽やかに微笑む。
「ビンボーだったらテキトーに男の人に甘えて、食べさせてもらえばいいのにね」
招き猫のポーズをする少年。
「こうやって『ごろにゃーん』ってさ」
――うっ……可愛いじゃない。
心の声とはいえ、不覚にも本音が漏れてしまう望美であった。しかしこれ以上、関わり合いたくないのも本音。ませた子供の口車には、もう乗りたくない。
「……あたし、ペットじゃないし」
と思いつつも、望美はまたしても頬を膨らませながら反応してしまう。
「まーた強がっちゃって。甘えるのもヘタクソなんだから。そんなんだからカレシも出来ないんだよ、ウブなのぞみちゃん?」
「だから余計なお世話……って、え?」
――待って。この子どうして知ってるの、あたしがカレシいないことを。ていうか何であたしの名前を?
見透かすように言葉を続ける少年。
「ボクは何でもお見通しなのさ。キミの本当の望みってやつもね」
「へ?」
「なんならさ、もっともーっと良いお店を紹介しようか?」
「けっ、結構ですっ!」
ニヤリとする少年。
望美は顔を耳たぶまで真っ赤にして激昂した。
――こっ、子供のくせに調子に乗って、何を生意気言ってるのよ!
「ってウチのお店なんだけどね。スタッフは結構な美形ぞろいだよ。このボクを筆頭にね」
――まさか子供が水商売の勧誘? だから意味不明なんですけどっ!
「ていうか結局、新しい世界に飛び込む勇気がないんでしょ?」
「うっ……」
絶句する望美。図星なのがチクリと痛い。
「で、望みを叶えたいの? 叶えたくないの? どっち?」
望美の叶えたい望み。借金返済の為に高収入を得たい。でも水商売は自信ない。風俗嬢なんて論外だ。
「それは……」
八方塞がりの堂々巡りだ。答えの出ない望美は俯いた。
「まったく、しょうがないなあ。おねえさんって優柔不断っていうか、可愛い顔してほんとめんどくさい子だよね」
――だからぁ、可愛い顔のめんどくさい子はどっちよっ! っていうか大きなお世話なんですけど……。
「じゃあさ、背中をポーンと押してあげようか?」
「ポーンと……って?」
「おねえさんの望み、ボクが叶えてあげるよ」
『まもなく二番ホームに、倉敷方面行きが参ります。黄色い線の内側までお下がりください』
「そう、ポンってね」
アナウンスと共に電車がホームへと近づいて来る。
「行ってみたいんでしょ、まほろばへ」
「……えっ?」
少年は望美の背中を押した。
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