放課後の謎解き
灯傘
*
「イザナギとイザナミが国つくりで使った鉾の名前は」
「天沼鉾」
「何で知ってるんですか……」
これはと思って出した難問をあっさり解かれて、俺は脱力して椅子の背に凭れ掛かった。
長机に頬杖をついた先輩は、手元のペーパーバックに目を落としながら首を傾げた。
「君だって知ってるでしょ。君が出題したんだから」
「俺はわざわざ調べてきたんですよ」
「ああ、そうだったんだ」
校舎の片隅の、ごちゃごちゃと物が置かれた部屋にいるのは俺と彼女の二人のみだった。
開いた窓から吹き込む風が白いカーテンを揺らす。空の色は青みが強くて、日没がまだ遠いことを示している。
一応、この地学準備室は天文部が部室として使っていることになっている場所だ。だが部員の大半は幽霊であり、放課後に部室に顔を出すのは専ら俺と先輩だけ。しかも星の出ていない日中は観測もできないとあって、集まっても天文部らしいことはせずとりとめもない無駄話に花を咲かせるばかり。実質的には暇潰しのためのたまり場に近い。
部活動としてはどうかとも思うが、本気度の低い文化部なんてどこもこんなものだろう。この調子であれば今年の文化祭も、何代か前の部員が作ったカビの生えた研究発表でお茶を濁すことになりそうだ。
最近の俺達のブームはクイズの出し合いで、下校までに正解数の少ない方が相手に飲み物を奢る約束だった。
今までの戦績は0勝5敗。五回連続で俺が奢る羽目になっている。
今日こそはと思っていたが、この分だと勝利は望み薄だろうか。多少クイズのネタを仕入れてきたものの、学年トップの成績を誇る先輩に挑むには地力の差が大きい。
「本当にすごいですね先輩。何でも知ってるんじゃないですか」
「なんでも走らないよ。私が知ってるのは知ってることだけ」
いや、キリッとカメラ目線で言われても。
「先輩、それ別のキャラのセリフです。版権とか関わってくるのでやめてください」
「そうなの? それは寡聞にして知らなかった」
キョトンとした顔を作っているけど絶対嘘だ。顎をくいっと上げた、お手本のようなシャフ度で言っていたあたり完全に確信犯だよこの人。
「そもそも、某物語の羽川氏を演じようとしても、先輩は黒髪ロング以外に外見的特徴が合わないでしょう。眼鏡も掛けてませんし、胸だって正直あまり……」
「へえ?」
「すいません失言でしたスレンダーな女性って素敵ですよね許してください殺さないで下さい」
土下座する勢いで平伏し、限界の高速言語で一息に詫びを入れる。先輩はギリギリで溜飲を下げてくれたようだった。
危なかった。一秒でも謝罪が遅れていれば俺はこの世にいなかったかもしれない。それほどに圧倒的な殺気。己は狩られる側の生き物なのだと心底実感させられた。――半分くらいは冗談だけど。半分くらいは。
コホンと咳払いして、先輩が話題を戻す。
「でも実際、私が間違えた問題もあるでしょう」
「ええまあ。俺が間違えた問題に比べれば微々たるものでしょうが」
「ふふっ、僻まない僻まない。たった一年差でも年の功だよ、後輩君。さて、君が何問か出したことだし、今度は私が連続で出そうかな」
ぱたんとページが閉じられる。スカートの裾を直して、強者の余裕を見せながら先輩はこちらへと微笑んだ。
先輩と部活以外での付き合いはない。でも、この部室で会うこの人はいつも楽しそうだった。まあ俺が一方的にからかわれることも多いのだが、黒髪の美人と歓談できるのだ、その程度でメリットにもなりはしない。
我々の業界では寧ろご褒美です、というやつだ。用法が違う? 些末なことだ。
「いいでしょう。どんな問題だろうとどんと来いです」
「では第一問。シェイクスピアの作品の一つで『どのように時代が過ぎても、我らの行ったこの崇高な場面は繰り返し演ぜられることであろう』という台詞が有名な戯曲は?」
「え?」
うわ、大見得を切っておいていきなり分からない。この人のクイズのジャンルは文学から科学まで多岐に亘っていて傾向が読みづらい。
ええっとシェイクスピア? シェイクスピアなんて四代悲劇の粗筋しか聞いたことないぞ。
「ヒント。借金王」
「……カエサル?」
「英語読みのフルネームで」
「ジュリアス・シーザー」
「正解。第二問。単一換字式の一種で平文の文字を三文字分ずらすことで作る暗号。シフト暗号とも呼ばれるこの暗号方式は何暗号と言うでしょうか」
今度は暗号。この人本当に文系なのか。
「ヒント、禿げの女たらし」
思わず漫画みたいに顔面からずっこけそうになった。
「またシーザーですか」
「正解。第三問。『ブルータス、お前もか』、『来た、見た、勝った』などの名言で知られ」
「やっぱりシーザーですよね。先輩。もうちょっと真面目にやって欲しいです。花を持たすようなことをされても嬉しくありません」
怒った風に文句を言うと、先輩はくすくす笑って手をひらひら振った。
「ごめんごめん。なら別の問題にしようか」
「そうしてくれると嬉しいです」
「そうだなぁ……。二年一組出席番号十二番の男子生徒は誰か」
「いや、待ってください。それ俺ですよねぇ」
「正解。昨年の文化祭で奇特なクラスが出した『珍味万博』でシュールストレミングの臭いに気絶した一年生の名前は」
「それも俺です。いやなこと思い出させないでくれませんか」
「正解。じゃあ、折角の高校二年生の放課後を校舎の辺境の地学準備室で先輩と雑談して浪費している男子生徒は誰?」
「ディスられました? 俺今ディスられましたよね!」
というか、同じように高校三年生の放課後を空費する先輩には言われたくない。俺の抗議には取り合わず、先輩は「じゃあ次は」と楽しそうに頬を緩めている。
……明らかに遊ばれてるな。
さっきのシーザーといい今といい、解答を変更しないままの出題が連続している。多分次の問いの答えも同じだろう。もういっそ先手を打って「俺」と宣言しておいた方が早いのではないか。
先輩が口を開く気配。よしここはタイミングを合わせて、
「そうやって毎日飽きずに私の話に付き合ってくれる。私の好きな人は誰」
「それも俺――」
反射的に言葉を発してはたと気づく。
「…………え…………………………………………………………え?」
糊付けされたみたいに舌が口蓋に張り付いた。
グラウンドで活動する運動部の掛け声も、校舎に残る生徒のざわめきも消えて、刹那の静寂が準備室全体を支配する。
「……先輩? えっと、好きな人って」
フリーズした脳を叱咤激励して再起動し、先輩に問いかけた。
先輩は何事もなかったかのような澄ました表情で返す。
「言葉通りの意味だよ。恋する人。懸想する相手。ライクじゃなくラブの人物」
「ええっと……」
ニューロンがスパークするような感覚。脳細胞が目まぐるしく回転し、幾つもの思考の断片がストロボようにフラッシュする。
流れのまま「俺」なんて告げてしまったが、どう考えても今のは適当に返事していいものじゃない。見当違いの事を言って恥をかいてしまったか。
いや、しかし。あの問題内容に当て嵌まるのは、やっぱり――
「どうしたの?」
フルスロットルで考える俺の様子を眺めて、先輩は悪戯っぽく目を細める。
「答えを言い切れないのなら、今日もまたジュースを奢ってもらうのは私になるよ」
「…………」
どこまでも余裕綽々な態度にカチンと来た。
……いいだろう。あまりヘタレだと思われるのも面白くない。
意を決して大きく深呼吸する。きっとこうして俺が切り返そうとすることすら先輩の思惑通りで、彼女の掌の上で転がされてるにすぎなくても。言われっぱなしではいられない。
「じゃあ回答の前に先輩、俺からも一問。毎日部室で会えることが楽しみになっている、俺が惚れた女子の名前は――」
放課後の謎解き 灯傘 @hesperides1211
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